記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索

読んだ本・読みたい本

無料ブログはココログ

Tools

« 意外と刺戟のない毎日 | トップページ | そこのけそこのけ「改革」が通る »

2007.04.20

荻原重秀の初の伝記?

村井淳志『勘定奉行荻原重秀の生涯-新井白石が嫉妬した天才経済官僚』(集英社新書385、集英社、2007年)読了。
荻原重秀といえば、元禄期の貨幣改鋳で混乱をもたらしたとして、好印象で描かれたことのない人ですね。確かに私も、この人に対するイメージはよくありませんでした。ところが実は、そのイメージはすべて、実際に荻原を蹴落として幕府中枢に座った新井白石が著作を通じて作り出したものらしい。その描写は思い込みが多く、実像にはほど遠いものだったことが、実際に史料を用いながら述べられています。
元々小説として書くつもりだったと述べられているように、内容としては伝記的な形です。事実関係自体は知らないことがほとんどなので、文章も読みやすく、面白かったです。ただ、最後の著者の「推測」は、どうでしょうかねぇ? 私は、さすがにそれはどうかなぁ、というのが正直な感想でした。

さて、問題は貨幣改鋳の話。一般には、改鋳によって素材価値が下落したため物価騰貴を招いたと評されているわけですが、物価騰貴の原因が貨幣改鋳そのものには無かった可能性が高い点については、私も了解できました。
一番興味深かったのは、荻原が「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」と述べたという点です(p117。ただし実際は太宰春台著とされる『三王外記』が出典で、太宰の思考による影響も考えられるため要検討)。
著者はこれをもって荻原が「貨幣国定説」を見出していたとし、名目貨幣の発見の画期性を強調しておられます。まあケインズとの比較という観点が主なので、それもわからんでもないですし、理論そのものが「発見」されたのは、確かにこの時だとすることも、可能かもしれません。
ただし素材価値が価格に左右されない名目貨幣そのものについては、中世以前においては一般的な存在だったと思います。むしろ近世に入って貨幣の在り方が変わり、素材価値に貨幣価値が左右される状況の現出したことが、近世貨幣(というか、第一次大戦までの貨幣)の弱点となったと思われます。

読みながらつらつらと考えたんですが、どうもこの転換が起こったのは、やはり16世紀にありそうです。一番重要なのは、元々商品だった金・銀が貨幣になったことではないかな、と。それに加え、銭・米も加えて貨幣の役割を担うモノが複数存在することになったことも問題です。ここで「相場」が登場し(実際、この言葉自体16世紀に誕生したようです)、近世社会は貨幣そのものが持つ商品としての性格に悩まされることになった…。

実際に貨幣が商品としての性格を完全に放棄したのは、1971年のアメリカの金本位制放棄であったことは、経済史では有名な話ですね。貨幣史的には、ここまでを一体的に見通すのが目標になるんだろうなぁ(私にはできそうにないけど)。

著者自身は歴史教育がご専門のようですが、丹念に史料を博捜されており、論理にブレはないように思います。もっとも、私は使用された史料について一々その背景を理解しているわけではないので、その辺については近世史の専門家から見るとどう映るかはわかりませんが。
なお、ついでながら、一般的に「いい人」と思われている新井白石のイメージも一変するかもしれません(笑)。

4087203859勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書 385D)
村井 淳志
集英社 2007-03

by G-Tools

« 意外と刺戟のない毎日 | トップページ | そこのけそこのけ「改革」が通る »

コメント

歴史研究者の本ではありませんが、荻原重秀を評価する本は、結構前からありました↓

http://www.amazon.co.jp/%E5%B3%A0%E3%81%8B
%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B-%E5%A0%BA%E5%B1%8B-%E5%A4%AA%E4%B8%80/dp/4101491038/ref=sr_1_2/503-5443620-5319148?ie=UTF8&s=books&qid=1177130591&sr=8-2


網野さんではありませんが、戦後歴史学は「農民中心史観」的なところがあって、荻原重秀や田沼意次のような重商主義者は不当に低く評価されていた側面はあるように思います。

To 御座候さん
御座候さんが挙げられた本は、堺屋太一『峠から日本が見える』(実業之日本社、1982年)ですよね?(何気にリンク先をNDL OPACに変えてみたり…)URLを改行すると、リンク先へ飛ばないことがあります。

To かわとさん

私も萩原重秀や田沼意次についてあまり良い印象は持ってませんでしたが、近年再評価が行われているようですね。友だちがまさにこれを研究テーマに据えているので、この手の話はよく聞きましたよ。

>御座候さん
誰かと思えば、堺屋氏っすか。目の付け所が渋いですねぇ(笑)。
田沼については研究者の間でも見直しが進んだことはよく耳にしますが、荻原についてはもう一つかなぁ、という感じで。知名度がだいぶ違うのも影響しているんでしょうけど。
確かに経済史的テーマは、ずっと脇役でしたからねぇ。だからこそ私がこのギョーカイに居られるわけですが(笑)。

