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2007年1月

2007.01.30

「真実」を叫ぶ胡散臭さ

さっきTBS「バチカンに眠る織田信長の夢」を見ました。発売直前の「ウインドウズ・ビスタ」のプロモーションとどっちが主だったのかと首を傾げるような番組構成でしたが(笑)。
ま、それはともかく。

前半は随分慎重だったのに、終盤になって大暴走してましたね(笑)。で、なにが基になったんだろう?と思って番組のHPを見ると、どうも実際に著者が出演していた安部龍太郎『信長燃ゆ』(日本経済新聞社、2001年、のち新潮文庫・2004年)が元ネタだったようです。
HPの「番組の立ち上げ」で図らずも書かれているように、そもそもバチカンに渡った(はずの)狩野永徳の屏風を探求する企画だったはずで、どうもそれがはかばかしくないと見るや、安部氏の小説を援用して結局は「本能寺の黒幕」探しを前面に出す構成を加えたようです。
ってかねえ。「残された暗号を解読せよ」って、どんな暗号をどう解読したのか番組中で出てきたんでしょうか?(笑) さんざん煽っておきながら、そもそも屏風については調査が開始されたばかりであって、見つかりそうな徴候すらない段階でそりゃないでしょ。これって「おおげさ」「まぎらわしい」とかいうやつじゃないんですか?

メインだった安土城の構造については、言うまでもなく内藤昌『復元安土城』(学術文庫1795、講談社、2006年、初出1994年)が参考になりますが、近年では異論もあるようです。もっとも、内藤説が今のところ有力とは言えますが。

で、問題の近衛前久黒幕説ですが…。「捏造」とは言わないまでも、おいおいそりゃねーよとは言いたくなりますよねえ。
本能寺の変については桐野作人『真説本能寺』(M文庫、学習研究社、2001年)や、先鋭的な批判についてかつて触れた鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか-本能寺の変・謀略説を嗤う』(新書y149、洋泉社、2006年)が詳しいのですが、近衛黒幕説はかつて朝尾直弘さんも示唆したことがあるそうで、以来、実は結構古くから可能性が議論されていた説ではあります。
まあ、その「可能性」がゼロとは言いません…が、現在においては信憑性を疑わせる事実が既に数多く列挙されているわけで、それについてまったく触れないのは、テレビ番組とはいえ(だからこそ?)、フェアな姿勢とは言えないんじゃないでしょうか。
最後は織田信雄が狂乱して火を付けたかのように描いたり、本能寺の変に幽斎や秀吉まで荷担したかのような描き方で、すさまじい迷走っぷりでした。私は読んでないんですが、安部氏の小説もそういうストーリーなんでしょうか…?

科学的根拠に明確に反し、社会的影響の大きさで問題視された某番組の例を持ち出すのは、酷かもしれません。しかし、ある学説を一方的に「真実」と思わせる形で語り、それに対して既に提出されている疑問・批判に対して黙殺するような制作姿勢は、やはり偏っていると言わざるを得ません。
小難しい話にしたくはないというのもわかりますが、それならばそれなりに伝え方を工夫すべきなのであって、「わかりやすさ」が偏りに繋がるのは、そもそも制作能力に対する疑いを持たざるを得ず、近年の報道の在り方が取り沙汰される状況にあっては重大な問題であると言えるでしょう。

今回の番組は結構詳しく調べているようではあったので、かえってその辺が残念でした。

普段ならこんなことは書かないのですが(笑)、最近の某騒動を見るにつけ、やっぱこういうのってちゃんと発信した方がよいのではないかという気もしたもんで。
なお、ご批判はいつでも受け付けます(笑)。

2007.01.29

人生の峠を一つ越える

最近、→(ページ右側)にあるカレンダーに不具合が見られます。ほかのブログの記事へ飛んでしまうことがあるので、ご注意ください。もっとも、思いもよらず新たなブログに出会える機会である、とも言えますが(笑)。
ってか、ニフティしっかりしてくれ。

さて、近況。
今週いっぱいはどたばたしそうですが、思ったより2月は余裕ができそうなので、来週からはわりと自分の時間が取れそうです。仕事山積なので、地道にこなしていきたいところ。

