記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

2006.05.31

古本耳より情報?

歴研購入本について書く前に、古本ネタ。
神保町には普段から良く行くんですが、相場が高いという先入観もあって、これまではあまり古本屋を覗いていませんでした。ただ、最近になって時々覗いたりしています。…でも、やっぱり全体的にちょっと高めかなぁ。どうしても欲しい本でなければ、なかなか買おうという気にはなれません。

でも店頭にワゴンなんかで出ているものには、結構掘り出し物があります。もっとも専門書が出ることは少ないんですが、最近、三省堂近くにある東陽堂書店の店頭には結構専門書が出ているのが、密かに(笑)噂になっています。先日書いた仲村研さんの本もそこで見つけたわけですが(戸田さんの本はもう無かった…)、先日行ったら、『経覚私要鈔』の1・2巻が各2000円で出ていたので、速攻ゲット。破格。ほかに『久我家文書』もバラで出ていたんですが、こちらは少し高めだったのでパス。高いといっても、相場よりは安いようです。欲しい方は覗いてみてはいかがでしょうか(もう無くなっていたら残念ですが)。
ちなみにポイントカードもあるそうで、もらいましたが…、1年で8万円分買わないと特典が得られないようで。ちょっとハードル高いなぁ。
別の日には、ほかの某書店で深谷幸治『戦国織豊期の在地支配と村落』(校倉書房、2003年)を6000円にて。同じ書店には、歴研で買った本がより安く並んでいる…。やや落ち込む。

2006.05.30

歴研疲れ

土日に目白へお越しのみなさま、お疲れさまでした。
私もすっかり疲れました(飲み疲れ)。いろいろ話を伺っていると、どうも午後をまるまる討論にすると少々間延びしたような雰囲気を与える模様で。4時間ぶっ続けですものねぇ。
ところで、思ったほど暑くはなりませんでした。私のブログをご覧になってあえて薄着で来られた方は、かえって肌寒かったかもしれません。…ってか、あの部屋、そもそも冷房設備が備わっていたのか少々疑問でしたが。それらしきものが見あたらなかったような。

とりあえずこんなところで。購入本などはまた改めて…。

2006.05.25

今年の歴研大会、注意事項

今週末は歴史学研究会の大会が学習院大学で行われます。
ところで、土曜の全体会と日曜の日本中世史部会が開催される「中央教室」(なぜかピラミッド形をしている建物)は、空調が故障しているそうです(…)。しかも土日の東京地方は現時点で雨が予想されているので、非常に蒸し暑くなるかもしれません。お越しになる予定の方は、暑さ対策をあらかじめ講じておかれることをおすすめいたします。うちわとか扇子を持参された方が無難かもしれません。
空調が効かないってのは辛いですねぇ。私も暑いのが苦手なだけに、せめて蒸し暑くならなければ良いのですが。

ちなみに、中世史の懇親会の案内をこちらに載せておきました(pdfファイル)。土曜日は同じチラシを持って主に書籍展示場をウロウロしていると思いますので、チラシの欲しい顔見知りの方はお気軽に声をかけてくださいまし、というか、私の方から声をかけますので、嫌な顔をしないようお願いします(笑)。

2006.05.24

一種の生活習慣病?

右手の中指が痛い…。

原因は明白で、マウスのせいです。真ん中にスクロール用のボタン(ぐるぐる回すやつ)がついていますが、これのせいです。
私は元々このぐるぐる回す構造が嫌いで、富士通のマウスが採用しているレバー式の方が欲しいんですが、店に行って探しても、同じ構造のものが売っているのを見たことがありません。レバー式は富士通しか作ってないのかなぁ。こっちの方が断然指に優しいと思うんですが、やっぱり売れないんでしょうか。このままだと腱鞘炎になりそうなんですが(もうなってるかも?)、スクロール用ボタンの存在自体は便利なものであるために使わないわけにもいかず、困ったもんです。

2006.05.22

生の相撲

20060519b先日、初めて両国の国技館に行きました。相撲は昔からテレビでよく見ていますが、生で見るのは初めてです。相撲は高いというイメージが強いので、なかなか足が向かないもので(いや、実際高いんですが)。
座ったのは最も安い席でしたが、本当に位置は一番上。まだ多少なりとも殿様商売的空気を感じましたが、思ったよりよく見えました。で、下っ端親方衆が普通に館内で観客サービスやっているのが、実際に行ってみてよくわかりました。昔は人気力士だった人が何気なく歩いていて、観客もそれにあんまり頓着しないのは、なんだか妙な光景です。
もしかしたら来場所も行くかもしれませんねぇ(笑)。年に3回くらいなら、見に行くのもいいかもしれません。その後両国でちゃんこを食って帰る。こういう一日もたまにはいいものです。

