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2005年10月

2005.10.31

月二度目の京都 前編

…というわけで、今月二回目の京都行となりました。目的は日本古文書学会に出席するため。
本当は土曜の午後に講演があって、そちらに行くつもりだったんだけど、やはり寝坊してしまい(笑)、京都に着いたのは午後2時半。これでは会場@京産大に向かっても無意味なので、観光に切り替え。この2週間の激務に耐えた自らへの褒美と思うことにして(笑)、嵐山へ行きました。

嵐山は約15年ぶりだったんだけど、随分様変わりしてましたねぇ。個人的には、勘違いした観光地化ぶりは相変わらずだな…と思ったが。前回は下世話な「タレントショップ」が全盛期で幅を利かせていたものの、幸い今はほとんど駆逐された模様。バブリーで下品この上なかった頃に比べるとだいぶ落ち着いた雰囲気が上がったようにも思うが、それでもなんか違うんだよなぁ。まぁしゃあないか。
折角なので天龍寺に行くと、中は行事で拝観不可との連れない貼り紙。おいおい土曜なのに…。庭園は公開していたが、興味ないので(笑)そのまま立ち去る。その後人混みを掻き分けて臨川寺へ行くと、今度は「しばらく拝観は停止します」とでかでかと立て看板。なんじゃそりゃ。すっかり空振り。渡月橋を渡って松尾大社へ行こうかとも思ったが、等持院へ行くことにし、嵐山を去る。ほとんど無駄足だった(笑)。こんなことなら北山へ行くべきだった。

京福で等持院へ。ただ駅を降りても案内がなんもなくて、地図も持っていなかったので少々迷う。受付時間ギリギリに到着。焦った。
目的はなんといっても足利将軍歴代の木像。実物は初めて見たので感動。撮影不可とは書いてなかったので、一体ずつ写真を撮りました。今まで記憶が曖昧だったんだけど、木像が無いのは義量と義栄であることを確認。
等持院を出て北野天満宮にも行きたいなと歩いて北野白梅町まで行くが、そこで日暮れを迎えたため断念。まぁ次の機会に取っておきたいと思います。

今回は堺の知人宅にお世話になることになっていたので、そちらへ向かい旧交を温める。私はお構いなくビールをガブガブ飲んでいただけだったような気もするが…(笑)。我ながら厚かましい。
翌日分は後編にて…。

2005.10.28

十月も終わりが近づき…

二日連続で報告。なんとか乗り切る。
翌日から京都遠征なので一瞬逡巡したが、やはりこらえきれず飲んで帰る(笑)。そして帰るも、早く寝ないとなぁと思いつつ、どうせすぐには眠りにつけそうにないしなぁ、で。こりゃ寝坊確実(笑)。

脇田晴子さんが文化功労者に選ばれたそうで。おめでとうございます。私は一生掛かっても選ばれることはないだろうので、素直に羨望することしきりです。長嶋茂雄と肩を並べるレベルですからねぇ…。ってか、この人いつから「ミスタープロ野球」になったんだろう。「ミスタージャイアンツ」というのならわかるが。マスコミのいう「ミスター」ってつい最近まで後者の意味だったと思うんだけど。

あっ、そうだ。これを機に脇田さんの『日本中世商業発達史の研究』復刊してくれませんか、お茶の水書房さん。この本、古書店では3万円近くして手が出ないんです(笑)。

2005.10.26

連続トラブル

突然プリンタが使えなくなる。
といってもプリンタそのものは動くようなんだけど、パソコンからは認識していない模様。原因を探ってみると、どうもUSBの接続に何らかの問題が発生したようで。ケーブルが断線したのか、プリンタのUSB接続系統が壊れたのか、その辺りは不明だが、ケーブルを換えても無理っぽい雰囲気。
これから明日の報告レジュメ作ろうと思ってたのに、印刷できないのでは話にならない。以前行った報告の改良版として話す予定だったのだが、レジュメは前のまんまで行くしかなさそう。なんでこんな時に…。
今使っているプリンタももう6年になるし、そろそろ潮時なのかもなぁ。買い換えようにも先立つ物がないし、かといってプリンタが無いと思いっきり支障を来すから困りどころ。
あ、そうか。どっかの店にパソコンかファイルを持って行ってプリントアウトすればいいのか。緊急避難的に、しばらくそれで対応してみようと思います。

しかも今日の朝、はさみで思いっきり左手小指を切る。血みどろになりながら(笑)なんとか止血をしてバンドエードでぐるぐる巻きにしたけど、タイピングがしづらい。とりわけ"A"のキーが打ちづらいので難渋。なんかついてないなぁ。

追記
一旦電源を落としてしばらくして起動したら、直りました(笑)。再起動したりシステム復元したりいろいろ手を尽くしたのにさっきはまったくダメだったんだが…。まぁ直って良かったけど、なんか腑に落ちない。
しかし、ロッテが強かったのか、阪神が弱かったのか…。今年の日本シリーズは少しドラマ性に欠けたなぁ。

