末森城跡

能登関連をもう一件。宝達志水町(旧押水町)にある末森城跡です。大河ドラマ「利家とまつ」が放映された2002年に観光地化を目指して少し整備されたようですが、今はこの通り薮の中(笑)。雨も降っていたので、延々20分ほど登ってやっと辿り着いたものの、遺構はあまりはっきりと見られませんでした。写真左は本丸下の曲輪。写真右が本丸です。途中、生活区域であったと推定される若宮丸と呼ばれる曲輪もあります。でも、さすがに生活空間は麓だったんじゃないかなあという気がするぐらいの結構な山城です。
この城が文献に登場する時期は実はかなり短くて、今のところの初見は天正5年(1577)。上杉謙信が七尾城攻略のために、「末守」にいたと述べた書状があり、七尾城が落城すると村上国清・斎藤朝信が入ったとされています。後に越中の領主である土肥親真が城主となったそうですが、その後織田方に降伏し、天正9年(1581)には能登に入った前田利家に従いました。土肥親真は賤ヶ岳の戦いで戦死したそうで、城代の土肥茂次を補佐する形で、利家の家臣である奥村永福・千秋範昌が在城。
ハイライトは天正12年(1584)の佐々成政の侵攻ですね。成政の猛攻を受けて土肥茂次は戦死しますが、奥村らが頑強に守り抜き、秀吉の制止を振り切って前田利家が援軍に駆けつけて佐々軍を退けた、とされています。この後すぐに廃城となりました。
私は「利家とまつ」は見ませんでしたが、奥村永福と末森城のエピソードは、隆慶一郎『一夢庵風流記』やそれをもとにした漫画『花の慶次』でも取り上げられており、私も随分昔に読みましたが記憶に新しいところです。一時はブームに沸いたのかなぁという感じでしたが、今はまたひっそりとした、埋もれた山城に戻ったような、そんな史跡です。行った時期がちょっと悪かったなあ。雑草があまり生い茂ってない時期を選んだ方が賢明ですね(当たり前ですが)。
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