……椅子席がガラガラでも「満員御礼」なのはちょっと白けますねえ(笑)。実質的に“枡席以上”が「客」なんだろうなぁとは思いますが。

2006.05.20

継承という重責を感じつつ

すっかり涙雨な毎日。

先日、佐藤さんのお通夜に行って参りました。多くの方がお見えで、生前の人徳が偲ばれます。私もかくありたい、とおこがましくも思ったりもしました。精進せねば…。
ご遺族の方々がお座りの中に、中世史の大御所Mさんの姿が。あれ?実は親戚だったのかなぁ?なんて思ったりもしたんですが、事情通から聞いた話によれば、生前佐藤さんとMさんとの間で、お互いのどちらかが先に旅立ったら、葬儀を取り持つという約束をされていたんだとか。なるほど。帰って挨拶状を開けてみると、「葬儀委員長」の肩書きが記されていました。

帰り際にお仲間と献杯。少々痛飲。お導きあって、近日来悩みの種だった問題が解決しました。佐藤さんをはじめとする諸先学のご尽力によって煌々とともされた学灯を後世に伝える重責が、ずしりと肩にのし掛かっている。今はそんな気分です。そしてこれから数年間…。

2006.05.19

『満済』やらなんやら

もう一ヶ月前の話を書きそびれていたんですが、別の大学のマスター達が中心となって『満済准后日記』を読む勉強会に初めて参加させていただきました。私はオブザーバーみたいな形で参加させてもらうことになりそうですが、報告者の圧倒的な調査量に驚く。私もマスターの頃、史料読みで必死に語句を調べたのを思い出しました。必ずしも専門とは違う時代・分野であっても、徹底的に調べてレジュメを作るという経験は無駄にはならないので、頑張って欲しいと思います(すんません、私にはもうそのような体力はなくて…(笑))。

さて、私のホームページで開設当初から『満済准后日記』の紹介をしていたわけですが、ご覧の通りすっかり止まっております。かくいう私自身、専門とする分野がずれていったせいでもあるんですが、それでも余暇として細々と続けていたものの、もうその意欲もほとんどゼロになってしまいました。わずかながらいらっしゃるであろう、続きを楽しみにしておられる方には誠に申し訳ない限りですが、まだしばらく再開することはないということでご了承ください。引き継ぎたいという奇特な方がいらっしゃればいいんですがねぇ(笑)。

私のホームページで、機能しているのはもはや文献目録と研究会へのリンク集ぐらいになってしまいました。もっともこれらが一番社会的貢献度が高いコンテンツだと思えるのが救いなわけでして。ちなみに「史跡めぐり」は、現在ではブログに移行しておりますが、コンテンツを全部ブログに移行させるのはまだ抵抗がありますので(著作権やらなんやらで)、当面再編はしないつもりでおります。

2006.05.18

僭越ながら…

こちらを読んで、私も「ああ、やっぱり」と嘆息。
やはり政府は確実に嘘を吐きました。「財政再建」という目標は確かに果たされるのかもしれませんが(これとて少々雲行きは怪しいですけど)、そのためには国会で堂々と嘘を吐いて良いなんてことは、決してない。目的は手段を正当化しないのである。
どうせこの事実を突きつけたところで、返答は、「もう民間になったのだから関係ない」でしょうね、おそらく。詭弁どころか、こういうのはペテンと言うのではないか。

竹中平蔵総務相の困ったところは、「学者出身」という肩書きが世間に浸透している部分。政治家が詭弁を弄するのは今に始まったことではありませんが、「なんだ、学者も同じことやってるのか」と世間に冷たい目で見られるようになると、学問に対する風当たりが一層きつくなりかねない。まぁそこまで考えるのは大袈裟かもしれませんが…。
しかし私が言うのもおこがましいけど、なまじ専門家なこの人は某都知事以上に「母校」の面汚しですわ。ほんといい加減にしてくれ。

2006.05.15

佐藤和彦先生の思い出

夜が明けて、現実を突きつけられました。和歌山のTさんのメールが私の所にも届きましたので、下記に掲載します。

中世史研究者の皆様

去る5月13日、和歌山県立図書館(きのくに志学館)で行われた小山靖憲氏追悼フォーラムの会場で、参加されていた佐藤和彦氏が、討論時間にご発言された直後に突然倒れられ、近くの病院に運ばれましたが、まもなくお亡くなりました(急性心不全)。
突然の出来事で、会場にいた方々も驚かれたことと思いますが、私自身も、佐藤さんから向けられた質問にお答えする間もなかったことが何より残念で、悔やまれてなりません。