2005.10.24

要点整理の難しさ

今週は報告する所を除いて、出席予定だった勉強会はキャンセルいたします。関係者の皆さま、申し訳ありません。自分の仕事に専念しようかと思います。
さすがに一週間まるまる予定を入れるのはハード過ぎか。今は原稿書きが佳境にあるので、こちらを優先することに致しました。昨日少々散財してしまったのもありますが…。

今週の報告のうちの一つ(ブックレビュー)はなんとか仕上げる。…が、やはり専門外にかこつけた不勉強の問題で、要点整理がうまく行かなかった。おかげでレジュメの分量が多い。もう少しすっきりさせたいんだけど、明確な判断基準が無いためにどれを削るべきか残すべきかの選択が出来ないので、結局どれも削ることはできず。一般的な書評のように論評するわけではなく、論点の提示が趣旨なんで、それでもいいとは言えるが(取捨選択を聞き手に委ねる)、相当コンパクトに喋らないとなぁ…。難儀。

2005.10.21

両毛ツアー(12) 箕輪城跡

minowa05最後は箕郷町の箕輪城跡。守護上杉氏の被官で、いわゆる「国衆」長野氏の居城です。16世紀前半に築かれたといわれていますが、正確な築城年代は不明のようです。長野業政が武田信玄の猛攻を退けた事で有名ですね。しかし業政死後の永禄9年(1566)についに落城。長野氏は没落しました。その後は内藤昌豊・昌月が居ましたが、武田氏滅亡後は滝川一益が入り、さらに本能寺後は北条氏邦が入りました。そして天正18年(1590)には井伊直政の居城となり、慶長3年(1598)に高崎移転に伴って廃城となっています。
minowa01というわけで戦国時代に詳しい方にはよくご存じの城なわけですが、今の遺構は多くが井伊氏の支配期に整備されたもののようで、長野氏の時代を偲ばせるものはあまり無いみたいです。
minowa03うーん、写りが悪いですね…。
これにて巡見終了。この後は東京へ戻りました。

さて、二ヶ月近くにわたって史跡ネタを掲載してきましたが、ネタはこれで尽きました(笑)。というわけで以前の更新ペースに戻ります。

2005.10.20

お説教オヤジが大臣やってる国

ところでかのダメダメ文科相ですが、先日の国会で「教育勅語を読むと、本当にいいことが書いてあるなあと私自身は思っている」と発言したそうです。慣れっこなのか特に問題でもないと思ったのか? マスコミではなぜかほとんど言及されていませんので、一言。
中山成彬文科相の教育政策に関しては、こちらで批判されていますが、これを読むと、どうも思いつきの発言ではなく、本気でそう思っているようで。
で、どれだけ「いいこと」が書いてあるんだろうということで、全文はこちら
一々解釈はしませんが、どうも賛美する方々の中には、「我が」を「我々(国民)が」とかにしたり、「臣民」を「国民」に「現代語訳」するような意図的な曲解が見受けられるのでご注意を。

多分「いいこと」としたのは、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ知能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ」という部分なのでしょう。親孝行をし、兄弟夫婦は仲良く信じ合い、他人を敬い、学問に努めて知徳を醸成し人々の役に立ちましょう…と。まぁ確かにここだけ読めば「いいこと」かもしれませんが、いや勅語の真意はそこじゃなくてその後の部分だし。
それはともかく、そもそもその「いいこと」を法律に書き込んで何か変わるのでしょうか? スローガンとしてはまだわからんでもないが(説教臭いけど)、そんなの勝手に自著なり講演なりでやってくれ、と。教育基本法が無謬だとは言わないけど、変えたら教育が突然うまくいくのか。なぜ教育問題になると相も変わらず具体的な検証を重ねようとせず、わがまま勝手な精神論ばかり押しつけようとするんでしょうかねぇ。

大体、国家のために国民があるのではなく、国民のためにある国家こそが「民主主義国家」である事を大臣に“教育”せねばならないというのは、なんともお寒い話です。

神が降りてくる

…っていうんですかねぇ。文章を書いていると時々ひらめくことがあったり、書籍や史料集を繰っていると面白い材料がぱっと見付かったりすることがあります。
昨日、私のところに神が降りてきたようです(笑)。文章を書いていて少し悩むところがあり、何かヒントがないかとふと古い先行研究の本を読んでいると、非常に面白い史料が引用してあることに気付く。まさに探していたのはこれだ!と夜中に一人で大喜び。

しかし、なぜかこういうのって夜中に経験することが多いような気も…。気のせいでしょうけど。ともかくも、先学の声を聞く事はやはり大切ですね。

さて、来週から二週間ほど多忙モードに。報告2本抱える上に、月末ということで各種研究会が目白押し。週末はまた京都。ふんばりどころ。…なんかあっという間に年末を迎えそうな感覚。

