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2007年6月

2007.06.27

無音

しばらく間が空いていますが、このところ単調でネタがありません。住民税の通知に目をむいた程度で(笑)。
梅雨とは名ばかりの真夏のような日々に早くも根を上げております。

土産話を聞くに付け、やっぱり大阪へ行っておけば良かったかなぁ…と少しばかり後悔。しかし先に立たず。
あぁ、もう7月かあ。「まだ時間があるからいいや」と放っておいた仕事にそろそろ取りかからないとなぁ。あと、授業の準備も…(これがやっかい)。

ま、近況はそんなところです。

2007.06.21

新書万能の空気

新境地ってほどではないんですが、現在とある分野の勉強をしようと関連論文から参考文献を辿っていたところ、非常にタイトルに惹かれる新書を見つけました。ただ何年か前の刊行で、大学生協や近所の書店には無かったので、注文して取り寄せてもらったわけです(要するに、ここまでは中身を確認していない)。

で、いざ届いて開いてみると…。なんと、タイトルと合致した内容は全体の1割ほどしかないではないか。しかも書き下ろしでもなく、読みたかった内容の部分については、既に持っている別の本に入っているものでした…(少し手を加えた、とは書いてありますが)。

いや、かといってこの本と著者を非難するわけではありません。一つ教訓を得たことは、そうか、新書=書き下ろしっていう先入観が失敗の元だったなぁ、と。いわば「短編集」のような本で、それゆえタイトルと合致した内容がその一部だったわけです。これについては、少し出版社(担当編集者)に愚痴をこぼしてもいいかもしれませんが…(笑)。

個人的には、新書は書き下ろしには手頃な分量のジャンルだというイメージがあったので、まさか「短編集」のような形式があり得ることは今まで考えが及びませんでした。そうか、最近はこういうのもあるのかぁ(むかしからあったかもしれませんが)。最近は点数が莫大に増えている影響かもしれませんが、正直、新書は書き下ろしだけにしてほしいなぁ、と思うんですが。

ところで先日、上記の本とは別に(ここは強調しておきますが(笑)、別の本です)、今谷明『近江から日本史を読み直す』(現代新書1892、講談社、2007年)購入。これもよく見てみると、産経新聞の連載をベースにしたものだそうで。かつては、新聞の連載を一冊にまとめる場合でも単行本にしてたように思うんですが、最近は新書で出すケースも多いんでしょうねぇ。出版社もちと新書に頼りすぎではないか?という気もするんですが。
余談ながら、講談社現代新書はずいぶん久しぶりに買いましたが、やっぱり昔のカバーデザインの方が良かったなぁ…。これもコストカットの影響かと思うと、「経費節減」というのは味気ないものだなぁ、などと思ったりもします(ほとんど言いがかりですが(笑))。

で、今谷さんの本ですが、まだ途中までしか読んでいないんですけど、所々叙述がやや強引な気も…。まぁ、そういうコンセプトとも言えますが。滋賀の歴史のガイドブックとしては手頃でそれなりにマニアックですから(笑)、良いのではないかと思います。

2007.06.17

パックツアー侮り難し

昨日の某旅行番組でパックツアーの話をやっていましたが、意外と使えるんだなぁと感心しました。
実際パンフレットは巷に溢れているし、大学生協にもあってスキーとかでは使ったこともあったりしますが(ぶっちゃけスキーは安かろう……だったりしますけど)、個人的にはほとんど関心がなくて(海外旅行に行ったことがないのも大きいか)、私は今まで全く旅行会社に行ったことすらありません(笑)。そういうわけで、盲点を突かれた感じです。

もっとも、コースも組まれた団体旅行にはあまり興味はありません。私が行きたい所はまず確実にルートに入らないので…(笑)。気になったのは、新幹線の切符と宿がセットになっているプラン。列車が指定されているというのが多少ネックですが(寝坊のリスクがでかい)、正規料金よりかなり安いのが魅力的ですね。

