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2005年9月

2005.09.28

投稿の機会均等

oshio1写真は文明元年(1469)に赤松政則が築き、戦国期の赤松氏の本拠地となった置塩城跡(兵庫県夢前町)の登山口です。当時は「小塩」と書かれることもあったことから、「おしお」もしくは「おじお」と読まれていたようです。現在の地名は「おきしお」ですが。結構な山城でもあり、訪れたのが夕方だったので登るのは諦めました。

ここしばらく、飲んだり原稿書いたり野球を観に行ったりと。原稿の方はなんとか投稿できそうな体裁になったので、どこへ出そうかと悩む。
ほかの分野もそうだと思うけど、日本史の場合も多くの専門雑誌がある。そして、昔ほどではないようだが、それぞれに微妙に異なるカラーがあったりする。理論重視な雰囲気なのか、実証重視な雰囲気なのか、どこかの時代(地域)に比較的傾いている雰囲気なのか、とか。もちろんごく現実的に投稿規定にも違いがあって、そこらへんのもろもろの「空気」を嗅ぎ分けて投稿先を選んだりするのが「お約束」と言える。
ただし多くの雑誌は投稿資格が会員に限られているので、正直な話、投稿するために入会したりもする。で、その会費が年単位なので結構バカにならない。とりわけ貧乏学生には実に重い負担になってしまうのが困りどころ。もちろん掲載されれば年会費分の元が取れるくらいの原稿料を貰える場合も多いのだが、投稿段階では持ち出しになることに変わりはないので、やはりこれが結構な負担になってしまいます。
会員にのみ投稿資格を与えるというシステムも致し方ないところなのだが、会費の支払が重くのしかかる院生に対しては、なんらかの救済措置があってもいいんじゃないかなぁ…と勝手ながら思う。学会によっては学割があったりもするが、それでもなお複数の学会に入会するとトータルでの負担がきつい。もっとも今は学会も財政がかなり厳しいようなので、できるだけ多くの会員を確保したいだろうから、そこらへんは譲歩するのは難しいところではあるだろうけど…。
とはいえ純粋に経済的理由のみで投稿の機会が制限されるケースもあり得るわけで、それが慢性化すると学界全体にとっても損失となりかねない。なんとか「機会均等」がしっかり維持されるようになればいいんですがね。

2005.09.25

するりとこぼれ落ちる

shoren-in3写真は京都の青蓮院です。今は中世の面影はほとんどありませんでしたが、近世には御所になったことがあるので、それに関する展示がされていました。
ブログ化後200回目になりました。去年よりペースが上がってます。史跡ネタが効いたかなぁ。私の日常生活は4日に1回が丁度いい程度の密度なんで、その辺はこれからもあまり変わらないと思います。

それはともかく…。
まさかのプレーオフ脱落。某監督が言うように、自ら権利を放棄したとしか思えぬ。主力が結果を出せなかったのが効いたようだが、一生懸命な姿を見せた結果ならそれは仕方がない。しかしちっともやる気を表に出さないのでは、見ている方が萎える。結局盛り上がったのはファンだけだったのかもね。選手なんかはちゃっかりしていて、「10月になってまで仕事したくねぇよ」なんて思っているんじゃないか。もっともこれは悪意に解釈しすぎだろうけど、そう思っているようにしか見えない。
プロ野球選手は勿論プレーで勝負するべきだが、多くの「観客」から観戦料を取っているんだから、淡々と野球するだけじゃぁいけないでしょうが。真剣勝負が前提ではあるが、選手も「見せる」事を意識すべきである。少なくとももっと思いっきり悔しがってみたらどうかねぇ。情けない。
個人的には、バッティングしていた日本史研究会大会に向けての懸案が無くなったのを奇貨とするべきなのかもしれないが…。しかし残念だなぁ。

話は変わって。今日は立川のビックカメラへ。日曜の割にはすいていた。懲りずにデジカメのコーナーへ行くと、400万画素の型落ち機種が2万円程度で出ていた。垂涎。しかしすんでのところでこらえる。今買っても当面使う機会ないし、今買うと後が怖いし。いやはや、目に毒です。あと携帯コーナーを冷やかしてそそくさと帰る。買ったのは紙とインクだけ(笑)。