2005.10.19

両毛ツアー(11) 名胡桃城跡

nagurumi08沼田からさらに北へ車を15分ほど走らせ、月夜野町の名胡桃城へ。天正6年(1578)に後北条氏が沼田城を支配に収めた後、対抗する真田昌幸が前線基地として築城したとされています。後に真田昌幸は沼田城を落としましたが、後北条氏の上洛を条件に天正17年(1589)に沼田を明け渡しました。しかしこの名胡桃城はそのまま真田氏のものとして残され、北条方の猪俣邦憲の攻撃を受けたことにより、秀吉の小田原攻めの口実を与えたことになりました。というわけで、後北条氏滅亡の契機となった城とされています。その後しばらくして廃城になったようです。
nagurumi03城跡の中央を国道が横切っていて分断された形になっていますが、遺構はよく残っています。こちらは二の丸。
nagurumi10写りが悪くてすみません…。二の丸から本丸を眺めています。間に大きな堀切があるのがわかります。
nagurumi09こちらは逆に本丸から二の丸方面を眺めたものです。

さて、ここから一気に高崎まで南下。…したものの、昼は看板に導かれて再び伊香保の近くまで戻ってしまい(笑)、水沢うどんを食す。「三大うどん」の一つだそうですけど、知らんかった。味は悪くなかったが、ちょっと値段が張ったかなぁ。
そして、最後の巡見地へ向かいます。

2005.10.18

両毛ツアー(10) 沼田城跡

白井城を後にして、利根川沿いの国道を北へ。小一時間ほどで沼田着。
numata01というわけで沼田城跡。沼田城はこの地域の領主であった沼田顕泰が天文年間に築いたとされています。間もなく後北条の支配下となり、越後の上杉謙信に対する拠点となりましたが、永禄3年(1560)に謙信が支配下に収めています。永禄13年(1570)に北条氏康の子氏秀(のちの上杉景虎)が謙信と対面したのもこの沼田だったそうです。後には真田昌幸の居城となり、関ヶ原後は子信之が入って、真田氏の支配する時期に天守閣が築かれたそうです(本家は信濃松代へ移り、沼田は分家に)。真田氏の改易後は黒田・本多を経て、元守護家(!)土岐氏が藩主となっています。
numata03というわけで、今の姿は近世城郭のもので、その敷地面積も広くすっかり公園化しています。石垣もあるのですが、中世らしいものはありませんでした。
一方天主台には天守閣の礎石と思われるものもありましたが、全然整備されておらず、案内表示もなにもありませんでした(笑)。中世に関心のある者としてはこれといって目を引くものもなく、さらっと見て回った程度で終わりました。

2005.10.17

両毛ツアー(9) 白井城跡

shiroi01三日目。天気は悪し。この日はすべて城跡巡りになっているだけに、実に痛い。
伊香保を下りていくと渋川市。ご存じ足利一門で室町時代には九州探題になった渋川氏の故郷ですが、関連する史跡はあまり無いみたいです。というわけで、今回は通過。
そしてお隣子持村の白井城跡へ。この地域は白井氏という在地領主がいたようですが、室町時代には守護上杉氏の被官である長尾氏が入り、支配するようになったそうです。この系統を白井長尾氏と言いますが、その祖とされる長尾景仲が15世紀に築城したと伝えられています。
shiroi03ここも紆余曲折の末後北条氏の支配下に置かれたようですが、前田利家に攻められて開城。その後は徳川家康家臣の本多広孝が入り、整備されて今に残る姿となったようです。以後数家にわたって城主は変わりますが、元和9年(1623)に白井藩の廃藩とともに廃城となりました。
shiroi05本丸から南方を眺めるとこんな感じ。流れる川は利根川支流の吾妻川です。その向こうに見えるのが渋川の市街地。
shiroi06この一画はすべて本丸だったようです。二の丸以下は宅地化・農地化しています。かなり広大な城郭だったことがわかります。白井藩は最終的には1万石の小藩で、とてもこれだけの規模の城を維持することはできなかったのではないかと。周囲にはかなり深い空堀が巡らされていました。

2005.10.16

九博開館

麻生総務相は15日、福岡県太宰府市の九州国立博物館(九博)であった開館記念式典の来賓祝辞で、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と話した。 (中略)麻生総務相の事務所は取材に対し、発言について「ヨーロッパなどは侵略や民族の移動で文化などが変わった。だが、日本は国家形成の中でそのような歴史がほとんどなかった、という趣旨だったと思う」と語った。 (http://www.asahi.com/politics/update/1016/001.htmlより引用)

対外交流の歴史をウリにする歴史系博物館の開館イベントで、そのコンセプトの根幹を揺るがす発言をいきなり堂々と繰り広げるとは恐れ入る次第で(笑)。こういうのを厚顔無恥って言うんでしょうねぇ。誰だよこんなヤツに喋らせたの。まぁ現文科相はもっとひどいからなぁ…。しかも事務所の「弁明」も恥の上塗り。少しくらい日本史の概説書程度でも読んだらいかが?
真意が奈辺にあるのか怪しいにしても、まだムネオさんの方が配慮があるというもの。

ともあれ開館おめでとうございます。私もなるべく早く一度行ってみたいです。それにしても、何年も開館準備に追われたスタッフの方々はこのアホな発言にさぞかしずっこけたことでしょう…。お察しします。

