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2006年3月

2006.03.30

門出を祝いつつ思うこと

研究会続き(=飲み続き)で、またしばらく沈没してました。
しばらく仕事に忙殺されていて、なかなか楽しく飲む機会がなかったので、ここぞとばかりに発散したような感じ。これをエネルギーに変えて、抱えている課題に鋭意取り組んで行きたいものです。

そんななか、後輩の追いコン挙行。私が東京に来てすぐに出会ったので、かれこれ4年の付き合いになりましたが、なんかあっという間でした。直接研究に関わる仕事ではなくとも、今後もなんらかの形で研究を志す意志はあるようなので、実際に研究するかどうかはともかく、その熱意は持ち続けてもらいたいなぁと思います。

今月はあと一件、元バイト仲間の就職祝いが控える。こちらも同じく4年の付き合い。私は「先輩」としては大したことは出来なかったけど、バイトを続けてがっちり培った社会人としての能力を是非発揮していただきたいと思います。

そして私は…。学生としての生活が終わります。生活環境自体は年度が変わっても基本的に変わりませんが、12年間背負ってきた「○○大学」という肩書きが消えるというのは、それなりに不安もつきまといます。その不安を吹っ飛ばせるだけの自信を身につけることがまだ出来ていないということか。齢は重ねれど、中身はまだまだです。

2006.03.26

初開幕戦

20060325各種研究会等が続いたので少しどたばたしてました。金曜は普段行かない研究会に行ったので怖じ気づいた(笑)ため質問はしませんでしたが(実際は、質疑の時に少し頭がボーっとしてしまって途中聞きそびれたために、質問が重複したらまずいと思ってやめたんですが)、勉強になりました。珍しく飲まずに帰ったんですが、帰ってから「あぁこういうのも聞いておけば良かったなぁ」などと思ったり。

さて、いよいよパリーグが開幕しました。WBC? どうでもいいってことはなかったですが、あんまり熱中できませんでした。それよりパリーグです(笑)。
実は、私は開幕戦に行くのは初めてでした。ほんとは去年行く予定だったんですけど、あのゴタゴタがね…。なんかもう世間的には忘却の彼方ですが。
それにしても凄い観客の入りでした。さすがに開幕戦とはいえ世紀の不人気カードだし(笑)、1時間半前なら余裕だろうと思ったんですが、考えが甘かったです。「WBC効果」と謳ってましたが、どうなんでしょうねぇ? この試合の場合、やっぱ始球式の起用が当たったんじゃないですかねぇ。さすがに始球式が終わってすぐ帰る人は目に付きませんでしたが。「ついでに清原も見て行こうか」ってなところでしょうか。それでリーグの人気が上がるならば、喜ばしいことではありますが…ね。

ともかくも、今や私のほとんど唯一と言ってよい趣味がまた楽しめる季節がやってきました。でも今年はあんまり行けないかもなぁ。

2006.03.23

出処を明示せよ

なんとなくNHKにチャンネルを回すと、凄まじい軍艦から、大砲がドッカンドッカン。
…やれやれ。
まぁ、それはともかく。

「その時歴史は動いた」のアンコール放送だとかで木津川口の戦をやっていたようですが、相変わらず「これぞ史実」という語り方が耳障りです。ここによればわりと事前に検討しているようですが、それを一言も番組で触れないのはアンフェアではないか。「石山」か「大坂」かに拘る前に、やることがあるでしょうが(だいたいその一方で当時存在しない「水軍」という語句に固執するのは、二律背反である)。せめて、考証に関わった「専門家」の名前を明記すべきです。

ドラマのみならず、教養路線の番組でもこれだから頭が痛い。こんなことを書くのは大人気ないことはわかっていますが、でも、そういう突き放した態度で居続けても決して良化するとは思えないわけで…。

