記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 「すべて」もの | トップページ | 足利義満、登場 »

2007.02.05

「風林火山」序盤の感想

なんだかんだ言って、これまでは全部見ました。
鑑賞に堪える…なんて言うと偉そうですが、予想外の収穫というか、結構面白く見てます。

一応それを前提として…。

とはいうものの、違和感がないわけではないです。
一番気になるのが、世間が狭すぎること。勘助の親類縁者、及び「知り合いの知り合い」のレベルで、甲・駿の主要人物のほとんどが繋がってしまうのは、やっぱりいくらなんでも強引すぎる感があります。
とりわけ、太原崇孚(雪斎)まで縁者になってしまうことからすれば、庵原氏を縁者に設定したのはどうだったかなぁ…。ほかに描き方は考えられなかったのだろうか。もっとも、花倉の乱の時期は知名度も低いし、主要人物の人間関係も複雑なので、それを限られた時間で描ききっているための設定だということは理解できるし、それはある程度成功している、とは思いますが。

ちなみに天文5年(1536)の情勢として、比較的信頼できる史料として認識されている「勝山記(妙法寺記)」(『山梨県史』資料編6所収、読みやすさを考慮して適宜改行を入れています)によると、

(前略)正月十四日夜大風吹候て、皆々家ヲソンサシ申候、
此年弐月十一日、小林和泉殿死去被食候、
此年四月十日駿河ノ屋形御兄弟(今川氏輝・彦五郎)死去被食候、去程ニ其ノ年ノ六月八日花蔵殿(玄広恵探)・福島一門皆ナ相模ノ氏縄(北条氏綱)ノ人数カセメコロシ申候、去程善得寺殿(今川義元)屋形ニナヲリ被食候、
此年五月ヨリ七月マテ雨フリ候て、言悟(ママ)道断餓死至シ候、殊更疫病ハヤリ申候、
此年六月当国ノ府中ニテ、前島一門皆上意(武田信虎)ニソムキ腹ヲ切リ申候、去程ニ一国ノ奉行衆悉ク他国へ越被申候、(後略)

これによると、花倉の乱の勝利は北条氏綱の主導によってもたらされたと書かれているわけですが、ドラマでは援軍を送ったとはしていたものの、かなり薄められていましたね。
ややネタバレ気味ですが、今後の前島誅殺と家臣の離反をどう描くかが見物になってきますね。
ついでに、やや信憑性が劣るとされる「甲陽日記」(同上書所収、駒井政武筆との説から「高白斎記」とも呼ばれますが、駒井筆者説は疑問符が付くらしい)によると、
(前略)二月(後奈良天皇)御即位、三月武田晴信公元服、十六歳、(足利)義晴ノ諱ノ晴ノ字ヲ賜フ、十七日今川氏照(輝、以下同じ)・同彦五郎同時ニ死ス、同五月廿四日夜氏照ノ老母(寿桂尼)、福島越前守宿所ヘ行、花蔵(玄広恵探)ト同心シテ、翌廿五日従未明於駿府戦、夜中福島等久能へ引籠ル、六月十四日花蔵生害、

とあります。やや異同があるわけですが、どうなんでしょうかね。「甲陽日記」だと、寿桂尼は花倉方に荷担したとも読めますが、まあこれは疑問でしょう。

さて、「勝山記」にもありますが、この時期は毎年のように災害があったと記されています。で、第一回でやや大袈裟気味に描いていた「村」ですが…。結局、竜頭蛇尾になっちゃいましたね。まあ仕方ありません。あれだけ飢饉やらなんやらと言っていたのに、結局今のところ舞台装置として活かされている形跡はないですね。
百姓が「下克上」とか「一揆」とか言っていましたが、ちょっとどうかなぁ。特に「一揆」はいただけない。「蜂起」の方が良かったと思うんですが。
ただ当時においては、百姓は武装蜂起よりも逃散を選択するケースが多かったので、そちらの可能性を強調した方が良かったように思います。ま、インパクトが小さくはなりますが、そもそも「村」を描き切れてないんだから、大して拘る必要もないように思うわけで。

ま、そんなこんなで。なんだかんだ言っても、引き続きこれからも見たいと思います。私もまた、ミツの退場は残念です(笑)。貫地谷しほりさんの今後のご活躍をお祈りします。でも、ブログ見たらちょっと引いたけど(笑)。

« 「すべて」もの | トップページ | 足利義満、登場 »

コメント

「同心して」の主語ですが、僕は福島越前守だろうと思っています。公家の日記なんかではよく主語の省略が見られますが(『晴豊公記』とか)、これもその同類でしょう。
寿桂尼が交渉に行ったものの、福島党は花倉殿側についた、という解釈で考えているんですが。

>橋場さん
なるほど…。そう解釈した方が筋が通りますね。寿桂尼が花倉方に付くというのは、やはり後の経緯を勘案しても考えにくい話だと思いますから、橋場さんの解釈のように私も理解したいと思います。

うちではこの時間帯に妹が韓国ドラマを見ているので、見てないんですけど…。

花倉の乱の首謀者である「福島一門」って、ドラマではなんと呼ばれていますか?今の読み方であれば「ふくしま」って言ってしまいそうですが、これで「くしま」と言うとは、誰も思いつかないでしょうね。

>たけうちさん
「くしま」で統一されています。テロップにルビもちゃんとふってました。
福島越前守の息子が小田原で匿われるという話までやってました。のちの北条綱成ということなんでしょうか。
もっとも綱成の玉縄北条氏は、通説では福島氏の出身と言われていますけれども、最近では懐疑的なようですね。