2005.10.15

両毛ツアー(8) 生品神社・長楽寺

ikushina03次に訪れたのは新田荘故地。まずは生品神社(太田市、旧新田町)。元弘3年(1333)に後醍醐天皇の綸旨を受けた新田義貞が挙兵した所とされています。はじめはわずか150騎だったが徐々に加勢を得て、わずか15日で鎌倉幕府を滅ぼしたと言われています。今は産土神として信仰を集めているようでした。
chorakuji01続いては長楽寺(旧尾島町)。かの世良田地域に建つ寺院で、中世文書を多く伝える所として著名です。本堂は去年建て替えたそうで、非常に真新しいものでした。木造で新しいお堂を見るのはかえって珍しい。
世良田に建ち、近くに徳川の地名があるなど、徳川氏にとっては「発祥の地」として重視された地域で、この長楽寺に残る建物は近世に臨済宗から天台宗へ改宗した後に建てられたもので占められています。ここも中世を偲ばせるものはほとんどないのですが、写真の宝塔(重要文化財)は建治2年(1276)建立の銘があり、中世のものです。
chorakuji02隣には世良田東照宮があります。徳川氏発祥地として寛永17年(1640)頃に建立されたそうです。本殿はこの時新築されたものですが、写真の拝殿(重要文化財)は日光東照宮から移築したものだそうで、元和期のものとされています。
chorakuji03こちらの鉄灯籠(重要文化財)は日本最大のものだとか。元和4年(1618)に上野総社藩主秋元長朝によって造られたそうです。

近くに東毛歴史資料館もあったのですが、既に時刻は午後5時に近かったのでパス。ここから宿の伊香保温泉まで一気に移動しました。伊香保は土砂降り。宿の人によれば伊香保は元々雨が多いそうですが、それにしてもついてない(笑)。あんまり深酒せず、ゆっくり休む。これで二日目終わり。

両毛ツアー(7) 金山城跡その3

kanayama18ここが本丸です。下の郭と打って変わって、史跡としての整備はほとんどされていません。おそらく神社が鎮座するためでしょう。新田一族の城ということで、新田神社です。
kanayama19本丸の周囲を、藪をかき分けて(笑)入っていくと、当時の石垣があります。関東にあっても、戦国期の城郭で石垣が見られるのは結構珍しいみたいです。でもどうでしょう。この石垣が整備されたのは、時代的には16世紀後半くらいでしょうかねぇ?
kanayama15ところでなぜか、この城は本丸の下にこんなに大きな池があります。先に見た大手口のすぐ脇にも池があって、この二つがそれぞれ「日」と「月」と呼ばれて対になっていたそうです。観賞用とか籠城時の水確保のためとかいろいろ説はあるそうですが、しかし珍しい。
kanayama13この写真はちょっとわかりにくいんですが、金山城の変遷がわかるように敢えてこのように整備せず残してあるそうです。内側の石垣が古いもので、外側に向かって新しくなります。つまり時代を経ることに、外側に新しく石垣を積んで再整備していた様子がわかるわけです。一番内側は石も小さいですが、外へ行くと石も大きくなったりと、その規模の変遷がよくわかります。金山城の歴史は100年強しかないのですが、その間に何度も改修したことがわかります。

金山城はこれでおしまい。さて、ここでようやく全行程の半分くらいでしょうか。あまりのんびりしていると記憶が段々薄れてしまうので(笑)、これから少しペースアップしたいと思います。

2005.10.14

喉元過ぎればなんとやら

阪神電鉄やTBSやらの問題が派生して、またプロ野球の合併やらなんやらと噂されているようで。まぁ現段階だと所詮はゴシップの域を出ないが、今プロ野球にとって必要なのは、こういうゴタゴタで世間を賑わさないようにして、イメージダウンを避けることだと思うんですがね。カネの亡者たちは、その辺への配慮がどうも足りない。

知名度のある選手を掻き集めることだけに終始して、ただ世間を賑わせることだけでしか維持できない、テレビ頼りの「人気」なんか別に落ちても構わない。重要なのは、「気付いた時には必ずそのままの姿でそこにある」安心感を民衆に与え続けることではないのか。それが「文化」ではないのか。今ある姿はすべて廃棄すべき古びたものにしか映らないのか。彼らには「温故知新」という言葉を謹呈したい。

さて、某球団のある人が、「チームはファンのもの」と言って怒っているらしい。ちゃんちゃらおかしい。プロ野球の球団であれ、会社であればそれは株主のもの。今更資本家が札束をちらつかせながら土足で入り込んできたところで、経営側の人間がうろたえてこんな言辞を吐く方がどうかしている。それもこれも、プロ野球を「文化」に育て上げることに失敗したということ。これまで散々「マネーゲーム」で選手を掻き集めて勝ってきた人が、まして球団経営を黒字にすることが第一義だと言っておきながら、その態度はない。