具体的な使途は学会で京都へ行く時なわけですが…。秋になると割引率が低そうだし競争率も高そうなのでどうなのかはわかりませんが、とりあえずこちらをチェックしておこうかと思います。今年は日本史研に行くつもりはあまり無かったのですが、15世紀がテーマと知って、ちょっと心が揺れています。

とはいえ、問題は「2名1室」なことですが…(笑)。やっぱりこれが一番困る…。一人用のパックってあるのかなぁ。ご存じの方はご教示ください。

ちなみに今度の週末の大阪の方は、ほんとは行きたかったんですが、事情により断念いたします。

2007.06.15

武蔵一宮・小野神社

16onojinja17onojinja先日関戸へ行った際に訪ねた小野神社(東京都多摩市)。中世まではこちらが武蔵国一宮です(近世になると、大宮の氷川神社が一宮とされます)。そのあおりを食って?以後は「郷社」になったので、今では規模はあまり大きくありません。
社伝は紀元前からの由緒を伝えていますが、実際に史料上に見られるのは、宝亀3年(772)の太政官符に、「多磨郡□野社」という記事があるものが最初だそうです。『延喜式』にも見られる式内社で、ほかに元慶8年(884)に「正五位」の神位が授けられた旨の『日本三代実録』の記事があるそうです。8世紀には既にあったことは確かで、かなりの由緒を誇ります。
関戸の西側にあります。この神社のあった所は「小野郷」とされ、諸説ありますが、現在の八王子市から多摩市にかけての多摩川南岸一帯を範囲としたと考えられております。

ちなみに小野神社は多摩川を挟んだ対岸の府中市にもあり、どちらが元々の小野神社であったかは江戸時代から論争があったようです。どちらであったにせよ、このように川を挟んで対置しているのは、多摩川の氾濫や河道の変化が関係しているのでしょう。

この小野神社が一宮である根拠は、国府にある六所神社(現大國魂神社、東京都府中市)で祀られる「一之宮」が小野社であるところから来ています。以下、二宮は小河神社(現二宮神社、東京都あきる野市)、三宮は氷川神社(のち一宮として定着、さいたま市)、四宮は秩父神社(埼玉県秩父市)、五宮は金鑽神社(埼玉県神川町)、六宮は杉山神社(横浜市)となっています。

中世の小野社はこの地域を本拠とする武蔵七党のうち横山党・西党や、在地領主の高幡高麗氏の影響を受けたとされていますが、史料が少なく、特に中世後期についてはわからないことが多いようです(後北条氏から禁制をもらった事例はあるようですが)。なお、現在の社殿は昭和初期の再建とのこと。なんか最近になってかペンキが塗られたようで、趣はやや薄いです。せめて朱丹を塗れば…と思うんですが。

15onojinja14onojinja左写真は南門。右写真は神社から多摩川方面へ向かうとあるモニュメント。大國魂神社の「くらやみ祭り」の際、かつては小野社の御輿がここから川を渡ったそうです。ちなみにモニュメントの意匠は、特に渡しには関係ないらしい(祭りをテーマにしたものだそうです)。

大國魂神社へも行く予定だったんですが、時間が無くてパス。まあ近場なのでそのうちに…。

2007.06.13

訃報二件

小林清治さん、門脇禎二さんのお二方の訃報に接しました。

ご冥福をお祈りいたします。
「戦後歴史学」が、ますます「歴史」になりつつあります。のんびり構えているわけには行きませんね…。

2007.06.11

新府城跡

34shinpu31shinpu山梨シリーズの最後は新府城跡(山梨県韮崎市)。実は、ここを最初に訪れました。
釜無川のほとりにそびえる新府城は、天正9年(1581)に、武田勝頼が甲府から本拠を移すべく築いた城です。結局は翌年の織田・徳川軍の攻勢に耐えきれないと考え、使用されることなく廃棄されてしまいました。そのまま廃城となったようで、武田氏の築城技術を窺う上で貴重な遺跡として国史跡に指定されています。

