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2007.04.30

変わらぬ文献検索手段

日本史の論文は毎年膨大な数が積み重ねられています。刊行雑誌数も右肩上がりなので、少なくとも数年はその傾向が続きそうです。
これについては、業界の活性化ということで喜ばしいことではありますが(逆に世間の関心は続落傾向な懸念もありますが…)、最新の成果へのアクセスが相対的に難しくなっているのも確かです。

最近は国会図書館の検索がかなり精度を増しているので、利用されている方も多いと思います。しかし著者とタイトルで当たりを付けて検索しないと使えないので、結局のところ、ある程度の基礎情報を把握していないと役には立ちません。

ではどうしているのか。私を含めて、おそらくほとんどの方は未だにアナログな手段で情報を入手しているのが現状ではなかろうかと思うわけです。例えば『史学雑誌』の目録や「回顧と展望」は当然として、岩田書院が出している「地方史情報」とか、各雑誌の文献目録とか、その辺ですね。このような在り方は、少なくとも10~20年のスパンで見れば変わっていないのではなかろうかと。ちなみに私が公開している文献目録も、基本的にはこの手段で当たりを付けて、あとは実際に論文を読みながら参照している論文を探しています。

最近の動向としては、各大学が「リポジトリ」と呼ばれるサイトを立ち上げて(例えばうちの大学ではこちら)研究成果のネットでの公開作業を進めつつあります。それが普及すればネット上での検索が飛躍的に向上する可能性を秘めているわけですが、やはり紙媒体が圧倒的主流の業界にあっては、当面は検索手段も変わらないだろうなぁ、と思ったりもします。

当の私も、実のところ、まだ論文をネット上で公開することにはかなり抵抗感があります。著作権の問題というよりは…、うーん、それだけ私もこの業界の環境に安住しちゃってるということなんでしょうかねぇ(笑)。ただまあ、紙媒体の携行性の高さはやっぱりまだ捨てがたいというのはありますかね(印字すりゃいいだけじゃないか、というツッコミはさておき)。
それと、これはほとんどとってつけたような理由ですが(笑)、論文単位で公開するようになると、自分の関心のあるものしか読まなくなる可能性がさらに進んでしまうんじゃないかなぁ、という気もします。自分の関心のある分野とは違うけど、たまたま同じ冊子に載っていた論文を読んでみて勉強になることもありますしねぇ。

いや、この話、こちらを読んでふと思ったわけですが、日本史ではこういう動きはしばらく無いでしょうねぇ。よほど個人では論文検索すら難しくなるくらい氾濫するようになれば自発的に動きが出てくることは考えられますが、今のところなんとかなっているのも確かですしねぇ。
そういう意味では、「抜刷」文化が補完することの意味はやはり大きいんだなぁ、と思います。私はやや億劫がってしまうのですが…(すみません)。

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