「ファンをなめている」と某球団のファンが憤慨しているそうですが、そうです、当然なめられています。だって資本“主義”社会だし。カネのある人の勝ち。資本家のための社会ですからねぇ。「アメリカ流」に憧れてそういう社会を選んだんだから仕方がないでしょう。「経済的平和ボケ」にどっぷりつかった我々には、ちょっとはいいクスリになったんじゃないでしょうか。

両毛ツアー(6) 金山城跡その2

kanayama10さて、これより主郭へ。まず「大手虎口」とされた所。安土城を彷彿とさせる立派な大手道があったようです。このように石を敷き詰ると、排水がお粗末だと崩れてしまうので、しっかり排水溝が整備されていたそうで。
kanayama12上から見るとこんな感じ。
kanayama17さらに反対側から。この写真の一番上にある場所が二の丸と考えられているようです。というわけで、この辺りは三の丸とさらに下の郭で、それでいてこれほどの規模が整えられているのは凄いです。
本丸等、残りは次回に…。

2005.10.13

新たなる出発、新たなる出会い

yoshida1写真は京都の吉田神社。ここも今はあんまり中世の面影がないです。ご存じ京大のそばに鎮座。私が受験生の頃、「ここで合格祈願すると落ちる」という都市伝説が流布していましたけど(笑)、実際はどんなもんなんでしょ?

ところで日本史研究会でお会いした方々のうち、複数の方から、「サマーセミナーの報告は論文にするんですか?」という質問をいただく。諸先学の皆さんにこれほど気に懸けてくださると、嬉しいやら恐縮するやらで…。ともあれ有り難いことです。
もちろん私自身もそのつもりでいたので、着手。いつできるかわからないし、出来映えがどうなるかもわからないけど、しばらくはこれを課題として頑張りたいと思います。もちろんそのまんま文章にするわけにはいかず、問題点が結構あるので、それをクリアできるかどうかがヤマですが。

一方、別件で勉強会の報告準備があるのでそちらも並行して。こちらはとある本の書評だけど、時代も分野もまったく専門外で(一致しているのは「中世」ってことくらいかも(笑))、読む前はかなり不安だった。ところが読んでみるとこれが結構面白い。まるっきり専門外だからかえって気楽に読める側面もあるんだろうけど、実際に非常に勉強になる本だという事だろう。狭窄化する一方である私の視野を少しでも広げてもらえそうで、良い本に出会ったなぁ、と少し幸せな気分を味わっています。


…というお話なんですが、タイトルが少し大仰ですかね(笑)。あ、そういや先日書いた「とある仕事」、やはりバレバレみたいですね(笑)。まぁなんというか…(生?)温かい目で見守って下されれば幸いです。

2005.10.12

両毛ツアー(5) 金山城跡その1

kanayama02群馬に入り、太田市の金山城跡へ。新田一族である岩松氏の居城です。応仁3年(1469)に家臣の横瀬国繁に命じて築城した、とされています。しかし実権は横瀬氏(のち改姓して由良氏)に移り、戦国期は同氏の居城として表れます。ここも唐沢山城同様に難攻不落を誇ったようですが、天正期に後北条に明け渡し、小田原落城とともに廃城となりました。詳細はこちら
kanayama03ともかくも、この城跡はビジュアル面で圧巻です。復元整備が積極的に進められており、その規模の大きさを体感できます。
kanayama04
kanayama06今回の写真は縄張りとしては城の外郭部に当たりますが、それでいてこれだけのものが築かれていたというのは驚きです。おそらく廃城寸前の時期のものとは思われますが、頻繁に戦争に見舞われた地域なだけに、城がこれほど大規模化したのでしょうか。

2005.10.10

5年ぶりの日本史研究会

…というわけで、行って参りました。昼前に乗ったためか、思ったより新幹線は空いていました。
土曜日の全体会の開始時刻には間に合わなかったので、途中から拝聴。対外関係ということで関心のある分野だったけど、個人的には最近ご無沙汰の宗教史関連だったので、頭が慣れるまで少し時間がかかる(笑)。空いた時間に急いで本を購入。
討論は聞かずに早めに会場を出て、東京からの同行者と懇親会場へ先に来て(笑)酒盛り。懇親会の方は予定時刻を過ぎても人気がなかったので、やはり遅れているなと言いながら内輪話。

さて予定時刻より半時間ほど過ぎた頃から懇親会場に人が集まり始めたようなので、移動すると丁度乾杯する場面だった。予定よりだいぶ人が来たようで多少手狭だったが、それが逆に幸いしていろんな人とお話することができた。終了後はまた同行者と一杯ひっかけて退散。実家泊。