☆先生の交流範囲の広さを勘案し,混乱・ご遺族への負担を考慮して,新聞紙上では葬儀日程を公表しません。本メールを,積極的にお知り合い宛転送下さいますようお願い致します。

(以下略)

先月末にお会いしたばかりで、見た目にはとてもお元気そうだったので、未だに信じられません。亡くなる瞬間まで「佐藤節」を発揮されていた様子も、とある掲示板でのご報告で窺い知りました。かくも壮絶な最期は、「いかにも佐藤さんらしい」と語り継がれるのかもしれません。
駆け出しでもある私はそれほど長くおつき合いをさせていただいたわけではありませんが、非常に気さくな先生で、老若の分け隔てなく接してくださいました。私の報告も何度か聞いてくださり、ご意見もいただきましたが、もう聞けないのかと思うと残念でなりません。
今年の春に、今年中に博論を書くと言ったところ、励ましのお言葉をいただいたことも忘れられません。その博論をお見せすることが出来なかったのも非常に悔やまれます。またその席上で、長らく着手されていなかった人物叢書『足利尊氏』を頑張って書きたいともおっしゃっておられましたが、志半ばとなったことは心残りなことでありましょう。
今はただご冥福をお祈り申し上げます。

急報

佐藤和彦さんが亡くなったというのは本当でしょうか?
あまりに急なので信じられません。

続報を待ちたいと思います。

2006.05.13

2000本と名球会

今日は野球のややマニアックなお話。
横浜の石井琢朗選手が2000本安打を達成したというのが、やや地味めに(笑)報じられています。投手として勝利投手経験があるのが川上哲治以来というのが注目されているようですが、私は投手時代の記憶がまったくないのでなんでだろう?と思っていたんですが、そうか、投手時代は名前が「忠徳」で、野手転向で改名していたからなんですね。石井忠徳投手とくれば、多少記憶はあります。

プロ野球で2000本安打を達成したのは34人目。ただし基本的に「何人目」のカウントはメジャーでの成績が加味されないので、日米でとっくに超えているイチローは入っていません。この辺から段々胡散臭さを感じ始めるのですが、実は、もっと達成者が少ない成績に迫っている人もいます。
よいしょするつもりはあまり無いんですが(笑)、オリックスの清原和博選手です。1500打点まであと2となっているのですが、1500打点をクリアしたのは過去7人しかいません。最近では巨人の工藤公康選手が2500奪三振をクリアしましたが、これも歴代8人目(ちなみに野茂英雄選手は3000奪三振を超えています)。ヤクルトの高津臣吾投手は歴代1位の260セーブ(2位の佐々木主浩はメジャー時代をカウントされず)、等々。

「2000本安打、200勝」というのが、「名選手」という称号を得るためのラインとして丁度良いという感覚が万人に受け入れられているのは確かだと思いますが、少し引きずられすぎなのではないかと思います。
このラインが「基準」となった契機はご存じ名球会の存在なわけですが、実態は「金田正一翼賛会」なのも有名ですね(笑)。「昭和生まれ」の条件を付けて川上哲治(大正生まれ)らを排除したのもよく知られています。最近メジャーの成績も加味するようになったそうですが、あんまり効果はない模様(ちなみに松井秀喜選手があと少しで日米2000安打到達ですが、目的はこれか、なんて(笑))。
名球会はいろんなボランティアや普及活動を地道に行っていて、その点は評価すべきだと思いますが、ただしそれが主目的であればハードルの高い入会資格を設定する必要などないわけで、結局はこういう活動は付け焼き刃的な活動だという冷めた見方もできるのではないでしょうか。主目的はハワイでどんちゃん騒ぎすることじゃないのか、という話もあったりで(笑)。

もっとも、名球会がどのような参加資格を設定し、活動をするかというのは、「そんなの勝手だろ」と言われればそれまでです。しかし、彼らの設定したラインに横並びに盲従して「名選手認定ライン」と決めつけ大々的に取り上げる一方、そればかりに目を向かせるような報道のあり方は再考願いたいところです。マニアックな意見かもしれませんが、野球ってのは数字に注目するにしても、安打や本塁打や勝利だけじゃなくて、ほかにいろんな偉大な「数字」があるわけでして、マスコミはそれをもっと啓蒙するような姿勢にあってほしいわけです。要するに、「名球会規定」が絶対視されている現状を相対化することすらできんのか、と少々がっかりすると言いたいわけで(笑)。