>たけうちさん
まさに「常識を疑え」という話ですね。活発な議論が進むことを期待したいところです。

あ、ミスってURLを改行してしまいました。すいません。そうです、堺屋太一です。父親の蔵書で、高校生の時に読みました。


確かに田沼意次については最近、急速に見直しが進んでいるようですね。

自己レスというか、念のため付言しておくと、荻原による「元禄改鋳」によって金の対銭相場が下落して銭不足に陥っており、それが庶民経済に打撃を与えたのは事実ではあります。それであわてて銭も大量に鋳造したようです。
結局、「庶民の視線」であれば、やはり荻原による貨幣政策は場当たり的には見えます。

一方では災害続きで疲弊した幕府財政を建て直した功績が大であることも事実で、結局「どちらから見るか」で評価が決まるんでしょうねぇ。これまでの荻原に対する悪印象は、当然ながら庶民の側に立ったものですが…。

少なくとも幕府勘定方の官僚としては有能だった、ということですね。汚職役人ではなく。

そういえば田沼意次についても、F田覚先生が「近年は田沼の再評価が進んでいるが、それはあくまで幕府から見た視点にすぎない。田沼は幕府財政を再建することしか考えていなかった」とおっしゃっていました。


まあ彼らにとっては幕府を維持発展させることが全てであったでしょうから、それ以上を望むのは酷なのかもしれません。

荻原重秀および田沼意次にたいする再評価の動きは、最近というよりも1970年代からみられます。

田沼については、歴史学研究会の大会において宝暦・天明期が維新変革の起点として取り上げられて以降、その動きが加速しました。
大石慎三郎『田沼意次の時代』や山田忠雄氏の研究が、その代表的なものです。

ただ、元禄期については経済政策に対する再評価の動きは見られますが、当時の研究状況が、どちらかといえば社会や経済構造に関心があったために、荻原個人を主眼にした研究はほとんどなかったかと思われます。
今回の村井淳志さんの著書は、そういった意味においては荻原個人にこだわったという点で貴重な著作であると言えます。
しかし、史料批判が…
私の感想としては、「これからの研究において良い叩き台となる書」というものです。

ちなみに、F氏の田沼に対する評価ですが、F氏の研究の中心が寛政期以降にあり、そして『松平定信』(中公新書)という著作(これは名著です)もあるため、まったく的外れなものではありませんし、重要な問題提起だとは思いますが、松平定信のフィルターが若干かかっている気がします。
そもそも、田沼は”政治家”であって、勘定所を中心とする経済政策を担った、荻原のような”役人”ではありませんし。
定信の田沼批判は、白石の荻原批判以上のものがありました。
いわば、新井白石(『折りたく柴の記』)からみた荻原像に対する、定信(『宇下の人言』)からみた田沼像といった構図です。

田沼に関する研究は、享保期、欲を言えば元禄期からの経済政策の展開と、そこにおける主体勢力を念頭に置いた上ですべきではないかなというのが、現在の私の問題関心です。

長々と乱文を書き連ねましたが、あまり書きすぎるすぎると私の研究ネタがなくなりますので、このへんで失礼します。

追伸)
>かわとさん
5月はよろしくお願いします。

To 御座候さん
>F田覚先生が「近年は田沼の再評価が進んでいる>が、それはあくまで幕府から見た視点にすぎな
>い。田沼は幕府財政を再建することしか考えてい>なかった」

勉強不足で申し訳ないのですが、これはF先生の御著書にこう書いてあったのしょうか?

後学のためにご教示くだされば幸いです。

Toかわとさん

御意。あとは“Think Globaly,move localy”(視野は広く、行動は着実に)を実践すれば尚更よろしいかと。…私はこれからですが(苦笑)

僕はF田先生の授業で聞いただけです。ただし、現在は何らかの形で活字になっているかもしれません。

だいぶ前に聞いたのでうろ覚えですが、松前藩からの蝦夷地召し上げ(幕府直轄領化)などを例にとり、〈松前藩を犠牲にしてでも幕府財政を再建しようとした田沼〉と〈経済政策よりも蝦夷地防衛を重視し、松前藩にも配慮した松平〉という構図でした。

そういう意味ではF田先生は、TKさんがおっしゃるように、松平定信贔屓のところがあるのかも。

お三方、コメントありがとうございます。

とりわけT.K.さんのご登場はありがたいです(笑)。いろいろご教示くださいましてありがとうございました。
やはり史料批判にやや難があるようですね。ただ、まさに「叩き台」となって、元禄期を中心とした経済情勢がより一層明らかになるよう期待します。…私はそれ以前の時代をなんとか(笑)。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/14789565

この記事へのトラックバック一覧です: 荻原重秀の初の伝記?:

« 意外と刺戟のない毎日 | トップページ | そこのけそこのけ「改革」が通る »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

Amazon

最近のトラックバック