日曜。今年は古代と中世と会場が一緒だったので、着いた頃はまだ古代の報告中。少しだけ拝聴。史料が難解だったけど(笑)、結構興味深く聞かせていただきました。門外漢にもわかりやすい良い報告だったと思います。
さて中世の報告は…。先行研究の盲点を突くというコンセプトでの報告。確かに流通史研究ではまだまだ中世と近世との「対話」が少ないように思えるので、そこを突いた問題提起は重要だと思う。ただし報告自体がその問題提起にどこまで応えたかと言えば…? 課題はたくさんあるなぁ、という点を再確認することはできたが。
討論は古代から先にやるという設定だったため、昼間は4時間近く待ちぼうけ。これがちょっと辛かったなぁ。空き時間を利用して博物館へ行く人も多かったが(そしてそのまま帰ってこなかった人もいたが(笑))、そうすればよかったかも。古代と中世とを同じ会場でやるのは構わないが、この辺をもうちょっと改善してほしい。結局最後まで居られず、帰京。
睡眠不足もあったけど、一泊にしては少々疲れた遠征でした。

2005.10.08

京都、行こう

さて、本日より京都へ。去年は見事に台風の影響を食らって行けなかったが、今年は雨に降られるくらいで済みそうですね(笑)。
とはいえ、今年は周囲で京都へ行くという人は少ない。きょうび流通史は流行らんのかなぁ。私なんかは久々にど真ん中なネタなんで嬉々としているわけですが。まぁ3連休は逆に遠距離を動きにくいというのもあるかもしれないけど。

ところで、結局今週は作業がほとんど進まず。非常にまずい事態。事情があって飲む日が多かったせいもあるけど、やはり基本的に自覚が足りない。気合いを入れ直さないと…。

2005.10.07

両毛ツアー(4) 鑁阿寺

ashikaga01初の足利入り。やはり一度は来ておきたい所だったので、感慨もひとしお。
ところが、休館日でもないのに足利学校が「臨時休館」という事態で中に入れず。一同大ブーイング。なんとか入れないものかと入り口まで行ってみるものの、やはり無理で諦める。
bannaji03というわけで、鑁阿寺へ。元々は源姓足利氏の居館でしたが、足利義兼が建久7年(1196)に持仏堂を建てたのを契機として、後に寺院となりました。写真は大御堂(本堂:重要文化財)。
bannaji05こちらは経蔵(重要文化財)。応永14年(1407)に鎌倉公方の足利満兼が建立したと言われています。
今に残る寺は多くが境内を縮小しているのですが、鑁阿寺は今も結構境内が広く残っていました。平日に来ただけあって閑散としていて、より広さが感じられました。とりあえず初めての参詣を叶えることができて、満足でした。

少し時間が押し気味だったため、長居無用ということで早めに引き上げる。渡良瀬橋を渡りつつ、これにて栃木を後にして群馬へ入ります。

「エンタ検定」

+++ 第1回 エンタ!検定 成績発表 +++

あなたの総合得点は61点  全国平均 60点
全国順位(10月7日 3時現在)
17878位(38518人中)
--ジャンル別得点表 ---------------
    0_________10__________20点
映画 ■■■■■■■■■■■
テレビ■■■■■■■■■■■■■■
音楽 ■■■■■■■■■■■■■
書籍 ■■■■■■■■■■
芸能 ■■■■■■■■■■■■■
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--講評---------------------
あなたは「エンタの玄人」
あなたは忙しい仕事や勉学のかたわら、世間の流行情報チェックを怠らない努力家に違いありません。ジャンル別にみると、「映画」「テレビ」「音楽」「書籍」「芸能」は平均的に知っています。仲間内で、あなたの好きなジャンルの話題になった場合、率先して盛り上げましょう。情報は発信する人に集まってくるものです。
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平均点スレスレなんだが、「玄人」なのか。となると、日本人は「玄人」が平均的なのね。まぁ、テレビマニアな国民性だからそういうことなのかもしれず(笑)。
当然ながら、小説・映画系は苦しいっす。読んでもないし、見てもないんで。

2005.10.06

両毛ツアー(3) 唐沢山城跡

二日目は今回の行程で比較的天気に恵まれました。鬼怒川から大きく南下して佐野へ。少々効率の悪いルート設定だったのではないか、という疑いも漏れる。
karasawa01そして唐沢山城跡へ。藤原秀郷やその流れを汲む藤姓足利氏の末裔と言われる佐野氏の本拠です。かの上杉謙信や後北条氏から何度も攻撃を受けましたが、ついに落城を果たせなかった堅固な城として著名です。
karasawa09二の丸から本丸を望むとこんな感じ。結構立派な石垣が残っています。ただ、これは佐野氏によるものではなく、その後支配した後北条氏によるものではないかと考えられているようです。縄張りは順次拡張されたにせよ、基礎的なものはかなり古い時代に確定していたようですが、後北条の時代になって大幅な改修が施されたと考えられます。
karasawa02物見の場所からの眺め。なかなか良い眺めでした。
余談ながら、佐野氏は江戸時代に旗本として残りましたが、分家に田沼氏がいます。田沼といえば意次。その息子の意知を刺殺したのがそういえば佐野政言でした。なんか系図の貸し借りを巡るトラブルが原因だったという説があるそうですが、抬頭する分家と、落ちぶれた本家との根深い確執があったんだろうなぁ…などと想像したり。
あと、日本一多い名字の「佐藤」は佐野氏にルーツがあると言われているそうですが、ほんとかなぁ?