2006.03.22

「賀茂別雷神社文書」が重文に

そういえば思い出したのですが、「尚家資料」が一括で国宝指定されることになったのと同時に、「賀茂別雷神社文書」が重要文化財に指定されることになったそうです。

重文のうち「賀茂別雷神社文書」は平安期から近代に至る古文書群。葵祭など祭事、神社領地に関する記録、江戸期以来の公的日記など1万3639点に及び、府教委の調査で全容が分かった。聚楽第造営に人足を出すよう秀吉側が命じた文書など新資料も多数含み、時代ごとの政治社会の断面をうかがえる。また、北野天満宮の「木造鬼神像」は憤怒の表情、上半身裸の素朴な13体の像(高さ76~60センチ)。平安期、京の辻々に置かれたらしい。庶民の信仰の姿を知る貴重な民俗資料だ。 ─http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20060318ddlk26040398000c.htmlより

 全部で1万3000点以上もあるのか…。そのうち私が内容を確認できているのは、おそらく3分の2くらいかもしれない。やはり新出史料がたくさんあるようで。重文指定を機に、翻刻作業のみならず、とりあえず目録作成や全点の写真公開が進むよう期待したいところです(ただし、京都府立総合資料館では果たされているかもしれない。未確認)。

ともかくもまぁ、未だに一巻しか出ていない「史料纂集」本をどうにかしてください(笑)。

2006.03.20

「おじさん」リーチ

私事もいいとこなので書くべきかどうか迷ったんですが、ええいままよということで。

ついに弟が結婚するそうです。覚悟はしていましたが、先を越されました。
先日別の用件があって実家に電話したら、「あ、そうそう、結婚するから」って。おい。ついでに思い出して話すようなネタなのか。しかも来月に某千葉県最大のテーマパークで結婚式やるそうで。来月って、おい。実の親にも余程の暇人だとインプットされているらしい…。

先方のご両親に最低でも一度は会っておかないとまずいだろうから(会わないでおくと、きっといつか「変わり者の親戚」のカテゴリに分類されかねない、いや、実際そうか(爆))、そういう意味では関東でやってくれるのは有り難いか。しかし某ねずみーらんどとはいえ、弟にとっては縁もゆかりもない千葉でよく結婚式挙げる気になるもんだ。

そこで一番問題なのが、私の今の身分の説明。親でさえ説明に難渋するのに、ましてや初対面の相手にどのように話せば、少しはイメージしてもらえるのだろうか…。一般的な書類の職業欄が「その他」な身分になる(一応無職とかフリーターではない)だけに、これがかなり気が重いです。こういう時って、名刺渡しちゃってもいいのかなぁ? 説明するために幾分楽になるのだが、これから身内になろうという人に、名刺渡すのってもなんか気が引ける。

ところで親との電話の中で、「家買ってお金無くなったらしいから身内だけでやることになった」とさらっと言ったのを聞き漏らさなかった。くそー、家まで買ったのかよ。それに引き替え…(自分で言うな)。
ってか住所聞いてねぇし教えようともしないのはどういうことだ…。あぁ「変わり者」な親戚の悲哀。

2006.03.19

国立博物館・美術館の「改革」

今国会で、文部科学省は「独立行政法人に係る改革を推進するための文部科学省関係法律の整備に関する法律案」というのを出しています(中身はここにあります)。アホ野党とスキャンダルばかりを追うマスコミのお陰で法案審議にまったく世間の目が向かなくなってしまったこともあってか、私の知る限りこれについてのマスコミ報道は皆無なので、一言。

まぁ要するに、例の独法改革の文部科学省版です。至近では17日に衆議院で審議がされていますが、それを見る限り、青年の家関係の統合問題が主要議題だったようで、この中にある国立博物館・美術館の「改革」についてはほとんど触れられずじまいだったようです。
具体的には、これらを「特定独立行政法人」から「(特定ではない)独立行政法人」にする、というものです(違いなど詳しくはこちら)。要するに、職員を非公務員化するってことで、それ以外は法的には明確にはされていないのですが、現実的には、採算性重視の「経営」を行うよう無言の圧力がかかることになると思われます。
私の見た限りでは、わずかに保坂展人議員(社民党)だけがこの問題を取り上げていて、小坂憲次大臣は、採算性重視によって設置趣旨を損なうことはあってはならない、という旨の答弁をしてはいましたが…、どうでしょうかねぇ? 「独法化」によって変わった点について役人は、コンサートホールとして使えるようになったとか、そういうことを言っていましたが…。少なくとも学芸員の勤務実態に配慮した発言だとはとても思えませんし、あくまで一例だとしても、その中のとっておきの代表例が、美術館でコンサートができるようになった程度のことなの? かつてホリエモンがフジテレビを買収してどんなメリットがあるかと問われた時、真っ先に「女子アナのブログを開設できる」なんて言って失笑を誘ったものですが(笑)、それと同じレベルだとしか思えない。まさに「理念無き改革」ではないか。