付け足しみたいですけど(笑)、2000本安打を達成した選手が素晴らしいことはもちろんです。でも、ほかにも讃えられるべき人はたくさんいるんじゃないですか?ということでして。

まぁ野球の世界での名球会の存在自体は、私らにとってはまったく対岸の火事なんですが、どうも私らの業界にも、似たような実態の組織があるとかないとか…? いうなかれ。

2006.05.10

連休後半の顛末

今回は私事ネタです。
贅沢を言ってはいけませんが、なかなか腰を落ち着ける暇がないというか…。
とはいえ、連休後半はいい気分転換ができました。今回の千葉は大勝。結局3連戦のうち1試合しか行けませんでしたが、リフレッシュしました。

久しぶりに東博へ行きました。前回行ったのは史料編纂所が企画した特別展だったと思うから…、確かもう4年以上前ですかね。こっちに引っ越してからは初めてのはず。
平成館では最澄の企画展をやっていましたが(去年の日本史研の時期に京博でやっていたやつですね)、私の目的はそれではなく、今年新たに国宝・重文に指定された文化財の特別展示。展示の性格上、ただ文化財が並んでいるだけでしたが、結構満足できました。ついでに常設展も見たんですが、前に来た際の記憶がほとんど無いので(笑)、見ていて新鮮でした。時間が無かったので終盤はほとんど流しましたが…。

その後、こちらも3年ぶりくらいに上野駅高架下の一蘭へ行ったんですが、少々高いのが玉に瑕。今度行くのもまた3年後くらいかなぁ(笑)。

時間が無いとか言いながら、結構遊んでますね。

<追記>
そういや東博で展示していた足利尊氏御教書をメモってきたので(笑)、紹介します。まぁたぶん既に活字化されてるでしょうけど。間違っていたらお恥ずかしい限りです。

冷泉前左兵衛督雑掌彦成申駿河国小楊津御厨事、任今年十一月十二日綸旨沙汰居雑掌寺(ヵ)元阿可令全所務之状如件、
  文和三年(1354)十二月七日       (花押)(足利尊氏)
 今川上総介(範氏)殿

2006.05.07

立川・国立の史跡(3)

立川から南武線に乗って矢川へ。国立といっても中央線の方は近代以降に開発された地域のため、前近代の史跡はゼロ。そのため、南武線沿線である甲州街道沿いに史跡が集中しています。
駅から歩いてくにたち郷土文化館へ。演出は結構頑張っていると思うんだけど、いかんせんネタが少ないのはどうしようもないところ、といった感じ。ただ、国立は良くも悪くも?大学とともに歩んできた街なんだけど、その辺は意図的に避けている感じというか…。なんか思惑があるんでしょうかね。
かつて市の中心であった谷保は、近世には鋳物師が居たとのことで、それを紹介した過去の企画展の図録を購入。谷保に鋳物師が居たのは知らなかったので、勉強になりました。
Nanyoji2郷土館の近くにある南養寺。先に行った立川の普済寺の末寺に当たるそうです。かつては境内に板碑があって見られたそうなんですが、今は無し。どこか別の所へ移されたようで、見られませんでした。残念。

続いて、歩いて城山(じょうやま)公園へ。ここは中世の在地領主クラスの居館跡とされている所です(領主が誰だったかは不明)。中心部は私有地となっていて残念ながら詳細を見ることはできませんが、自然地形を利用した防御遺構を見ることができました。

Yabo最後は谷保天満宮。鎌倉期に作られた「天満宮」の扁額や狛犬(ともに重要文化財)などがあります。駅名は「やほ」ですが、正式な訓は「やぼ」。甲州街道沿いに鎮座し、江戸時代はわりと江戸でも知られた神社だったようです。
扁額は世尊寺経朝の作と言われています。徳川光圀が真似て模造したものも所蔵されていました。ほんと光圀ってヘンなおっさんです(笑)。

神ならば 出雲の国へ 行くべきを 目白で開帳 ヤボの天神

と大田南畝(蜀山人)が詠んだことで知られています(笑)。「野暮天」という言葉はこれが由来となっているとのこと。というわけであんまり喜ばしくない評判が立っているわけですが、国立ではほぼ唯一の由緒ある神社ということで、縁日は今も結構大々的にやっていたりします。
ちなみに社伝では菅原道真の子・道武がこの地に配流されたのをルーツとしていて、その子孫が津戸氏を名乗ってこの地域を支配したとされていますが、確証はありません。