さて、その後JR佐野駅の近くでラーメンを食す。うまかったです。しかも安いのが本場らしくて良いです。ただ昼時だったので仕方がないけど、出てくるのに少し時間がかかったため、やや時間ロス。そんなこんなで、いよいよ念願の足利へ向かいます。

2005.10.05

両毛ツアー(2) 日光再び

宇都宮から高速を飛ばして日光へ。去年ようやく初めて行った地だが、今年もまた来ることに。

日光では自由行動に近い扱いになったので、去年行きそびれた輪王寺と大猷院をメインに回る。
rinnoji01輪王寺は、中世では山岳修験の道場として栄えた歴史を持っているのですが、往時を偲ぶものはやはりあまり無くて、写真の三仏堂(重要文化財)をはじめとして、今の伽藍はすべて近世以降に建てられたもののようです。かの有名な天海が住職となったのがターニングポイントでした。三仏堂も正保2年(1645)に徳川家光によって建立されたものですが、これだけ立派なお堂が建てられたのも、家光の日光に対する並々ならぬ思い入れによるものなのでしょう。
taiyuin02そしてこちらはその子院である大猷院。家光の墓所です。写真はそのうちの二天門(重要文化財)。家光自らの意向ということで規模は控えめなんですが、いかにも墓所というような造りで、いくつもの門をくぐりながら階段を登るといったしくみになっていました。

あと一応東照宮と二荒山神社にも再び行きましたが、今回は家康墓所までは行かず。今回は平日午後だったこともあってか、すごく空いていました。東照宮ではひたすら灯籠の銘を見ていました(笑)。奉納者を憶えているまま書き連ねると…、細川忠興・伊達政宗・伊達秀宗・毛利秀就・松平忠長…などなど。二荒山神社では、去年は見なかった鎌倉期の灯籠(重要文化財)を見ました。
futarasan13この灯籠は「化灯籠」と言われ、銘によれば正応5年(1292)に鹿沼権三郎入道教阿と清原氏女が奉納とありました。今に残る中世の銅灯籠としては最大級だとか。「鹿沼」の名が登場する初めての事例でもあるそうです。

ところで日光の語源は二荒がなまってということなんですが、本当なんでしょうかね? ついでに、「宇都宮」も「一宮」がなまったのだとか。

さて、これらを回ったところで日暮れ。神橋が特別に渡れるということだったが、パスして宿の鬼怒川温泉へ。なかなかいい宿でした。鬼怒川に泊まったのは初めてだったけど、思いの外閑静な感じ。悪い言い方をすれば、随分寂れてますね(笑)。そんなこんなで、一日目終わり。

2005.10.03

最終学期へ

ついに学生最後の夏休みも終わり、今週より最後の学期へ。といってもまぁ、今学期中に博論を出すのは不可能なので、とりわけ深い感慨もないですが…。

それよりも、年末年始頃はとある仕事で首が回らなくなりそうなので、今の内に自分の仕事を進めておきたい。しかし今月はそれぞれ別の勉強会で2本報告を抱えている上、学会出席で2回京都に行くことになりそうなど、少々時間的余裕に不安も…。
そんな中、先月中に1本投稿準備を整えることが出来たのが嬉しい。これからは、次に取りかかりたいネタが前々からあったので、今月中になんとかそれも…。あと、それとは別に今学期のゼミで報告するネタの準備も…。うーん、やりたい事はたくさんあるけど、実現できるんだろうか。そろそろ博論の形も見据えないといけない段階にあるので、この半年が勝負になりそうです。

ところで、今週末の京都は凄いことになりそうですね。いや、学会じゃなくて観光客が(笑)。ネットの宿泊予約サイトでは、土曜の宿泊はまったく空きがなし。周辺の大津も厳しいようでした。こりゃ実家に泊まるしかないかな…。ここぞとばかりにJR東海も宣伝打ってるしなぁ(例の「そうだ、京都、行こう」)。いやはや恐るべし京都。

最後に…。桜井英治『破産者たちの中世』(日本史リブレット27、山川出版社、2005年)購入。

ドタバタドラフト

プロ野球のドラフト会議は、今年から高校生と大学生・社会人とは別々に開催されることになった。というわけで、今日高校生のドラフト会議。
まぁ結果についてはあれこれ言うまい(笑)。しかしまぁ、初めてだからと笑って済ませることなど到底できないあほらしいミスにあきれた。最初にどれが「当たり」なのかをちゃんと説明もせず、抽選後確認もせず「確定」のアナウンスをするなど、信じがたいミスが連続して実に興ざめな結果と相成った。それでも傍観者は「アホなミスしおって」で済むけど、当事者の心情を思うといたたまれない。

結局何を「改革」したのかよくわからないプロ野球組織。お飾りを自認して高給をむさぼる例のコミッショナーは結局その座に居座るわ(どうせこのトラブルに関しても「我関せず」なんだろう)、枠は減ったものの、逆指名制度自体はそのまんま(ましてや、まったく趨勢に逆行して「自由競争にしろ」なんて吹く成金アホオーナーもいるし)。そんななか今日のくだらないミスにあたふたする姿を見て、大衆は何を思ったか。