写真は本丸。かなり広大です。石造物は、貞享・元禄期(17世紀末)の建立と伝わる「武田勝頼公霊社」です。

38shinpu41shinpu左写真は本丸跡にあった看板の縄張り図。後世になって造られた道(麓から曲輪を横切って入っている比較的広めの道)が縄張りを推定するに当たって障碍となっているようで、これに惑わされた誤った縄張り図もあるようです(「想定復元図」も当地にありましたが、かなり怪しい)。
右写真は本丸と二の丸の間にある「蔀の構え」。二の丸側から本丸が見えないように土塁を重ねて視界を遮る構造になっています。二の丸側の土塁が崩れているのでわかりにくいですが。

 二の丸
――――  ――――― ←土塁

―  ――――――――
      
―――――
 ◆ 本丸

のような感じになっています。写真は本丸側から二の丸側を撮っています(◆の位置)。この写真では向かって左側に降りる道がありますが、これが後世に造られた道で、当時はなかったはずです。

10shinpu29shinpu左写真は三の丸の下にある大手口。かなり規模が大きいです。近世城郭並み。右写真は二の丸です。手前側から奥側にかけて一段上がっており、ここに御殿の建設が想定されていたような感じです(発掘調査後の埋め戻しでたまたまそうなっただけかもしれませんが…)。
どうも発掘調査では遺物が全然出なかった様子で、実際には建物が建設されなかった可能性が高いようです。

28shinpuこの写真は二の丸からの眺め。南アルプスの山々が望めます。

2007.06.10

抜刷貧乏

4月予定だった原稿がやっと出ました。
さて、今回のものは抜き刷りがありません。自前で仕立てる必要があります。コピーにするか、業者に依頼するか、迷っています。前者の方が安上がりですが、ぶっちゃけめんどくさいし、見栄えも良くないし…。後者にすると、やはり費用がかさむ。

本郷の某大学の生協は比較的安いと聞いていますが、岐阜に安く作る業者があるらしい(名古屋の後輩情報)。うーんどうしようかなあ。抜き刷りをくださった方への返事を早くしないといけないので、決断は早くせねばならないのですが…、逡巡。
いずれにせよ、論文を出せば出したで出費がかさんでしまいます(笑)。難儀なことです。

ところで、こんなサイトがあるんですね。まだ出来たばかりなんでしょうか? 充実度で言えばこれからの感がありますが、役に立つサイトになるよう期待します。

2007.06.08

勝沼氏館跡

88katsunuma89katsunuma山梨県甲州市(旧勝沼町)の勝沼氏館跡。昭和40年代の発掘によって16世紀前半の館跡の遺構であることが確認されたようで、国史跡に指定されています。遺構そのものは15世紀から存在し、16世紀に改修されたことがわかっているそうです。

古くからここが館跡だったことは知られていたようですが、上述の発掘によって初めて明確になったとのこと。大規模な遺構で、かなり広域に支配した層の居館であった可能性が高いことから、16世紀前半にこの地域に拠点を構えた武田信虎の弟・武田(勝沼)信友の館跡と推定されています。

勝沼信友は信虎から最も信頼された一族衆であり家臣であったとされ、郡内地方を領する小山田氏に対する備えとして、勝沼に館を構えたとされています。しかし信友は天文4年(1535)に戦死。子の信元も武田晴信に仕えますが、永禄3年(1560)に逆心のかどで処刑され、勝沼氏は衰退しました。

83katsunuma85katsunuma左写真は、主郭部分の外側にある水路式浄化施設(浄水施設)跡、…だそうですが、素人目にはよくわかりません(笑)。右写真は、主郭の外側部分。結構深い堀が切られています。