2005.09.24

播州の史跡(6) 円教寺その1

shosha01最後は姫路市の円教寺です。山号の書写山の方が有名ですね。康保3年(966)に性空上人が開いたとされる天台寺院です。
とりわけ中世後期には守護赤松氏の保護を受けて栄えたようです。赤松氏当主は代々「性」の付く法号を名乗りますが、これもおそらく性空から来ているのでしょう。赤松氏の本拠も書写山の近辺に構えられています。
shosha05この写真は本堂に当たる大講堂(重要文化財)。室町期の建立とされています。
shosha07こちらはその横にある食堂(重要文化財)。承安4年(1174)の築だそうですが、今の姿になったのは後世のことだったようです。
shosha09さらに大講堂の向かいにあるのが常行堂(重要文化財)。あくまで修行のための構造ですが、一見すると能舞台かと思うような舞台が特徴的です。
この三つの建物がセットとなった形で聳えていて、圧巻でした。おそらくここまで立派になったのも、赤松氏の強固な援助があったためではないかと思います。

ちなみに室町時代に書写山に住した鎮増という僧侶が記録を残していて、それを基に書かれた田中貴子『室町お坊さん物語』(講談社現代新書1457、1999年)という本があります。当時の地方寺院の様子がよくわかる好著です。

2005.09.23

両毛ツアー

kanayama17今年のゼミ合宿は栃木・群馬の史跡巡り。題して「両毛ツアー」。
個人的には、まだ一度も行った事がなかった足利・新田周辺に行けたのが収穫。ただ、足利学校がなぜか臨時休館になっていて、中に入れなかったのは心残り。
事前に祈っていた天気にはあまり恵まれず。やはり日頃の行いが良くないようです(笑)。
携帯で写真を撮ってきたで順次紹介していこうかと思いますが…、天気が良くなかったのもあって写りは輪をかけて悪い。そろそろ本気でデジカメが欲しくなってきた。
なお写真は、今回の旅行で行った群馬県太田市の金山城跡。後日改めて取り上げますが、ここは凄かったです。

さて、これで最後の夏休みの大型イベントは終了。一生記憶に残るような出来事は…、あったかなぁ?

栃木:(1)飛山城跡(2)日光再び(3)唐沢山城跡(4)鑁阿寺
群馬:(5)金山城跡その1(6)金山城跡その2(7)金山城跡その3(8)生品神社・長楽寺(9)白井城跡(10)沼田城跡(11)名胡桃城跡(12)箕輪城跡

2005.09.19

播州の史跡(5) 一乗寺

ichijoji06加西市の一乗寺。本堂(重要文化財)は解体修理中で見られなかったのですが、その下に建っている、承安元年(1171)建立の三重塔が国宝です。写真を撮ってはみたんですが…、折悪しく見事に逆光で、チンケな携帯カメラでは非常に厳しい結果と相成りました。まともに写っていたのでも←の程度で…。こちらをどうぞ。
ほかに開山堂などもあったようなんですが、時間が押していたのでそちらには行かず。
ichijoji07本堂や塔の下には笠塔婆がありました。銘によると正和5年(1316)とあり、形式から年代に齟齬はないとのこと。ほかにも文化財を多く所蔵しているんですが、今は博物館等に委託しているものが多いようで、見る事はできませんでした。
ケチ臭いことを言うのもなんだが、拝観料はともかく、別途駐車場代を徴収するのはいかがなものかと思った。まぁ喜捨と思うしかないか。なお一乗寺の開基などについては、こちらの広報記事でわりと詳しい話が載っています。

