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2006.05.07

立川・国立の史跡(3)

立川から南武線に乗って矢川へ。国立といっても中央線の方は近代以降に開発された地域のため、前近代の史跡はゼロ。そのため、南武線沿線である甲州街道沿いに史跡が集中しています。
駅から歩いてくにたち郷土文化館へ。演出は結構頑張っていると思うんだけど、いかんせんネタが少ないのはどうしようもないところ、といった感じ。ただ、国立は良くも悪くも?大学とともに歩んできた街なんだけど、その辺は意図的に避けている感じというか…。なんか思惑があるんでしょうかね。
かつて市の中心であった谷保は、近世には鋳物師が居たとのことで、それを紹介した過去の企画展の図録を購入。谷保に鋳物師が居たのは知らなかったので、勉強になりました。
Nanyoji2郷土館の近くにある南養寺。先に行った立川の普済寺の末寺に当たるそうです。かつては境内に板碑があって見られたそうなんですが、今は無し。どこか別の所へ移されたようで、見られませんでした。残念。

続いて、歩いて城山(じょうやま)公園へ。ここは中世の在地領主クラスの居館跡とされている所です(領主が誰だったかは不明)。中心部は私有地となっていて残念ながら詳細を見ることはできませんが、自然地形を利用した防御遺構を見ることができました。

Yabo最後は谷保天満宮。鎌倉期に作られた「天満宮」の扁額や狛犬(ともに重要文化財)などがあります。駅名は「やほ」ですが、正式な訓は「やぼ」。甲州街道沿いに鎮座し、江戸時代はわりと江戸でも知られた神社だったようです。
扁額は世尊寺経朝の作と言われています。徳川光圀が真似て模造したものも所蔵されていました。ほんと光圀ってヘンなおっさんです(笑)。

神ならば 出雲の国へ 行くべきを 目白で開帳 ヤボの天神

と大田南畝(蜀山人)が詠んだことで知られています(笑)。「野暮天」という言葉はこれが由来となっているとのこと。というわけであんまり喜ばしくない評判が立っているわけですが、国立ではほぼ唯一の由緒ある神社ということで、縁日は今も結構大々的にやっていたりします。
ちなみに社伝では菅原道真の子・道武がこの地に配流されたのをルーツとしていて、その子孫が津戸氏を名乗ってこの地域を支配したとされていますが、確証はありません。

これで巡見終わり。かなり疲れました(笑)。基本的にアスファルトの上ばかり歩いていたこともありますが、明らかに最近歩く量が不足しているので、足のスタミナが衰えているのを痛感しました。とはいえ、いかんともしがたく…。

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