実際の審議では、特定ではなくなった独法の役員がほとんど天下りで占められている点が指摘されていました。すなわち非公務員化なんてのは詭弁である、と。また、法人の執行役員が全部(元)役人になっていて、どこに「民間の手法」を導入する余地があるのか甚だしく疑問だ、というわけです。それを追及するのはもちろん重要なことです。
職員の身分を公務員とするか非公務員とするかという話については、それはどっちが良いのかはわかりません。しかし現に天下りは止まっていないし、かえって「採算性」ばかりが言われ(そもそも独法の理念に「独立採算」などと謳ってはいない)、結果として国民の利益を著しく損なうようにならないことを、切に願うばかりです。
博物館や美術館を有効利用することは大いに結構だと思いますが、"小難しい"展示が撤去され、そのスペースは"体験学習"と称した単なる遊戯施設となってしまい、さらには企画展スペースが単なるイベントホールと化して、「ほら、改革の成果が出てきている」と言うのは勘弁願いたいです。

なお、残念ながら法案は委員会採決で可決しました。このまま行けば、平成19年度から国立博物館と美術館から「特定」が外れることになるようです。

2006.03.18

プリンタ新しくなりました

あまり積極的に考えていなかったのですが、わけあってプリンタを新調しました。今までのはもう5年過ぎていたし、以前書いたようにUSB接続にやや不具合があって不安だったし、何より紙送りにかなり支障が出ていたので、タイミングとしては良かったのでしょう。

しかし今や、「プリンタ」という名称すら憚られるようになったんですねぇ。「複合機」なんて言われているようですが、コピーもスキャナもあれば、FAXも付いているとは。最近のパソコン周りの機器に関する動向には疎かったし、突如新調したこともあってカタログでしか見ていなかったので、現物を見てびっくりです(箱のでかさにもびっくりしましたが(笑))。
特にコピーが助かりますねぇ。近くにコンビニがないので、家で作業中にコピーが必要になったりすると困っていましたから。スキャナの活用は、論文等のコピーのペーパーレス化のために有用だという説もありますが、私も将来そのような可能性を探ってみようかな、とも思います。実行するかどうかは未定ですが。

大袈裟ですが、ほんとにこれ一台あると家がオフィスになったかのような感覚になりますね。この進化ぶりにはびっくりしました。

2006.03.17

妄想と論証のはざまで

書類処理が一段落し、ぼちぼちととある論文の手直し。
核心部分が説明不足ということであれこれ自分でも考えながら書き直してみると、かなり内容が変わる(笑)。どうも当初の構想から後退したような気が…。妄想が修正されたということであれば良いことだったのかもしれませんが、インパクトが無くなってしまうような気がして(つまり、論文としての斬新性=そもそもの存在価値が低い、ということに…)。

あと、当然ながら説明を増やすとくどくなり、かえって説得力が落ちる。それを回避するには事例の挿入(「ほら、こんなネタありまっせ」っての)なわけですが、出しているネタがぴったり噛み合ってないような懸念が拭えずで…。「結局それも全部あんたの妄想じゃねーの?」という印象を与えては話にならないので(いや実際そうかもしれんのですが(笑))、時間をかけて練り直すしかないかなぁ。

うーむ。「論証とは何ぞや」という大問題にはまった感じ。いや、その大問題は一生かかっても解決できないでしょうけど。

ランキング上昇作戦終了

ブログランキングは一週間の累計アクセスで順位を決定するということで、一週間「お願い作戦」を続けてきましたが、結局「歴史」の部門で2位まで上がることができました。ご協力くださったみなさまに御礼申し上げます。