2005.09.18

変わりゆく街に思う

ここ2,3日は研究を離れてのんびりと。…とはいえまたもや朝まで飲む。バイトをやめてからはさすがに激減したものの、月1くらいはどうも朝まで飲んでしまう。でも最近は夜明けにさしかかるとかなり辛くなってくる。トシじゃねーの?と言われたが、うーむ、そのせいじゃないと思いたい。
飲みがお茶の水だったので、その前に秋葉原に寄ってみる。数ヶ月ぶりに行ったが、あっという間に街が様変わりした感じ。開店2日目だったヨドバシは凄い人。携帯とかデジカメとかipodとかいろいろ欲しいものはあるのだが、とても何かを買うために歩き回る状態になかったので、なんとか値段だけ確認して早々に退散。もっとも元々何かを買えるほどの手持ちもなかったんですが(笑)。
でもなんというか、駅前にどーんと構えるヨドバシがかえって浮いている感じ。新宿とか池袋とかに比べるといろんな店がひしめいているわけでもないので、ふらっと寄ってみる街というより、あらかじめ目標を定めて出かける街という性格は変わりが無さそう。

さて、連休の狭間には恒例のゼミ合宿。今年は「両毛」。天気に恵まれることを祈るのみ。

2005.09.16

喫茶店での原稿執筆

ikuta2写真は神戸の中心部にある生田神社。寿永3年(元暦元、1184)の一ノ谷合戦の時に激戦地となった、生田の森の地に建っています。初詣の時は賑わうのですが、普段は街の中心部にありつつもひっそりとしています。神戸の地名は、神社の門前に広がる所領という意味の言葉が語源とされています(ただし中世は「紺戸」=こうべと言っていたらしい)。

今週は前半と後半で一気に季節が変わった感じ。前半は恐ろしく暑くて家ではとても作業できなかったので、空いた時間に喫茶店で原稿書きにいそしむ。普段の原稿書きは傍らに史料を多く置いておく必要があるので、今まではあまりやらなかったスタイルなんだが、今回は既に史料をレジュメ化していたので。煙草の本数は増えるが(笑)、これが意外にはかどる。喫茶店では読書をすることが多いのだが、読書だと正直言って一時間くらいしか持たず、急激に集中力が衰えていく。だが、原稿書きだと二時間くらいは集中力が持続した(店にとっては迷惑な話だが(笑))。史料を事前に準備して、喫茶店で原稿を書くスタイルを確立してみるのもいいかな、と思いました。
ただ後半は実に快適な気候になってきたので、今日は家で作業。やっと今月〆切の原稿を書き終える。読みたい本が貯まっているので、連休中は読書三昧としようかな。

2005.09.14

播州の史跡(4) 朝光寺

chokoji02こちらは社町にある朝光寺です。順序としては、浄土寺の次に行きました。本堂は国宝。鐘楼が重要文化財になっています。
chokoji05残された史料があまり無くて建造年代はよくわからないそうですが、本堂は応永20年(1413)のものと推定されているそうです。
chokoji11とはいえ少し山間にあるせいもあってか、人気はまったく無し。私が行った時にはまったく人はいませんでした。でも寺の主と見まごうばかりの真っ白な子猫が近寄ってきました。いやほんとに守り神なのかも知れない(笑)。
mikusaこの朝光寺は源平合戦で有名な三草山の近辺にあります。というわけで、帰り際に三草山の遠景を撮りました(左側の山)。今はハイキングコースとなっているようですが、時間的にも体力的にも厳しいので、さすがに登山は諦めました。

2005.09.10

息つく暇なく

しばらく史跡関連の記事が続いたので、ここらでひとつ近況を。
ただ、ブログランキングがこのところ少し上がっていて、しがない一院生の私生活なんかより、純粋な歴史に関する情報発信の方が受けがやはりいいんだなぁ…と気付かされます。

東京に戻って一息つくも束の間、今月末〆切の原稿を抱えているので、その作業をぼちぼち進める。一度口頭報告したものを文章化する作業なので淡々とこなすだけではあるが、とはいってもやはり、文章にする作業は楽ではない。
この原稿を仕上げた後も、取りかかりたいなぁと思うネタがいくつもあって、かえってどれにするべきか迷う。書きたいネタを沢山ストックできる状況はかなり喜ばしいんだが、あとは本人の怠け癖をいかに抑えられるか次第といったところ(笑)。
今月は比較的時間的余裕があるかなと思っていたけど、予想に反して明日から来週末まで予定がびっしり詰まる。史跡記事はまだいくつか残っているので、少しペースが落ちるかもしれませんが、ぼちぼちアップしていきたいと思います。