で、私も知らない間に学位が授与されました(笑)。てっきり授与式の日付(3月?)だと思っていたので、虚を衝かれたというか、あっさりしすぎて拍子抜けした感じ。私の場合、もう学籍が無いから年度末を待つ必要はなかったんでしょうけど。
何はともあれこれで一息吐けますが、のんびりしてるとあっという間に後ろから蹴落とされてしまう哀しさ…。止まってはいられませんね。次の「峠」の方が高いし…。

2007.01.24

地図で世界を学ぶ

高校卒業以来世界地図を買っておらず、そろそろ新しいものを持っていた方がいいと思ったので、『最新基本地図』(31訂版、帝国書院、2006年)購入。帝国書院の地図を見ると、若かりし頃を思い出します(笑)。
で、いろいろ眺めてみると、やはり15年の月日は重いというか、世界ではいろんな変化が起こっていることを感じます。目に留まった範囲で挙げてみると…。

・100万都市が激増している(特に南アジア~中東、アフリカ、南米)
 まあこれはある程度想像できることではありますね。このクラスの都市が既にゴロゴロしていて、都市規模の区別がわかりにくくなっているように思います。特に中国は、そろそろ500万都市クラスの記号が必要じゃないかという気もするんですが。

・ニューデリーがない
 これは軽く驚きました(笑)。少し調べてみると、元々の市街地(オールドデリー)が首都機能を担うニューデリーを飲み込んでしまって区別がほとんど無くなったため、地図帳では「デリー」として一括したということでしょうか。
 あと、インドでは所々地名表記が変わっていますね。マドラス→チェンナイ、ボンベイ→ムンバイあたりは昔ニュースか何かで見聞した記憶はありますが。

・アラル海がすっかりちっちゃくなっている
 15年前に習った頃には既に問題視されていましたが、一層小さくなってしまったようで。もう対策の施しようがないんでしょうかねえ。
 ウィキペディアも詳しいですが、ほかにはこちらなどを参照。

・「ヴ」の多用
 まあこれは地図表記の問題ですが、「ヴァンクーヴァー」っていうのを脳内変換するのに数秒かかりました(笑)。

ほかにもいろいろありましたが、まぁ細かいのでこの辺で。それにしても、ソ連だけじゃなくてユーゴスラビアもバラバラになってしまい、中高生は覚えるのが大変だろうなあと余計な心配をしてしまいました(笑)。今や世界遺産指定地の場所も表記されるようになり、なかなか見ていて面白いです。

4807156136最新基本地図―世界・日本
帝国書院
帝国書院 2006-12

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2007.01.21

名古屋「遠征」or「里帰り」

報告が終わりました。
名古屋で報告したのは、東京へ引っ越す直前にさせてもらって以来で、ほぼ5年ぶりです。というか、もう名古屋を離れて5年になるんですねぇ…。マスター時代の先輩・同期・後輩諸氏と旧交を温めることができて、ありがたいひとときを過ごさせていただきました。

で、肝腎の報告の方はというと…、やはり準備不足による付け焼き刃が露呈してしまいました。安易にやったつもりはないんですが、見る人が見ればわかりますね。
言い訳すれば、今回の報告の目的は、錯綜している諸説の整理を行い、集めた史料を整理してみるのが自分自身では目的でありましたし、その上で呈示した視点そのものには、私自身はこだわりたいと思っています。…って言うと、頑固になっているみたいですが(笑)。
もちろん、教えてもらったことを出来る限り活かして修正したいと思います。その上で原稿化して、広く批判を仰ぎたいところです。

というわけで、最近は珍しくなってしまった自身の研究のネタでした(笑)。

2007.01.18

繁忙期に入って

ここ数日ドタバタとしていて、かえって書くネタがありません。

報告準備はなんとか終えました…が、ちょっとレジュメが膨らんだなあ。レジュメはすっきりコンパクトに、中身は濃厚に、というのが理想的なんですが、なかなかそうはいきません。
ともあれ、どうぞお手柔らかに…。