また、出た数字を見て、このブログを評価してくださっていて、日常的に御覧になっている方がどれくらいいるのか、ある程度窺い知ることができました(もちろん、誰がアクセスしているかというのは全くわかりません)。今後、私がこのブログに向き合う上でも、参考になりました。

当初はランキングから撤退するかどうかということで始めたのですが、結果としてご協力をいただきましたことや、この一週間でランキングを見てアクセスしてくださった方がかなり増えましたので、一応以前のように細々と続けたいと思います。ただ、「お願い作戦」はさしあたり終了、ということにします。また、様子を見計らって撤退することも選択肢として考慮に入れておきたいと思います。

2006.03.16

東光寺 敗れし者の死地

tokoji先日の合宿ネタから。甲斐善光寺から徒歩15分くらいの所にある東光寺(甲府市)です。写真の仏殿(重要文化財)は室町期のものと推定されています。

建立時期は不明だそうですが、源義光の再興と伝えられ、蘭渓道隆が今に繋がる伽藍を整備したとされています。武田氏一族が住職を勤めていたようで、武田氏と関係の深い寺院だったことがわかります。

今はひっそりとしていますが、戦国期には有名な事件の舞台になっています。
tokoji-yorishige武田晴信の信濃侵攻に伴い、妹婿で側室の実父でもある諏訪頼重が天文11年(1542)にこの寺のある板垣の地(板垣信方邸か)に幽閉され、自害しました。その墓が残されています。
tokoji-yoshinobuそしてもう一人が武田義信。ご存じ晴信の長子ですが、父子対立により、永禄8年(1565)にやはりここに幽閉されました。対立の原因は諸説ありますが、今川侵攻を巡る路線対立という理由がよく語られていますね。もしくは、家臣飯富虎昌に担がれ反乱を企てた、という語られ方もします。死因も自害か病死かは定かではありませんが、ここで亡くなったのは確かなようで、頼重の墓の横にひっそりと義信の墓も残されています。
いずれも晴信に翻弄され、不遇の生涯を終えた二人が肩を並べて眠っている姿は、なんとも感慨深いものがあります。
立派な庭園もあるそうですが、そちらは拝観せず。

2006.03.15

書類の洪水

見事に年度末にはまりました。これでもかという位の書類の山。
…といっても、近年はペーパーレス化が進んでいるので、実際に書類が山になっているわけではないんですが、精神的には目の前に山のあるが如くです。この手の書類書きは私はあまり慣れておらず、どれくらいの労力を傾注すれば良いのかが見積もれないので、余計にプレッシャーが強い。
問題なのは、私一人で書くものならばともかく、別に署名捺印をしてもらわないといけない書類があること。まずはアポから、というのがちと辛い。
それでも、一番厄介な書類が一番〆切が後なのはまだ救いがあります。あぁ早く終わらせねば…。

それにしても、悉くファイルは「doc」なんですねぇ。MS恐るべし。Word買っておいて良かった。

2006.03.14

甲斐善光寺 仏の避難所

kaizenkoji02先日の合宿ネタから。甲斐善光寺(甲府市)です。永禄元年(1558)に、川中島合戦での信濃善光寺被災を懸念した武田晴信が、避難所として建立したとされております。その後本尊は信濃に帰りましたが、新たに本尊を鎮座させたそうです。写真の本堂(金堂とも・重要文化財)は東日本では最大級の木造建築だとか。寛政8年(1796)築です。

本尊は秘仏だそうで見られなかったのですが、宝物館に別の阿弥陀三尊像(重要文化財)が展示されていました。これも山梨県博にレプリカが展示されているようです。この仏像は、武田氏滅亡後甲斐を支配した浅野長政が国内の寺院から持ってきたものだそうです。
珍しいものでは、最古という源頼朝木像など、人物をかたどった木像がいくつかあります。頼朝木像は14世紀前半頃に造られたもののようで、元々信濃の善光寺にあったものなのでしょうか。
ほか加藤光泰の墓もあったんですが、写真を撮りませんでした。これも重文だったそうで…。