明日はいよいよ投票か。本当は心躍るべき投票直前なのに、なぜか暗い先行きばかり浮かんで仕方がない。

2005.09.09

播州の史跡(3) 三木城跡

miki09お次は三木市の三木城跡。秀吉の兵粮攻めで有名な城です。今は市の中心部にありながら、観光地化することもなくひっそりとしています。
播磨東部の守護代で、赤松氏一族の別所氏の居城でしたが、天正8年(1580)に落城。城主別所長治が城兵の助命と引き替えに自刃したと言われています。もっとも戦国時代がお好きな人には、今更説明するまでもない有名な話ですが…。近世にはこの地域が明石藩領となり、元和3年(1617)に廃城になりました。
miki07ただ、今は往時を偲ぶものはほとんどありません。本丸跡に別所長治の辞世を刻んだ石碑が建ってましたが、二年近くに及ぶ兵粮攻めにあって、おそらく城内は壮絶な状況にあったことでしょう。合掌。

「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」

2005.09.08

播州の史跡(2) 安国寺

訪問順は前後しますが、続いて東条町にある播磨国安国寺。実は当初の予定に入っていなかったのですが、道すがら発見したので急遽立ち寄る。
harimaankokuji4ご存じ足利尊氏・直義が全国に築かせた安国寺の一つですが、嘉吉元年(1441)に足利義教が暗殺された「嘉吉の乱」の際、その首級を持って領国播磨に下国した赤松満祐が義教の法要をここで行ったと言われています。
harimaankokuji2これが義教を葬った宝篋印塔だそうです。境内のはずれにひっそりと建っていました。恐怖政治と称されるほど権勢を振るった人の末路を象徴するかのような寂しさが醸し出ています。解説によれば、この宝篋院塔の成立年代は義教暗殺の時期に一致するとか。
こちらの方が随分詳しいので、興味のある方はどうぞ。

2005.09.07

賀茂別雷神社文書

kamigamo02サマーセミナー3日目は賀茂別雷神社(上賀茂神社)で文書見学。前にも書いた通り、私自身この文書を使っているので、個人的にはメインイベント。
「賀茂別雷神社文書」は続群書類従完成会の「史料纂集」シリーズから文書が翻刻されていますが、まだ刊行は1冊のみ。ほかに自治体史などで部分的に翻刻されているものの、大半が未活字のままで、それゆえ?研究対象に選ぶ人もほとんどいません。昨年学士院賞を受賞された須磨千穎さんが第一人者なのですが、一方で事実上ただ一人の研究者でもあります。
kamigamo06それだけに「穴場」でもあるんですが、さらに近年、未整理の文書が大量に発見されてもいるとか。その文書の内容によっては私が今やっている作業が吹っ飛ぶ可能性もあり(笑)、それなりにリスクもあって痛し痒しです。
なんかこんな事を書くと手の内を明かすようなことになってしまいますが(笑)、大量の未翻刻史料と格闘する勇気をお持ちであれば、卒論のネタにいかがでしょうか。

なお、今回拝見できたのは上記史料纂集で活字になった文書でしたが、いろいろ面白い発見もあって、やはり原文書を見る意義の大きさを再確認しました。

山科本願寺故地を歩く

サマーセミナーの2日目は、山科本願寺の遺跡を案内していただきました。
yamashina04山科本願寺の故地は現在ほとんど宅地化してしまって、土塁がわずかに残るのみとなってしまっているとのこと。写真はその一部ですが、実際に案内していただかないとまったく気付かないほど。現在、史跡としての保存を訴える活動を頑張っておられるそうですので、是非とも応援いたしたく思います(→山科本願寺・寺内町を考える市民の会)。
yamashina07ほかには蓮如の廟所(写真)とか、山科七郷の会所であった山科三之宮とか。
yamashina02巡見で最初に行ったのは蓮如の最期の地とされる南殿旧跡。今は幼稚園になっていて、園児が「しんらんさま」(写真)に挨拶をして帰っていく姿がなかなか新鮮でした(笑)。