2007.01.13

第2回日本語テスト

こちらから。

なんと、またも前回と同じ79点…。
私の実力はやはりこの辺りということでしょうか。今回はちょっと深読みして失敗したなあ。

こちらを読んで「再来」を知りました。トラックバック送らせていただきます(笑)。

2007.01.12

地図を作るには

今度の報告では説明しやすくするためとか、聞いてくださる方がイメージしやすいようにと地図を作ることにしたのですが、先日探してみるとネット上では日本の旧国境で線を引いた白地図が見つからずちょっと困りました。

仕方がないので、こちらのソフトを活用させていただいて、市町村境をあれこれ確認しながら国境を手書きで引いてみました。厳密には合ってないところがいくつもあるだろうけど、そんなに厳密にする必要はないから十分かな、と。でも、結構手間がかかりました。

…と書きながら検索かけてみると、帝国書院のページにありましたね(ここ)。いやあこれは助かります。今後活用させていただきます。でも、ちょっと縮尺が小さいかな…。自作だともう少し大きいのと、市町村境が入っているから地名を落としやすくなってかえって良かったかもしれません。

私は今まであんまり地図を付ける感覚が無かったのですが、時々戦前の地図を引用して資料として添付してくださる方がいて、ありがたく思うことが多いです(元々地図見るのは好きな方だし)。
国土地理院もネット上で見られるようになったりしているんだけど、活用という観点ではまだもう一つといった感じ。著作権の問題もあるでしょうけど、「ウオッ地図」っての使いにくいんですけど(見るだけだしなあ)。なんか以前より使いにくくなってないっすか?
最近グーグルとかが地図にかなり力を入れてますけど、娯楽や検索手段としてならともかく、地図そのもの活用する手段としては、やっぱり進んでいる方向と求めている方向とが合ってないんですよねぇ…。

結局、本屋ででかい地図買ってきて、小さいコピー機と格闘して、手書きで情報記入して(画像処理ソフトでキャプション入れるのも面倒だしなあ)、ってのが今も主流なんですかねえ。積極的に研究報告等に活用されている方にご意見を伺いたいところですが。

2007.01.08

大河・風林火山

なんとなく見たんですが、まだ第1回だけとはいえ、この数年とは随分路線を変えてきた感がしました。なんというか、良い意味で「大河らしい」というか。いつまで続くのかはわかりませんけど。

今年はまた露骨に「村」色を出してきましたねぇ(笑)。もっとも一般にはああいう「村」像のイメージが浸透しているとは言い難いので、大きなインパクトを与える意図は感じられましたが…。さすがにちょっと大袈裟じゃないかという感もしましたが、全編にわたるモチーフとして維持し続けられるかどうか見物です。

ストーリーと演技についてはわりと違和感なかったですが、全体的に殺陣がいまいち。その道に通じた時代劇俳優で固めたわけじゃないから仕方がないでしょうけど、迫真の演技を装っているだけに一層ギャップが目立った感があります(もっとも、剣豪を演ずるわけじゃないからと、わざと下手に演出しているかもしれませんが)。
ただ、刀は「斬る」ものじゃなくて「突く」ものだと思うんですがねぇ。特に鎧着けた人が相手ならば。

ま、とりあえず第2回は見てみようという気にはなりました。しかしそれにしても、山本勘助を主役にした以上仕方がありませんが、ほんとに一年間ネタ持つのかねぇ?

2007.01.06

浅草へ初詣

D1000147三が日はほぼ引きこもり生活で、さすがに心が折れそうになったので(笑)、浅草へ初詣に行きました。…といっても、浅草はかれこれ7,8年ぶりぐらいか。
写真は今戸神社。わけあって一度行ってみたかったので。もう三が日は終わっていましたが、続々と参拝者がやってきて驚きました。なんか今年はどこも参拝客が多かったみたいですね。ブームにでもなったんでしょうか?
社伝では、康平6年(1063)創建。元々は八幡宮で、源義家が祈願したという話もあるみたいです。何度か衰微・再興を経て、寛永13年(1636)(寛永通宝発行の年ですね…)に徳川家光によって再建され、今に続いているそうです。
ちょうど隅田川のほとりにあります。この辺りは良質の粘土が取れたために焼き物が盛んで、その焼き物は「今戸焼」と呼ばれます。お馴染みの招き猫も、今戸が発祥なんだとか。あっ、そういえば、沖田総司の最期の地とも言われています(諸説あるそうですが)。