2006.03.13

ごきげんよう目白

73erinji写真は恵林寺(山梨県甲州市、旧塩山市)にある武田晴信墓です。墓石自体はだいぶ時代が降るような感じですが…。

某原稿がなんとか〆切に間に合い安堵。この原稿、枚数制限が非常にタイトで、気の利いたコメントはすべてカットせねばならず、結局無味乾燥な文章になってしまう仕儀に。我ながら箸にも棒にもかからない駄文だなぁと悔やむ。
…とここまで書くと、この原稿がどんなものかピンと来た方も少なくないと思います(笑)。一度はともかく、二度引き受ける仕事ではないな、というのが率直な感想でございます。

これが終わってすっかり気が抜けてしまい、昨日の研究会は開始時刻を勘違いして大遅刻。報告者の方には大変申し訳ないことをしました。もっとも人形のように座っていただけなので、私がいようがいまいがあんまり関係ないのですが…。
場所は学習院だったんですが、目白にはかれこれ8年ぶりに降りました。駅舎を建て直したのは知っていたんですが、それ以外はあんまり印象に残っていないので、変わったのかどうかはよくわからず…。大学が目の前にあるのに、あんまり学生街っぽくなくて、学生に優しくない所はうちの地元と似ています。もっとも、目白に通う学生さんはうちよりも洗練されているでしょうから、「あんたの大学の学生と一緒にしないでよ」と怒られそうですが(笑)。

<2007.5.19追記>
写真を新たに撮影したものに差し替えました(2007.5.8撮影)

2006.03.10

放光寺 名刹の隣に名刹あり

hokoji04先日の合宿で行った放光寺(山梨県甲州市、旧塩山市)について。夢窓疎石開山で、「心頭滅却すれば火もまた涼し」との名言を残したとされる快川紹喜のいた恵林寺のすぐ近くにあります。
hokoji03源義光の孫で、源平期に鎌倉方として源義経と並ぶ活躍をした安田義定の開基であり、菩提寺と伝えられています(当時は法光寺)。この義定が、富士川で鳥を羽ばたかせた人だと言われています(笑)。写真はその墓です。
鎮座する仏像は12世紀後半の特徴があるとのことで、中でも日本最古の天弓愛染明王坐像(重要文化財)に惹かれました(県博にレプリカが展示されています)。真言密教の寺で、本尊は大日如来(重要文化財)でもあり、修験道場だった由緒もあるようです。

ちなみに、大般若経がかなり無造作に展示されていました(笑)。これはちょっとどうにかした方が良いと思います。この大般若経は、武田信虎・晴信(信玄)のどちらかが天文期の遠州侵攻の際に焼けた寺から持ってきたものだとか。

恵林寺は有名で観光コースにもなっていますが、同時にこちらも行ってみられることをお勧めします。武田色が薄いのであまり観光客は来ないみたいですが、一旦焼けた恵林寺とは異なり、中世の面影を窺えるのが良いです。

報告と御礼

掲示板にも書きましたが、ニフティの障害により昨日からブログが不安定になっています。特にコメントをしていただく際はご留意ください。それにしても、ニフティの自爆ぶりと顧客対応のいい加減さは相変わらずです(笑)。

ランキングの件ですが、ご協力くださったみなさん、ありがとうございます。ランキングですが、60位代をうろついていたのが、一気にごぼう抜きでベスト10まで上がりました。
あるていど私のブログもご評価をいただいているようで、励みになります。折角なので、しばらく「クリックお願いします」モードを続けてみたいと思いますので、記事を評価していただけましたら、一日一回お願いします。目指せ一位!(笑)

2006.03.09

ランキング参加を継続すべきか否か

ブログ左横に「人気blogランキング」への参加を謳っていますが、どうも最近では私しかクリックしていないようです(笑)。
そもそも私自身積極的に宣伝しなかったので当然ですが、これ以上続けてもあんまり意味ないかなぁ、などと思いつつあります。

