記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索

読んだ本・読みたい本

無料ブログはココログ

Tools

« 博士学位取るのに時間がかかる? | トップページ | お得な二次募集情報 »

2007.02.15

14世紀「デフレ」の見解に物申す

さて、「その時歴史は動いた」、見ましたよ。
「デフレ」の原因、なるほどそう来たか、と。典拠となったとおぼしき論考を見つけました。

松延康隆「銭と貨幣の観念―鎌倉期における貨幣機能の変化について―」(『列島の文化史』6、1989年)です。売券の比較検討によって、同じ土地の価格が14世紀前半に軒並み下落しており、これが銭貨不足によるものと指摘されています。
ただし。松延さんはその原因として、(1)銅銭輸入量の減少、(2)銭貨需要の増大の二つを仮説として呈示されていますが、(1)の可能性は否定されています。当然です。14世紀前半では、対外関係の変化による輸入量減少は考えられないからです。
原因は明白。当該期は年貢が現物納から代銭納へとシフトする過程にある時期で、日本中で急速に銭貨による貨幣経済が浸透し、銭貨需要が増大してゆく時期にあたります。ですからデフレを想定するならば、対外関係と連動する形での輸入量減少が銭建てでの物価下落を招いているのではなくて、それを上回る銭貨需要が作用していると考えるべきでしょう。

番組HPは不親切で、根拠となった「東寺百合文書」の売券について詳しい解説が無いので、番組で使用したと思われる売券を紹介しておきます。おそらくミ函49号の、「山城国紀伊郡社里三十一坪田地手継注文」のようです。建治2年(1276)では田2反半が25貫文であったものの、貞治3年(1364)には7貫文、同年にもう一度売却され、5貫文となっています(同年で価格が下がっているのはどう考えるのでしょう?)。
この事例だけでは、14世紀後半にこのような下落があったものという印象を抱きますが、既に述べたように、明の建国よりもずっと早く始まっていることから、明の海禁と連動するものではまったくありません

ついでながら、先に触れた百瀬今朝雄さんの米価変動の論考によると、15世紀前半は短期的な上下はあるものの、長期的にはほとんど米価は変わっていません。つまり、明銭の輸入が米価変動に及ぼした影響はおそらくほとんど無かったものと考えられます。まぁこれは結果論ということになるかもしれませんが、明銭輸入がデフレの解消をもたらすことはなかった、ということになろうかと思います。

もっとも私はそれでもなお、これらの現象を「デフレ」としてのみ理解することには問題があると思います。14~15世紀は、ちょうど銭貨がほぼ唯一としての貨幣の地位を得る短い時期に当たりますが、物価変動というのは単純に貨幣と商品との関係によって発生するものではないのは当然なわけで、それだけを見る経済学的指標にのみ囚われるのは問題であると考えるからです。当該期に銭貨需要が高揚したことは事実だと思いますし、それが物価下落の要因の一つになっていることも否定しませんが、それだけでは解決できない問題もある、ということで。この辺は難しい問題なんですが。

ちなみに応永11年(1404)に「1万5000貫」の銅銭が日本にもたらされたとの話がありましたが、これはおそらく永楽通宝ではありません。永楽通宝の鋳造は1411年(応永18年)からで、義満が死んでからとされているからです。多分この時にもらったのは洪武通宝じゃないかと想像されるのですが、よくわかりません。で、永楽通宝鋳造期には既に日明間で断交しているわけで、永楽通宝が“正規の”ルートで日本に入って来たのは義教による再開後の1,2回の間だけだった可能性が高いです(義教期は既に宣徳帝の治世ですが、宣徳通宝の初鋳は1434年)。そう考えると、永楽銭は遣明船随行の商人を中心に、ほとんどイレギュラーな形で日本に入ってきたと考えた方が良さそうとさえ思えます。
で、北山第の造営に「100万貫」っていう話を事実として出したら、かえって日明貿易がちっぽけに見えてしまいませんか?(笑) 実のところ、明銭輸入の経済効果ってのは、だいたいこんなもんだと思います。
Sさんは限られた時間で随分的確に解説されていましたが、物価下落の話が全く出てきませんでしたね。やはり番組の見解には否定的であったのか、言質を取られまいと、あえて触れないようにしていた感すらしました(笑)。

