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2007.03.30

「本能寺の変」論争の到達点

桐野作人『だれが信長を殺したのか-本能寺の変・新たな視点』(PHP新書452、PHP研究所、2007年)受贈。ありがとうございます。読了いたしました。

長らく構想を練っておられたとのことで、実に多彩な史料を豊富に用いられていて、飽きずに読み切ることができました。
近年ではどちらかというと、研究者の間では織豊期の政治史はやや低調な感がありますが、天正8年(1580)以降の信長政権と四国との政治情勢や、それに絡む三好氏の処遇の問題など、従来あまり注目されていない興味深い論点がまだ多く課題として残されているんだなぁ、と感じました。

史料的制約もあって、編纂物や軍記物の援用がどうしても多くなると思いますが、それを鵜呑みにせず出来うる限り史料批判が施されていて、安心して読み進められます。もっともそれらの史料批判の妥当性については、今後専門家の間で真摯な議論がされることにより、当該期の情勢がもっと精密に理解されるよう期待したいところです。

個人的には、上賀茂神社の天正10年(1582)6月の算用状が実に興味深かったです。上賀茂はこの時期の史料を特に多く所蔵しているのですが、まだまだこういう史料はほかの寺社の文書にはあるかもしれないなぁ…などという気もしました。

だれが信長を殺したのかだれが信長を殺したのか
桐野 作人


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コメント

国内では最大の敵宗教は、やっぱり天台宗ではないでしょうか。実際、天台系のある寺では今でも信長を仏敵として呪詛みたいな事をやっていますし。
最澄の敵でしょうか。
本当に奥深くて混乱しますが、魅力のある歴史ですね。今もこの戦いは終わってないですし。信長の執念ってすごそう。

>もこさん
コメントありがとうございます。
未だに信長を恨んでいるお寺があるんですね(笑)。
ただ天台宗そのものに対する敵意があったかといえば、どうでしょうかね。比叡山とは対立しましたが、例えば天台系の山岳修験元締めである聖護院とは仲が悪かった様子はありません。

かつては足利義教も比叡山を攻撃していますが、宗教施設としてより、武力を抱えた「権門」としての存在が、政治的対立を生み出したと考えるのが良いように思います。

かわとさん
>かつては足利義教も比叡山を攻撃していますが~

これはかわとさんの仰るとおりです。中には義教や信長の延暦寺焼打ちを「宗教弾圧だ」と述べてる人がいますが、義教の場合は衆徒(僧兵)が自分で根本中堂を焼いており、義教はこの報せをうけるとすぐに再建計画を練ってます。

また、天台宗内部においても延暦寺(山門)は反義教派で、園城寺(三井寺。寺門)は親義教派という具合に別行動をとっています。信長の時も義教と同じ動きを見せたかどうかは分かりませんけど、こうした経緯も併せて考えて見るた方がよいと思いますよ。

最後に、延暦寺を断罪しようとした時、義教はこう言っています。「毎度被優神雖申何様非拠可有御載許歟。」(いつも神が優れているんだぞと延暦寺がいちゃもんをつけても、私はそれを認めなければならないのか。)(『満済』永享五年閏七月十一日条)。このあたりについては下坂守氏や太田順三氏による論文がありますから、読んでいただけると幸いです。

>たけうちさん
詳しい解説ありがとうございます。義教はかつて天台座主にもなっていましたが、その誼があっただけに、反抗する姿勢に対しては余計に恨み辛みが募ったのかもしれませんねぇ。

イエズス会も相当怪しいですね。
信長も結局異端だったのではないでしょうか。都合よく、邪魔な者を争わせて始末させたという感じがします。
荒木村重などは信長への謀反とはなっていますが、他の本では荒木という名のマラーノ的宣教師がイエズス会迫害の拷問に耐えれずに、簡単に寝返りイエズス会を見捨てた”転びバテレン”とされています。信長への謀反ではなくて、イエズス会への謀反だったわけですね。
結局、荒木も明智も信長も右近ももてあそばれて利用された感じですが。

>もこさん
イエズス会の権力への接近は当然ながら布教活動の一環ですから、その目的遂行を第一に考えた上での離合集散は徹底しているでしょうねぇ。

もっとも本能寺の変に関して言えば、個人的には代表的論者である立花京子さんの御説には同意できません。ここで紹介した桐野さんの御著書でも立花説批判がありますけれども、私はそちらに同感です。

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