そこで、試しに「クリックしてください」とお願いしてみます(笑)。そうすればどれだけの反応をいただけるのか少し試してみたいなぁと思いまして。もちろん強制するものではありませんし、むしろ「オレやだよ、そんなの」ということであれば、あえてクリックしないでいただいた方が、私としても続けるかどうかを考える上で参考になります。

というわけで、クリックは→ここです。様子を見て変化が無ければ、登録をやめることにします。

2006.03.07

餅は餅屋ではなかったのか

そういや甲府から帰って一息つきながらテレビをつけると、「功名が辻」が丁度始まったのでしばらく見てみる。もう金ヶ崎まで進んでるんですね。なんだか一豊さんは死にかけてましたが、いよいよもうだめだと自害しようとしたその瞬間。

既に老境なヒーロー徳川家康参上!

唖然。呆然。そしてチャンネル変えました(笑)。

B級サスペンスドラマかよ。いかにもなチープな場面をよくも恥ずかしげもなく書けるもんだ。そもそもプロ意識のかけらも無く、ロクな脚本も書けないというのであれば、どうせさして勉強もしていないであろう歴史的背景の把握についても、どだい無茶な要求だったということなのでしょう。

もうオープニング以外は二度と見ません。去年もこんなシーンあったが、いつから大河ドラマはこうなってしまったのだろうか。

2006.03.06

うららかな甲斐路を歩く

shingen勉強会の合宿で、約2年ぶりに甲府へ行きました。前回とは違い今回はご同業との巡見なので、行き先もマニアック気味になりました(笑)。
実質的には寺社巡りに近いような行程になりましたが、観光地化している武田神社や恵林寺よりも、マイナー気味な放光寺に個人的には感銘を受けました。詳しくはまた後日ということで…。

甲斐の歴史といえば武田(というか信玄ひとり)しかない、という雰囲気は現地にもありありとしていますが、武田とは直接関係がないけれども魅力的である史跡はやはり少なくないことも、実見できたような気がします。行きたい所に全部行けたわけではないので、またの機会を楽しみにしたいと思います。

それにしても、タイトルにあるように、今回は本当にかなり歩きました。疲労困憊。ああもう若くはないんだなぁ。

放光寺甲斐善光寺東光寺

2006.03.03

抜刷目録を作る

某原稿書きのために以前いただいた抜刷がいくつか必要だったものの、未整理状態でほじくり出すのが面倒だったから、いっそのこと目録を取ってしまえということで全部取り出す。仕事を抱えている時ほどこういう作業が捗るものです(笑)。
合計でざっと200点ほど。私がこの業界で積極的に活動するようになってから5年ほど経っていますが、平均より多いのか少ないのかは、よくわかりません。ただ、私自身の想像よりはだいぶ多かったです。皆さんありがとうございます。

ところが…、いくつか確かにもらったはずなのに、見付からないものが。どこに紛れ込んでいるのかちょっと見当が付かないので、初夏頃に予定している模様替えを機に探すか、ということで…すみません。個人的な利便性に基づいて、リストを私のサイトの片隅に上げようかなぁなどと思っていたが、脱漏があってはとてもそんなことは出来ない。ペンディング。

それにしても、そろそろちゃんと整理しないといけませんねぇ。やっぱ著者の五十音順がベターでしょうかねぇ。

2006.03.01

追い込み追い込まれ

現在やや多忙につき、記事の頻度が落ちます。…とか言っていても、面白そうなネタに食いついて頻繁に書いたりするんですが(笑)。

週末は名古屋時代からお世話になっている所で文書整理のお手伝い。それにしても、参加者の顔ぶれが随分変わりました。時の移ろいを感じます。
某抱え原稿があと10日で〆切。ほぼ確実に間に合わない…。困窮。現実逃避して、週末は小旅行へ行って参ります。もうどうにでもなれ(いや、どうにかせねばならんのだが)。まぁ「〆切は破るためにある」なんて言うテーゼ?もあるし、と半ば開き直る(おいおい)。

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