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2006.02.19

謀略説という禁じ手

31661052鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか-本能寺の変・謀略説を嗤う』(新書y149、洋泉社、2006年)購入。「本能寺」ものはあまたあれど、私が買ったのはほぼ初めて。副題がかなり前衛的ですね。
まだ一部しか読んでいないのですが、仮想敵はTさんとFさんの模様。確かになぜ「謀略」が無ければならないのか。「本能寺」ものを含めてあらゆる有名な歴史的事件を対象とした「謀略」の存在について、私は説得的なものに未だかつて巡り会ったことがないので、そこに一石を投じる価値はありそうですね。

本の中で、日本人は「謀略」の存在を考えたがるというような趣旨のことが書かれていますが、本当だとすると、みんな何事も「理屈」を付けたがるってことなんでしょうね。もっともその「理屈」が荒唐無稽であれば、「超常現象」の存在を信じることと同じなわけですが。あり得ないものを信じる、という点では。
もっともそういうものも含めていろいろ夢想することが個人的な嗜好の範囲であればいいんですが、主張する人は決まって声が大きく、また居丈高になるのが困りもの(これもこの本で示唆されていますが)。他人を納得させたいなら、常に自説に謙虚であり、絶えなく自省することが必要ではないでしょうか。反面教師としたいものです。

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コメント

 日本人の謀略説好きは、たぶん奇襲好きに通じるものがあると思いますよ。まともな理屈にまともに正面からぶつかっても勝てないという意識が強いんでしょう。
 声が大きくて居丈高という点では、件の書の著者コンビがまさにそういう方々ですから、副題も含めて、もう少し穏便でもよさそうな気がします。

それもそうかもしれませんねぇ。「不利な側が正攻法で勝てるわけがない」という先入観がかなり強固ですから。奇襲にしろ謀略にしろ、こういうのはおそらく講談とか小説とかで長い年月を経て培われてきた結果のようにも思いますから、確かに日本人が特徴的に持っている嗜好性なのかもしれませんね。

奇襲については桶狭間の方で、こちらも藤本さんはかなり先鋭的かつ攻撃的ですね(笑)。
以下、話は逸れますが桶狭間について。

確かにこれについては、奇襲説を拒む著者側の意見もやや説得性に欠ける印象が残りました。論拠が『信長公記』のみなのはまぁ措くとして、数的優位は戦場では大した意味を持たないという前提は、それこそ場合によりけりじゃないかなぁと思うんですがねぇ。

もっとも数的不利を承知で正面切って突っ込むような戦術が戦術として成立していたと考えられるならば、それもそうかもしれませんが…。しかしそれをどうやって客観的に証明することができるんでしょうかねぇ。私には出来ません(笑)。

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