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2007.03.21

民衆を思う。地域を思う。

ここへ来て随分寒いですね…。

先日、佐藤和彦さんの追悼集会に参加。シンポジウムでは佐藤さんの研究回顧や、関連する研究報告。
佐藤さんのご研究は言うまでもなく「民衆」がキーワードで、その点まったく「ブレ」が無かったことについては多くの方が仰せでした。
ただ、最後にある方がおっしゃったように、佐藤さんは歴史教育についても一貫して問題意識を感じておられました。「研究」を振り返るという趣旨であったにせよ、そこへの言及がほとんど無かったのは私もかなり違和感を感じていました。今の我々には、歴史教育への取り組み方をいかにすべきかが問われているわけですし…。まあこれは他人を批判するのではなく、私自身の反省材料としたいところです。
夕方からは偲ぶ会。当初は参加するつもりはなかったのですが、まさにまたとない機会なので、急遽参加することに。老若男女いろんな方がお見えで、まさに人徳が偲ばれます。

その翌日は、その佐藤さんも肝煎りであられた、うちの大学と学芸大との年に一度の「合同ゼミ」。こちらでも書いたように、去年のこの会にお見えになった佐藤さんに、「今年中に博論を書く」と宣言したのですが、それを果たすことが出来てほっとしています。しかしお見せすることができないのは返す返すも残念です。

話は変わって、ちょっとした合間に読むために本屋で物色したところ、目に留まった本間義人『地域再生の条件』(岩波新書新赤1059、岩波書店、2007年)を購入して読了。歴史系以外の本を読むのは随分久しぶりです。
地域活性化を巡る国策の誤りを糾弾し、地域の「自律」と「自立」による独自の取り組みによる成功例を紹介しながら、その在り方を推奨するような趣旨でした。その点において一貫しているのではありますが、それだけ、という感じも。
国の失策もすべて「役人の机上の空論」で片づけるのではなく、それがいつまでも続く政治・自治の怠慢や、それを許す有権者の怠慢も同時に反省を促すべきで(特に地方議会の機能不全は頭が痛い)、その自覚が共有されてこそ、地域の「自律」と「自立」が可能となると考えるべきでしょう。このような趣旨の指摘はありましたが、国への糾弾の鋭さに比べると、どうも躊躇いが感じられました。

また地域活性化の処方箋として、地域性を活かした独自の取り組みを推奨しておられるようですが、それこそ「地域」というのは星の数ほどあるわけで、一方で独自性が星の数ほどあるかといえば、そうとも言い切れない。
「地域それぞれで工夫して」ということを提唱することが、処方箋たりうるのかといえば、どうでしょうかねえ。そんなの当たり前だし、と思うんですが。その当たり前なことが今まで出来ていなかったということであれば、そうなのかもしれませんが。NPOの取り組みなどの具体例は指摘されていましたが、もっと根本的な原因分析と対策を明確にして欲しかったなあ、というのが率直な感想でした。

地域再生の条件地域再生の条件
本間 義人


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コメント

 そもそも「地域」の認定が恣意的なものでしかない以上、地方自治って話の前提に無理があるんですよね。
 極端な話、山の中の一軒家で「俺の家は代々村に属していなかった。だから勝手に村に含めることは認めない」と主張した場合、その一軒だけを独立した地域と認めるのか、という話です。世界各地の民族問題の根は、突き詰めればそういうことで、実は他人事ではないはずなんですが、どうもそのへんに対する認識が日本人は甘いようです。

日本人は均質な価値観を共有していることが政治なり自治なりの前提となっているので(正しいかどうかはともかく)、地域区分の最小単位は自治体の単位になってしまったり、地域の異質性の指標は自然環境と経済格差だけになってしまうようですね。

もちろんどこへ行っても裕福で便利であればそれに越したことはないんですが、それだけを地域の「自立」の指標にしてしまっていいのか、ちょっとひっかかるところはありました。

もっとも、不経済な地域が崩壊しても、それを淘汰としか見ない論客もいるようですから、それに比べればまだ穏健な論旨ではありましたが…。

「地域」に「共同体」、社会学について考える時に決まり文句として出てくる言葉ですねぇ。今、私が読んでいる速水敏彦『他人を見下す若者たち』も、「共同体の崩壊し、価値観が多様化したから他者のことを思いやれない若者が登場した」と述べています。

でも、多種多様な価値観を持った、また多種多様な国籍を持った人々が暮らしている日本でにおいて、昔ながらの「地域」や「共同体」を指標に持ち出してくるのはどうなんでしょう?

 交通機関の発達などの影響で地域間を往来する者が多く、また「兼参する輩」もいるのだから、地域について云々するのは、いかがなものかと思うのですが。

 もしよければ、今村仁司『交易する人間―贈与と交換の人間学』(講談社、2000年)はお読みになられました?社会学の本ではありますが、流通について研究されてるかわとさんなら、役に立つかと思います。

 私も購入するか、図書館で借りるかしようと思います。その前に、大量に買い込んだ本を消化しないと…。

>たけうちさん
「多種多様な価値観を持った、また多種多様な国籍を持った人々が暮らしている日本」というのは、相対的な話としては私は懐疑的でして…(かわいさんもそういうご趣旨の指摘だと理解してコメントをしました)。
そこが足りないからこそ、画一的な視点でしか政策が打てていないんじゃないか、と批判した次第です。画一性の弊害については、紹介した書籍にも貫かれている問題意識です。

ご紹介の今村仁司さんの著書については、不勉強ながら未読です。読んで勉強したいと思います。今村さんの本をちゃんと読んでいないのは、確かに怠慢ですねえ…。
ただまあ、「社会史」的な議論には、あるていど距離を置いているというのはわりと自覚してはいます。それが真摯な態度ではないことも承知してはいるのですが…。

>たけうちさん、かわとさん
 共同体も価値観も「過去のある時点」と切り分け方が変わっただけ、という意味では、共同体や地域を指標とすることが即誤りとは思いませんが、現状をイレギュラーな変化と捉えて過去の指標を持ち出されても、確かに違和感しか残りませんね。
 過去のある時点に固着することは画一化された発想そのものといえますが、それに対する批判もまた画一的になる可能性がありますからね。自分ではえてして気づかないですから、透けて見えるようだったらビシッとご指摘ください(笑)。

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