これで巡見終わり。かなり疲れました(笑)。基本的にアスファルトの上ばかり歩いていたこともありますが、明らかに最近歩く量が不足しているので、足のスタミナが衰えているのを痛感しました。とはいえ、いかんともしがたく…。

2006.05.04

立川・国立の史跡(2)

Hachiman1普済寺を後にして住宅地をしばらく歩き、「八幡神社大欅」という大木を見る。このケヤキのある所はかつてあった八幡神社の参道だったそうですが、この八幡神社は立川氏が氏神として建立したという伝承があります。なおこのケヤキは樹齢700年くらいなんだそうですが、つい近年に落雷に遭ってしまい、今の姿になってしまったとか。
Tsuwa1その近くにあるのが諏訪神社。上記の八幡神社もここで合祀されています。社伝では、弘仁2年(811)創建とされています。今もかなり境内は広大で、例祭も多く受け継がれているようです。立川は今やすっかり都市化していますが、ちゃんと伝統も守られているようです。ここも社殿が平成6年(1994)に火災に遭ったそうでして、建て直して間もないため真新しいです。

この後立川駅まで歩き、国立市内へ向かいます。この辺で既に足が疲れ始める。運動不足だなぁ。

2006.05.03

立川・国立の史跡(1)

ゼミ恒例春の遠足(笑)。毎年この時期に一日かけて史跡を巡っていますが、今年は「地場を固める」の趣旨で近辺の史跡巡り。見事に天気は雨。
なんか最近は多少注目されているのか?雑誌で立川と国立が取り上げられるのをよく見かけますが、それに乗っかる感じで(笑)。

午前中はオプションで立川市歴史民俗資料館へ。多摩地域は総じて中世に関する史料・史跡がほとんど残っていませんが、立川もそこは同様の模様。しかし最近、この地域を支配したという立川氏の文書が発見されたそうで、その経緯と内容が峰岸純夫「立川氏文書について」(『多摩のあゆみ』118、2005年)に書かれています。発見の経緯は結構変わっていて面白いです(笑)。
この立川氏、「武蔵七党」の一つ西党日奉(ひまつり)氏の一族だそうですけど、ちと疎い私にはあまりピンときません。ネットで検索かけてみたりすると、日奉氏は今の日野を本拠地としていて、武蔵国造にルーツがあるとも言われているとか。へぇ。立川氏については、関連史料がほとんど無いので、実態はあまりよくわかっていないようです。
Fusaiji6午後からは本格的巡見。まず行ったのが、その立川氏の居館跡とされる普済寺です。残念ながら平成7年(1995)に放火に遭ったそうで、重要文化財の仏像が焼失してしまったそうですが、ここには国宝の石幢があります(自前の撮影ではうまく行かなかったので、こちらをどうぞ)。銘によれば、延文6年(1361)作とのこと。ほかには立川氏の首塚とされる所や板碑など。
Fusaiji1土塁が残っています。
Fusaiji4こちらが首塚。立川氏は戦国期にこの地域を支配した北条氏照に従い、後北条氏滅亡に殉じたとされていますが、同時代史料の裏付けはありません。
Fusaiji5板碑(らしきもの?)

2006.05.01

カウントダウン

博論最終〆切まで半年を切りました。まだ時間があると見るか、かなり追い込まれてきたと見るか…。どっちつかずといったところでしょうか。いや、やっぱり追い込まれてきたかなぁ。
とりあえずあと新ネタ(既に口頭報告はしたものの、原稿化していないものも含む)をあと2,3本入れないと枚数的にも内容的にも体裁が整わないので、今月と来月はそれに集中といったところか。構想はいろいろあるんだけど、やっぱ時間的に厳しいかなぁ。全体構想から考えても、うち2本は確実に仕上げる必要がある。がんばります。

ところで博論については大学もしくは学部・研究室ごとに内規がありますが、うちの場合はまるで無いようです(さすがに査読論文ゼロでは出せないんでしょうけど)。
しかもまだ日本前近代史で課程博士論文を提出した人はいないので、そもそも先例もない。自由といえば自由でいいんですが、指標がないと「こんなんでいいのかなぁ」という不安もやはりよぎるものです。めんどくさいやつだ(笑)。
ともかくも、「こんなんでも博士取れるのか」と言われないようなものにはしたいものです。「え?これで経済学?」と言われるであろうことは覚悟していますが(笑)。

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Amazon

最近のトラックバック