「あぁプロ野球はやっぱりダメね」

少しは現状を直視してはどうですかね。
ま、新人であれ移籍であれ、入団する選手は頑張って欲しいものです。その一人に例えば清原がいても、ほかの選手と分け隔てはしないです。特別扱いもしないけど。

2005.10.02

両毛ツアー(1) 飛山城跡

播州編が終わったところで、次は先々週に行ったゼミ合宿の顛末記をば。
合宿初日。東京を朝出発し、一路宇都宮へ。最初に行ったのは宇都宮市の鬼怒川沿いにある飛山城跡です。
tobiyama01この城は永仁年間(13世紀末)に宇都宮氏被官の芳賀氏によって築かれたとされています。以後、戦国期まで芳賀氏の居城となっていました。
国史跡に指定されているだけあって、復元整備もしっかりされています。もっとも逆にしっかり整備されているとかえって想像が膨らまなかったりもしますが(笑)。あいにく連休明けということで、併設の資料館は休館。天気も悪く、眼下に流れる鬼怒川の眺めは圧巻だったのですが、写真の写りは悪くボツ。
tobiyama08というわけでこんなにわかりにくい写真しかないのですが…、奥の林になっている箇所が本丸だと考えられている所です。本丸は川の浸食を受けて半分以上が崩落したと考えられているため、残っているのはごく一部のようです。
haga飛山城の北側に集落があります(今は「道場宿町」)。おそらくここが舟着になっていて、芳賀氏が鬼怒川の水運と関わっていた可能性が考えられます。この集落には芳賀氏の菩提寺である同慶寺があって、今も墓所が残っていました。石の積み方は滅茶苦茶ですが(笑)。

この後宇都宮の二荒山神社とできれば宇都宮城跡へ行く予定だったのですが、市内へ入ると土砂降りだったためパス。昼に餃子を食べて日光へ向かいました。

トラックバックポリシー

最近、トラックバックで主にアダルトサイトと思われるページへのリンクが貼られるケースが出てきました。私のところはまだ数えるほどですが、有名ブログだとかなりの数が貼られる被害を受けているようです。最近迷惑メールへの規制が徐々に強くなってきた一方、まだ対策が手薄なブログを標的にする動きが出てきたようです。その熱意というか執念深さには感心するやらあきれるやらで。もっと違う所に努力を傾注すべきではないかと思うんですがね。
で、当面の対策としては、見つけ次第片っ端から削除しています。また不良サイトと思われる場合は一発アウトでIPを投稿規制リストに登録しています。個人ブログであっても、記事内容と無関係のトラックバックは今後遠慮無く削除します。ただし個人の場合は、悪質と判断するまでは投稿規制はかけないつもりです。

今後さらに酷くなっていく事が懸念されますが、対応しきれなくなった場合にはトラックバックを受け付けない設定にする事も考えなければならないかもしれません。まぁ私のブログは元々トラックバックは少ないので、なくしても特に実害は無さそうですし(笑)。しかしこの機能はブログの特性の柱でもあるわけですから、なるべくこのシステムを大事にはしたいと思いますので、当面は我慢するつもりです。

迷惑メールの方はといえば、携帯の方はかなり規制がかかっている一方、パソコンの方はまだまだですね。私はアドレスを公開してきたこともあって、最近では一日に100通以上も来ます(笑)。ただフィルタソフトを使用しているのであまり気になりません。むしろ無い知恵を絞ってあの手この手で引っかけようとする手口を見て愉しんでいたりもするんですが(性格悪い)、それもネタ切れなのか、笑わせてくれるような面白いものにはなかなか出会えません。迷惑ついでに、せめて少しでも笑わせて欲しいものです。

2005.10.01

播州の史跡(7) 円教寺その2

shosha12前回分の本堂等のある所からさらに少し奥へ行くと、鐘楼(重要文化財)がありました。築年代はよくわからないみたいですが、鐘は鎌倉期のものでもあることから、鎌倉後期と推定されているようです。
shosha13そしてその近くに、姫路藩主の榊原家墓所がありました。榊原氏は17世紀半ばと18世紀前半の二度姫路藩主となっているのですが、ここの墓所の奥に見える墓は、前の時期に早世した榊原政房と、後の時期に早世した榊原政祐の二人のものだそうです。案内によると、享保19年(1734)に政祐の養子政岑による建立。別の所には、17世紀前半の藩主本多氏の墓所もありましたが、こちらは閉め切られていて撮影できなかったのでパス。このように、近世に入っても藩主の崇敬を受けていたことがわかります。
shosha02あとはおまけ。境内にあった笠塔婆。延慶4年(1311)のものだそうです。
shosha15さらにおまけ。これぞ現代の禁制(笑)。

さて、播州のシリーズはひとまずこれで終わりです。ほかにもたくさん史跡はありますが、また機会を見つけて回ってみたいと思います。その時にはなんとかちゃんとしたカメラを持っていたい…。

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