中国産の陶磁器や、銭貨も発掘されたそうですが、そういえばどこに行けば見られるんでしょうかね…? 公開していないのかな。

近くには国宝の薬師堂を持つ大善寺があるのですが、ちょうど祭りの日?だったらしく、車を置く場所がなかったので拝観は諦めました。残念無念。再来を期す。

2007.06.05

恵林寺

72erinji山梨シリーズの続きです。ご存じ恵林寺(山梨県甲州市[旧塩山市])。武田晴信(信玄)の菩提寺です。写真は四脚門(重要文化財)。慶長11年(1606)の築とされ、通称「赤門」と呼ばれているそうです。恵林寺は武田氏滅亡により焼けてしまったため、武田氏時代の建築物は残念ながら残っていませんが、その直後に再建された建築物が健在です。

70erinji69erinji左写真は「三門」。これも16世紀後半頃のものとされているようです。寺伝によれば、快川国師が「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火自(おのず)から涼し」と唱えて火定(僧侶が火中で死ぬこと)した場所に建っているとされています。右写真は本堂。明治期の再建です。

77erinji79erinji恵林寺は、元徳2年(1330)に、甲斐国守護であった二階堂貞藤(道蘊[どううん])が所領を寄進し、夢窓疎石を招き開山したとされています。左写真はその二階堂道蘊の伝供養塔。経緯は微妙ですが、中世の五輪塔な感じ。右写真は夢窓疎石が造ったとされる庭。

したがって臨済宗の寺院なわけですが、室町期においても甲斐の名刹として名高かったようで、結構有名な人が住持になっています(もっとも、禅宗寺院の住持は名前だけで実際に住んでいなかった可能性もあるのですが…)。

まずは絶海中津。夢窓疎石の直弟子で、明に渡って洪武帝(朱元璋)に会ったこともあり、足利義満とも昵懇で相国寺住持にもなった人です。もう一人直弟子で、武田氏一族の龍湫周沢(りゅうしゅうしゅうたく)という人も住持になっています。ちなみに絶海中津は土佐国の津野氏の出身。

お次は策彦周良(さくげんしゅうりょう)。細川京兆家の被官の家の出と言われています。対外関係史ではわりと有名な人です。天文6年(1537)と天文16年(1547)の二度、大内義隆のプロデュースで遣明使として明に渡っています。二度の渡唐の記録が今に残っており、「策彦入明記」と呼ばれています。この人は実際に、弘治2年(1556)に駿河に滞在していたところ武田晴信の招きによって恵林寺に赴き、住持になっています。

最後は有名な快川紹喜(かいせんしょうき)。出自はよくわかっていませんが、美濃国出身だというのはわかっているようで、土岐氏にゆかりがあるのではないかと言われています。妙心寺の住持でしたが、武田晴信の招きによって甲斐へ下向。恵林寺の住持となります。その後ずっと甲斐に居ましたが、天正10年(1582)に、織田信長と敵対する六角義弼(義治)を匿い、身柄の引き渡しを拒否したため、織田信忠によって焼き討ちに遭いました。その際発したとされるのが、上記の「心頭滅却」の著名な言葉です。この際の身柄引き渡しの拒否は、寺域が「アジール」であるという観念に基づくものだったとも言われているとか。大滝秀治…じゃなくて(笑)虎哉宗乙(こさいそういつ)は弟子だそうですが、詳しいことは私にはわかりません。

このように、渡唐経験もある錚々たる人たちが住持となっています。

76erinji武田氏滅亡後は、武田氏顕彰ともリンクしているのでしょうか、徳川家康が復興に力を入れます。先の「赤門」は、それによるもの。その後は、武田の縁者を自負し、甲府藩主にのし上がった柳沢吉保が熱心に信仰したようで、墓所にもなっています。写真はその墓。信玄よりも立派です(笑)。