>かわとくん
北條綱成と福嶋伊賀守を兄弟ではないとする考え方が有力なのは知っていましたが、それは知りませんでした。非常に興味があるので、もう少し詳しく教えていただけませんか。

>かわいさん
指摘されてからというのもなんですが、誤解を招く表現でした。花倉の乱で滅んだ福島氏ではなく、それより以前から北条氏に仕えていた福島氏の出身という話が有力になっている、というわけでして…。ご期待されたかもしれませんが、すみません。

私自身、北条綱成が氏綱の実子ではなく、なぜ福島氏(上記のどちらであれ)からの養子として理解されているのかも把握できておりませんでして。
綱成は、史料上では「北条庶子」とされているようですが、佐藤博信「北条為昌と北条綱成」(同『中世東国足利・北条氏の研究』(岩田書院、2006年、初出1986年)を見ても、無前提に福島正成の実子としていて、氏綱の娘を娶ったので「庶子」となった、と述べています(典拠の言及はなし)。

答えになってなくてすみません。不勉強なもので、私が把握しているのはこの程度でして。

うーん、それって大永元年に上条河原の合戦で福嶋一族が潰滅した直後とする説のことですか?
福嶋一族の北條家出仕は北條早雲の遠江・三河侵攻当時まで遡れる、というような説を期待していたのですが、ちょっと先走りすぎたかもしれません(笑)。
綱成の出自を福嶋一族に求める根拠は、系図と軍記物だけなのではないかと思うのですが、そもそも上条河原で討死したとされる福嶋兵庫頭正成が、その系図と軍記物の中だけの人物ですからね。その息子かどうかなど、根拠を云々する以前の話ではないかと思います。

気になったので少しばかり調べてみたのですが、佐脇栄智さん(『神奈川県史』通史編)も黒田基樹さん(同『戦国大名領国の支配構造』岩田書院、1997年)も、綱成が福島氏出身の養子であるのは前提になっているようです(誰の養子かについてはいくつか見解がありますが)。いずれも典拠の記載はなし。
典拠は軍記物か系図なんですか。これらであっても信頼できる史料であればいいんですが、それならばできれば典拠を明示してもらえたらなぁ、と思いました。
もっとも、玉縄北条氏との関係においては養子で入ったことは確かなようなので、それさえわかれば出自は大した問題ではないんでしょうけれども…。

ウィキペディアの「福島氏」には「元々伊勢長氏に仕えていたともいわれている」っていう記述がありますけど、典拠がないので誰が何を根拠に言っているのかはわかりません(笑)。

こんにちは。
こちらでは始めてのコメントになります。よろしくお願いします。

まず、山本勘助と庵原氏の関係については、『甲陽軍鑑』にも原作小説にも出てきますので、これはこれで問題はないかと思います(雪斎との絡みはドラマオリジナルですが)。
「下克上」「一揆」の用語使用については全く同感です。このへん、聞いててちょっと呆然としてしまいました・・・。

北条綱成が今川重臣・福島氏の出身とする典拠は『高天神記』『関八州古戦録』『系図纂要』といったところで、特に『系図纂要』が系図としては信憑性が高く、『高天神記』『関八州古戦録』等の叙述とほぼ合致していることから、これが通説となっているようです(小和田哲男『今川家臣団の研究』)。
ただし、綱成の父とされる上総介正成という武将は、信頼できる古文書・古記録では確認できず、小和田氏は大永元年に甲斐に攻め入ったのは、永正年間の高天神城主として確認される福島左衛門尉助春ではないかとしています。綱成は左衛門大夫とか上総入道とか名乗っていますから、父が左衛門尉もしくは上総介というのは、いかにもありそうです。
小和田氏によると助春は高天神城主を解任されて駿東に蟄居させられていたところ、北条氏にそそのかされて甲斐に無断出兵して討死。その遺児が北条氏を頼って落ち延び、北条綱成となった・・・というのですが、ここまでくると推測が入りすぎていて、私にはちょっとついていけません(^^;

あと、花蔵の乱についてはここ↓でも軽く触れましたが、寿桂尼と福島越前守の関係がポイントだと思っています。
 http://d.hatena.ne.jp/sanraku2/20070204#c1170611903
北条家臣としての綱成の初見は天文三年ですので(『快元僧都記』)、花蔵の乱以前から北条に仕えていたことは間違いなく、福島正成=福島越前守という解釈(新人物往来社『戦国人名事典』など)は厳しそうですね。今川と北条の関係からすれば、親子がそれぞれに仕えていてもおかしくはないのですが・・・。

最後に蛇足ですが、荒大名として有名な福島正則と今川家臣・福島氏は何らかの関係がありそうです↓。
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/kusima.html
だからなんだといわれても困るのですが(笑)

>板倉丈浩さん
詳細なご教示ありがとうございます。なるほど『系図纂要』でしたか。小和田さんの文献には当たらなかったので、勉強になりました。
ただ成立年代からすれば、軍記物の方が先行していますから、「ネタ元」がどこにあるかは微妙なところですね…。

原作はもうかなり昔に読んで細部はほとんど憶えていませんでしたが、庵原氏との関係が描かれていたんですね。そこは原作に忠実な設定として理解することにします。
それにしても、北条綱成は調べてもなお謎の多い人物ですねえ(笑)。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/13792602

この記事へのトラックバック一覧です: 「風林火山」序盤の感想:

« 「すべて」もの | トップページ | 足利義満、登場 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Amazon

最近のトラックバック