記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 字数との格闘、決着す | トップページ | ひねもす文字を打つ »

2006.04.03

集団に依存するアイデンティティ

026443810000清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(選書メチエ353、講談社、2006年)読了。さすがの博識と筆力というか。「一般書」を意識して書かれたと「あとがき」にありますが、「専門家」の末端にはいるであろう私が読んでも純粋に面白かったです。喧嘩両成敗法の評価についてはなるほどと思いました。

読んでいて思ったのは、中世人の心性にはやはり強固な集団帰属意識が覆っているなぁ、と。これは既によく知られている事実ではありますが(例えば「郷質」「所質」の議論など)、「下手人」(犯人)ではなくとも、犯罪者の所属する集団の中で身代わりを立てて処罰するというような処理のあり方が受容されていたというのは、いよいよ拭い去りがたい中世人の本性を見たような気がします。
著者も最後に「中世を舞台とする小説・ドラマはつまらん」(意訳(笑))と書かれていて、その理由も、このような考え方が現代人には理解しがたいところにあるためであろうとされていますが、私も同感です(ただし、大半の小説・ドラマがこのような中世人の心性を理解しているとはとても言えないわけで、実際は歴史的背景の無理解と知識不足に原因があるのですが)。

中世はよく「自力救済」社会と言われますが、この意味するところは「自分の問題は自分の力で解決せよ」ではなく、本来は「自分(あるいは所属する集団)の問題は所属する集団の力で解決せよ」と言うべきものかもしれません。この強固な帰属意識と連帯意識は、共同体秩序が失われ、「個人主義」が跳梁する現代の我々にはかなり理解が難しいところです。
またそのような連帯意識が維持されるのは、やはり現代とは違い(現代でもそうとも言い切れませんが)、「自分」一人で生きていける社会ではなかったところが究極的な理由なのでしょう。もちろん裏返せば、中世社会では国家権力が非常に脆弱であったということにもよるのですが。そのような意識が良い意味で作用していれば「助け合い」になるわけですが、ひとたびトラブルにより爆発すると、「集団蜂起(一揆)」→「戦争」となる…ということになりますでしょうか。これで全部が説明できると思いませんが(笑)、こういう考え方は中世のカラクリを解く上でかなり有効な発想ではあるでしょうねぇ。(この辺、勝俣鎮夫さんが先達として君臨しておられますね。もし興味を持った一般の方は、同氏の『一揆』[岩波新書]あたりを読まれてみると良いかも)

今我々が「自分らしく」とか「好きなことをやればよい」とあっけらかんと言えるのは、先人の苦難の歴史があることを心の片隅にでも置くべきではなかろうか…というのはやや説教臭いか(笑)。まぁ少なくとも「中世はヘンな時代だ」とでも思ってくれる人が増えればいいんですけどね。そうすれば、「武士道」精神が日本人の“伝統的”心性だという相変わらずな主張が未だにウケてしまう風潮を掣肘するためのいいクスリになるんですが。

« 字数との格闘、決着す | トップページ | ひねもす文字を打つ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/9410770

この記事へのトラックバック一覧です: 集団に依存するアイデンティティ:

« 字数との格闘、決着す | トップページ | ひねもす文字を打つ »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Amazon

最近のトラックバック