D1000149D1000150
その後はベタに浅草寺へ。本堂と五重塔はあんまり興味ないので(笑)、写真は撮らず。
左写真は、本堂に向かって右側にある浅草神社。漁民が隅田川から聖観世音菩薩を引き揚げ、それを本尊にしたという社伝のある神社で、かなり神仏習合色を残しているのが面白いです。またその由緒から、漁民の信仰を集めた神社だったのでしょうか、紋には漁網がデザインされていました。「三社様」と呼ばれ、有名な三社祭はここの神社の祭礼です。社殿は慶安2年(1649)に徳川家光によって建立(重要文化財)。震災と空襲に耐えて、今に残っています。
写真右は本堂に向かって左側にひっそりと建っている日限(ひぎり)地蔵堂。境内では最古の建築物で、元和4年(1618)の築だそうです。

その後仲見世の人混みにうんざりしながら、下町風情のある店で飲み初め(笑)。英気を養い、今年も頑張って参りたいと思います。

2007.01.05

10年過ぎて

ふと思い返してみると、私がインターネットの世界に接してから10年が経ちました。
当時はまだコンテンツも少なく、電子メールも浸透していなかったので、実益の側面はほとんど見出しがたい状態でした。
その後5年の間に凄いスピードで進化し、皆さんご存じの現状に至るわけですが、ネットのみを介した交友関係の広がりを見る限り、私自身はこの10年でかなり退化してしまいました。

10年前というのは、ちょうどニフティでのパソコン通信が全盛期を迎えた頃でした。「オフ」と呼ばれた、実際に会って交流するイベントが毎週のようにどこかで行われ、全国各地から大勢集まったものです。最近になってミクシィの流行がその「文化」を継承する受け皿として機能しつつありますが、この10年でのインターネットの拡大は、おおむねパソコン通信による濃密な交流の場を奪ってゆく過程にあったと言えるようにも思います。

技術は進歩しても、使うのは同じ人間。「人間的な」ものは10年でそれほど進化するものではありません。この10年間は、インターネットの進歩に対して、「人間的な」関与という在り方での対応が後手に回ってきたように感じます。ここ数年はさすがに技術面での進歩のスピードが鈍化してきたように思いますので、そろそろじっくりと「人間的な」交流を模索する段階に差し掛かったのかもしれません。その一つの現れが、ミクシィの流行にあるのかなぁ、という気がします。
パソコン通信においても、そのピークは始まってから10年もかかってからでした。社会のスピードを勘案しても、インターネットのピークはまさに現段階にあるかもしれません。パソコン通信のように衰微してゆくのか(もっともこちらの場合、ホストであるニフティの姿勢にかなり問題がありましたが)、長く社会文化として定着してゆくのかは、使う我々人間が決めることである以上、インターネットを介してどのような「人間的な」交流の在り方を見出すかによるように思います。

パソコン通信時代、一つの格言がありました。言い方はそれぞれですが、
「ネットは空想社会ではなく、現実社会の一部である」
というようなものです。ネットと現実社会とは決してパラレルではないことを戒めるために、よく言われました。今こそ大事にしたい精神であるように思います。

2007.01.02

正月関係なし

あけましておめでとうございます。
今年も相変わらずとりとめのないことを書き連ねることと思いますが、変わらぬおつき合いをよろしくお願いします。

私はお屠蘇気分もなんのその。元日から酒も飲まずに史料や先行研究と睨めっこしています(笑)。今まであまり勉強していなかったフィールドについ踏み込むことになったので、頭の整理がなかなか大変です。良く言えばパズルみたいなもんですかねぇ。幸いにも史料が絶望的に無いわけでもなかったので、それなりに楽しくやってますが、テーマ優先だからそこはやはり限界はあります。
ほんとは先入観を持たない状態で面白そうな史料に出会って、そこから論を組み立てるような形が、やってて一番楽しいんですけどね。それぞれの論考の統一性ってのが今の私にはやっぱり必要なので、なかなかそうは行きません。

あと、時間があまり無いのがなあ…。あと一ヶ月あれば…。

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