しかしこの手の番組、どうして最後は暴走するんでしょうか…(笑)。永楽銭の解説がひどくてぶったまげましたよ(笑)。まあ、私にとっちゃ専門だから余計気になっただけなんでしょうけど。これは細かい話なので割愛。

ちなみに「日本国王良懐」については、むかーし書いた駄文が日の目を見る時が来たようです(笑)→こちら

« 博士学位取るのに時間がかかる? | トップページ | お得な二次募集情報 »

コメント

絶対「現代にも当てはまります」と言うだろうなと思ったら本当に言った。
面子より実利を取るべき、のところで。
NHKの媚中路線は本当にブレがないね。
この一貫した姿勢はたいしたものだと思うよ。


今回の放送で言いたかったことを一言でまとめると、
つべこべ言わずに中国様の属国になれ

>aoyamaさん
まあのっけから現首相の「中国詣」の映像で始まってましたしねえ…(笑)。
実のところ、日明の国交「回復」(この言い方も語弊あるけど)はそもそも洪武帝から使者を送ってきたことが端緒ではあるので、明側の事情も汲むべきだと思うんですが、その辺はすっとばしてましたね。

要するに明としては、倭寇を取り締まってくれるやつだったら、誰でも良かったんですよね。


「その時歴史は動いた」は、NHK側が主導権を握り、ゲストの先生は箔付けで呼ばれるだけですから、S井先生が「デフレ説」を主張しているわけではない可能性が高いですね。

>御座候さん
やはり倭寇の問題が重要なんですが、番組じたいはさらっと触れた程度だった感があります。

外征好きな永楽帝になると、義持の断交に激怒して日本へ遠征する意向もあったとされていますが、こちらも「蒙古襲来」を理由に猛烈に反対されて沙汰やみになったと言われてますね。

実際、明側も全盛期のモンゴルが二度も敗れた記憶が鮮烈だったわけで、その辺も触れた方がバランスが取れた構成になったんじゃないかと思います(ま、ここまでやると主旨を逸脱するでしょうけど)。

やっぱりSさんの御説じゃないんでしょうねえ。しかしどこで仕入れた知識だったんだろうか…。かなり熱心に調べていたと思うんですが、肝腎なところで誤解しているのか曲解しているのか。こういうの多いですね。

日本も対明断交した時は、「明が攻めてくるんじゃないか」と懸念したようで、応永の外寇の際は、「やばい! 明が攻めてきたよ!!」と思いっきり勘違いしてパニックになってますよね。だったら断交しなきゃいいのに……


ちなみに近年、韓国で叫ばれている「対馬も韓国領」説の根拠は、応永の外寇時に対馬の一部が「朝鮮に組み入れてくれ」と嘆願した点にあるようです。

どーでもいい とか書きながら随分とご丁寧に調べていますね。マスコミなんて結論ありきで、あとは適当にストーリーを作るだけですよ。NHKは多少民放よりはましですが。私も純歴史系ではないですが、NHKの番組も民放も手伝ったことありますから。あの手の番組は、新人物往来社系と一緒です。あるある・・を信じた人々もどうかと思いますが、あの手の番組も遠目で見るのがいいわけで、その時・・も似たようなものです。御座候さんのご指摘のとおりゲストも箔付けですから、本人の説とはあまり関係ないでしょう。

>御座候さん
断交の理由、最近ではどういう理解になってるんでしょうね? 一昔前だと、ほとんどが義持の義満嫌いで片づけられていましたが。
対馬の併合嘆願の話、確か『朝鮮実録』に書いてあるんでしたっけね。正直言って、根拠がこれしかないんじゃ正当性を主張するにはちょっと厳しいと思いますけどねえ(笑)。

>マスコミとはさん
書き込みありがとうございます。
「どーでもいい」のは、“放送日が2月14日である”ということでして…。わかりにくかったですかね。すみません。久しぶりに私の興味のある分野がテーマでしたので、放送そのものは興味深く見てました。

貴重なご助言、ありがたく思います。ただし、ご指摘のような「マスコミ」の姿勢を踏まえた上で、細々と書いているという主旨をご理解いただければ幸いです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/13914077

この記事へのトラックバック一覧です: 14世紀「デフレ」の見解に物申す:

« 博士学位取るのに時間がかかる? | トップページ | お得な二次募集情報 »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

Amazon

最近のトラックバック