2005.09.06

サマーセミナー顛末

今回の長期遠征の最大の目的は中世史サマーセミナーの参加だったわけですが、ご存じの通り?私が報告者の一人でした。
自分が話す持ち時間は60分だったんですが、正直言って本気で30分くらいしか持たなかったらどうしようと戦々恐々としていました。しかし実際に喋ってみるとほぼぴったり。我ながら感心しましたが(笑)、要するに、内容を的確な言葉で簡要に話す能力に乏しいってことなんでしょうねぇ。結果的に余分な話が多くなったように自分では感じました。

そこらへんが災いしてか、質問もあまり出ずで…。奇しくも対象としたのが期間中に文書を見に行くことになった上賀茂神社で、研究動向からすればややマイナーだったのも大きかったとは思いますが、報告後何人かの方から「難しいですね」と言われる厳然とした事実の通り、わかりやすく話すことができなかったのが心残りでした。

ほかの報告者の方々はみなさん見事なレジュメ、おそらくしっかり準備をされたであろう話術で、私のしょぼさが一層引き立ちました(笑)。ぬるま湯体質というか、この世界である程度の年数を過ごしたので少し緊張感が足りなくなっているのかもしれないなぁ。

期間中の巡見の話などはまた今度。

2005.09.05

播州の史跡(1) 浄土寺

jodoji10私自身これまで地元の史跡をろくに回っていなかったので、帰省中にまわってみました。
最初に行ったのが小野市の浄土寺。ここの浄土堂が国宝です(写真は裏から)。この浄土堂は「大仏様(天竺様)」建築の代表例とされるものですが、ほかに実際に現存する同様の建築は東大寺南大門しか残っていないため、非常に貴重です。ちなみに、高校の教科書によく写真が載っているので、見たことのある人は多いかも。

jodoji07浄土寺のある地域は鎌倉初期は東大寺領大部荘の荘域に当たり、勧進聖の造営料所(堂舎の造営用途をまかなう荘園)となっていたようです。その勧進聖の代表者がかの重源で、この重源が得意とするのが大仏様の様式でした。浄土堂の中には巨大な阿弥陀如来像(国宝)もあるのですが、撮影禁止のため、ここをどうぞ。なお、二枚目の写真は境内にある八幡社、三枚目は本堂でもある薬師堂(重要文化財)です。
jodoji02

2005.09.04

長期遠征を終えて

2週間ぶりに東京に戻る。途中帰省もあったけど、これだけの長旅をしたのはほとんど初めて。さすがに少々疲れたので、明日一日はゆっくりしたいと思います。やることはいっぱいあるのだが…。
遠征中での出来事などは明日以降ということで。帰ってきて新聞を見ていたらこんな記事が。

島根県出雲市別所町の鰐淵寺(がくえんじ)で収蔵庫の南京錠が壊され、鎌倉時代の絵など国の重要文化財4点を含め収蔵品13点がなくなっていることが3日、出雲署と県教委の調べでわかった。同署が窃盗の疑いで捜査している。 http://www.asahi.com/national/update/0903/OSK200509030055.htmlより

なんという不届きな輩がいるもので。中世史では結構著名な寺院であり、文書なわけですが、なんとか散佚しないよう願うばかりです。重文クラスの文化財だと国内ではすぐに足が付くので、国外へ持ち出す危険性が高い。これは絶対に避けたい事態。

2005.09.02

帰省中(4)

サマーセミナーを終えて再び実家に帰ってきました。さすがに少々疲れたので詳細は後日ということで。
明日からまた京都で、その後漸く東京へ。9月だというのに京都はさすがの暑さ。久しぶりに西の暑さを体験して疲れが倍加したかも。

事務局のみなさん、お世話になりました。

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