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2005.06.09

「疋」という銭の単位

先日の「枚」の話の続編で、少し専門チックな話を一つ。…少々下世話ですが(笑)、銭の数え方。
前近代の銭の最小単位が「文」であることはよく知られていると思います。そして、1000文で1貫文と単位が上がります。これが基本であることは言うまでもありません。ここまでなら、単純明快。
ただ面白いのは、それとは別に「疋」という単位があって、中世ではこれがよく使われます。10文=1疋なんですが、これは中世当時でも概念的な計数単位だったようで、なぜこのような単位が頻繁に用いられたのかは、実のところはっきりとはわかっていません。

ただこの「疋」、諸説あるものの、語源から理由が見えてきます。元々「疋」は布の長さの単位(1疋=約20m前後=2反、地域によって長さは一定ではなかったようです)で、中でも絹がルーツのようです。古代では絹が主要な納税対称品目になっていて、貨幣として使用される事もあったことから、渡来銭が普及してもその名残として「疋」の単位が継承されたものと考えられます。また一方では、納税手段が現物から銭に変化する一方、税額の単位自体は旧来のままであることが多かったので、絹などの布の納税額としての「疋」が銭の単位に読み替えられていったのでしょう。

さて、先に「概念的」と書きましたが、どういう意味かというと、当時の銭は紐で一定数を束にする(「緡(さし)」)のが一般的でしたが、その数は50文か100文を単位にしていました(実際の数は50枚・100枚ではない。ここを参照。この法則=「省百法」を採用した電卓はこちらから)。つまり、10文を一括りにして使用することは無かったようで、10文という括りはあくまで計算上の単位であったと思われる点です。おそらく上記の経緯にあるように、習慣的に残った単位が定着したのではないかと思うわけで、先のネタに関わって言うならば、原稿用紙が消滅した後も「枚」という単位が残るとすれば、それと同じ事例と言えるのではないか、ということになります。

ともあれまぁ、
「疋」=10文
「貫文」=1000文
であることを知っておけば、とりあえず問題はないのですが。中世の銭は1枚=1文が基本なので、その辺はわりと単純でわかりやすいです。当然ながら、その基本原則が崩れると、とんだ混乱が起こるものと考えられるわけですが…。

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コメント

はじめまして。「疋」を調べていてこちらにたどりつきました。
幕末の史料の中に頻繁に出てくるんですよね。この「疋」という単位。
お金なのかな~という程度で見当がつかなかったのですが10文=1疋というのを読んで
おぼろげに見えてきました。
「報奨として100疋賜る」ってのは一貫文ってことですか?今で言うと大体いくら位なんでしょうかね?

>ちにたさん
書き込みありがとうございます。幕末にもよく見られるんですか。となると、近代貨幣の発行まで生き残っていたんでしょうね。
10文=1疋なんで、1貫文=1000文=100疋になります。幕末期の1貫文って今だとどれくらいの価値になるでしょうかねぇ…。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~wonomasa/kahei.htmによれば、慶応2~3年頃だと1文がおよそ0.25円くらいだと考えてよさそうなので、それを援用すれば、250円となりますね。
随分安いですね(笑)。幕末は貨幣価値が暴落していたようですが、中世頃だと1貫文で数万円くらいに考えることができるみたいです。

あっと、ハイパーリンクが変になっているようです。参照元のURLを改めて記しておきます。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~wonomasa/kahei.htm

お馬鹿な質問で申し訳ないのですが、疋はなんと発音すれば良いのでしょうか。
色々調べたのですがヒキ, ショ, ソ, ヒツ, あし、などが検索で出てきたのですが…。

>mamoさん
書き込みありがとうございます。お尋ねの件ですが、「ひき」で良いのではないかと思います。
当時において実際にどう呼んでいたかを厳密に検証したことはないのですが、ほかに特別な読み方をした形跡は無さそうです。

ただし、銭のことを指して「料足(りょうそく)」とか「足(あし)」と呼ぶ事はありました。

ありがとうございました。
疋、両に朱、文、あげくにクロ銭勘定にビタ勘定…。
とても複雑ですね。
昔の人にとってソロバンが必修だったのが分かるような気がします。

嘉永年間の医学者の「遊歴日記」という文献中に「円」「方」なる貨幣単位がでてきます。
「円」は香港あたりから流入していたといわれますが、さらに言えば、両分朱に代わって
円方の単位系統が流入していたと思われます。方は百疋を訂正して記載しているところから、秤量貨幣との混乱があり、単位貨幣としては円銭厘体系になったものと思われます。

江戸初期の日本文化のタイムカプセルということで、ここにロドリゲスの日本文化収集記録の印刷本をご紹介します。

安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て、日本語教科書を作るため、茶道を含む、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。特に銀山開発には家康はスペインからの技術者導入に尽力しています。スペイン国王からは難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
興味深いことに、この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、倭国年号から大和年号に継続する522年善記からの年号が記載されています。この頃あった、古代からの日本の歴史についての考を知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、家康はこの倭国からの王朝交代を知っていたはず。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまった。日本大文典のこの内容は、ウィキなどにも出ていないようです、もう既に見ていますか。
ついでに
倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 720年日本紀と 日本書紀 は823年 別物という考証があります。
宜しくお願いします。

>いしやまさん
書き込みありがとうございます。『日本大文典』はだいぶ前ですが、貨幣記事を参照したことがあります。確かにほかにもいろいろと興味深い記述がありますね。

なお、この記事自体は銭に関する内容なので、その点にご配慮いただけますと幸いです。
宜しくお願いいたします。

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