史料としては、武田氏の検地を示す貴重な資料である「恵林寺領検地帳」が有名です。境内には資料館があって、普段はそこで展示されているはずなのですが、私は二回行って二回とも空振り。残念。今回の訪問では文書展示も姿を消していて、ご時世の「軍師」関係の展示で占められていました。仕方がないと思うけど…、私にとってはちょっと期待はずれ。

2007.06.04

まつりを終えて

某大会(伏せるのも白々しいですが)終了。実質一年間はこの二日間のためにあったようなところもあるので(しつこいですが、もちろん私は報告者ではないんですけど(笑))、大きな肩の荷が下りたところです。

当然ながら議論は徹底して聞き役だったわけですが、いろんな立場の方がいろんな立場で発言されていて、面白かったです(具体的には多くは語らず)。個人的には、去年の日本史研に続いて、「在地領主」という言葉そのものを使い続けることの有用性そのものから見直さねばならないのではないか、と最後の方で話したOさんの指摘が、一番心に残っています(いや、抜き刷りをいただいたからよいしょしているのではありません(笑))。
長らく中世史研究において利用されてきたタームが、研究状況の変化に必ずしも対応しきれていないのではないか…。この点、某誌の最新の書評(ずいぶん話題になってます。それに引き替え私の文章は反応がいまいち…?(笑))にも言及があって、なるほど用語一つとってもいわゆる「歴史と現在」の問題が内包しているのか、と気づかされます。

さて、もう一つの主役?書籍展示。今年は貧乏なので出版社のブースは一切立ち入りませんでした。まさに「目の毒」なので。
というわけで土曜日に雑誌等のブースをさらっとまわりましたが、買わないつもりでも、やっぱり買ってしまうもんです。
まず一冊目が、中島善久編著『日本史史料研究会研究叢書1:官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会、2007年、詳しくはこちら)。これは某掲示板を見て知っていて、はじめから買うつもりでした。1500円はほんと安いです。力にはなれませんが、この価格帯での続刊を影ながら応援いたします。

直接関係無い話ですが、こういう基礎的考察作業というのは、おそらく大学のゼミなどで結構されているようにも思ったりします。しかしやはり授業という性格で完結してしまうせいか、なかなかそこでの成果が世に問われることがありません。地道な基礎的考察は、個人レベルではなかなか時間的にも肉体的にも困難が伴いますので、ゼミにせよ勉強会にせよ、そこでの検討作業が学界に寄与するシステムが出来ればいいなぁ、と思います。

もう一冊は、『新修大阪市史・資料編5(大坂城編)』大阪市史編纂所・大阪市史料調査会編集・大阪市発行、2006年)。いやこれはまったくの予想外(笑)。でもわけあってしばらく本願寺にはまっていたので、購入。ほんとは『愛知県史』の織豊2を買うつもりだったんですが…。それも買うと破綻する。またいずれ。

最後ですが、ご協力および下働きしてくださったみなさん、ありがとうございました。

2007.06.01

ついに前夜

私が報告するわけじゃないんですが(笑)。


某大会直前ということで、どたばたしてました。もっともその間、東京ドームに行ったりしましたが…(笑)。

雑事に追われて珍しく?タイトなスケジュールになったためか、昨日から体調を崩してしまいました。我ながらなんとひ弱な…。栄養はたくさん身についているはずなんだけどなあ(それはそれで問題)。
ほんとは神宮にも行く予定でしたが(笑)、断念。その甲斐あって、だいぶ回復しました。週末はなんとか乗り切れそうです。(神宮、たぶん今日はガラガラだったと思いますが、明日は満員なんだろうなあ。なんだか複雑な心境。)

ドタバタ続きの今年の某部会運営でしたが、いよいよ私の任期も残りわずかになりました。最初の頃はたった一年と思っていましたが、いざやってみると、一年やるだけでも大変でした。一年の中でも一番の大仕事が、無事終わりますように…。

史跡ネタがたまっているんですが、来週から再開したいと思います。待っている人は多くはないと思いますが(笑)、しばらくお待ち下さい。

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