記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 2008年 謹賀新年 | トップページ | 地域の好著二冊 »

2008.01.05

「三武将」特番を見る

日テレでやっていた「天下統一!三武将スペシャル 信長 秀吉 家康 ~真のリーダーは誰か!?~」というのを見ました。どんな珍説・奇説が飛び出すのかというの方をわりと楽しみにしていたところもあったんですが(笑)、意外にも?昨今のひどい番組が横行する中では、わりとまともでした。

細かい点でいろいろツッコミどころはありましたが…(「備中岡山」ってなんやねん)、それはさておき。

冒頭の本能寺跡で堀が発掘された件について、先日報道されていましたが、その発掘の様子を見られたのは思わぬ収穫でした。特に「能」の字が入った軒瓦が見られたのは良かったです。
…ただ、番組としてはそれでネタが終わった感がありましたね(笑)。ここでまたもや「本能寺の変の真相」というお決まりのネタに入っていったわけですが、所々でコメントを加えておられたF田さん(伏せ字にしても意味ないけど(笑))の御説に乗った形になっていたようでした。そのわりに、小牧・長久手の戦では、最近業績を出されたF田さんからコメント取らなかったのはいまいち理解できんかったんですが…。
そこから後はほとんど通説でしたね…。一般向けとしてはトンデモもなく手堅いとはいえ、なんか退屈でした。

さて、いくつか興味深い&看過しがたい点を。

まずこれは細かい話ですが、天正10年(1582)6月5日に羽柴秀長が夜久氏に、京都から秀吉のもとへの使者の通過に対する礼を発給したという文書について。この史料を私は知らなかったので興味深かったんですが、F田さんが既に言及しておられたんですね。ただし夜久氏は丹波の国人だったらしく、番組中で但馬の朝来を通過したというのは誤り。むしろ明智光秀の本領である丹波を堂々と通過していたというのは面白いです。

秀吉が商人出身だったというのは、事実かどうかはともかく(笑)、なかなか斬新でしたね。

そして、貨幣の話が重視されたのは喜ばしかったんですが、その解説がトホホでした…。テレビ業界では永楽通宝がよほどお好きなようですねぇ。当時の主要通貨が永楽銭だったなんて言ってる専門家は一人もおらんのですが。
特に「ビタ」の件。再現ドラマは的外れ。これは近年の研究のスピードが速いのである程度仕方ないですが、秀吉政権期の「ビタ」は「鐚」を連想するような「悪銭」ではなく、一般的な通用銭か、むしろより上位の価値を持つ銭貨であったというのが共通理解になってきています。
もっとも1560年代後半に銭貨輸出を禁止したという明朝の動向が日本の貨幣に与えた影響を重視する近年の研究を取り入れたむきがあったのは、前進と言えるかもしれません。ただし私自身は、あまりこの説には乗れないのですが…。それと、朝鮮出兵の理由としてこの問題を含めた東アジア経済の動静を挙げたのは斬新でしたが、本当ですかねぇ…?

もう一つは天正大判の件。これは今も貨幣としてというよりも下賜・贈答用とする理解が通説になっているので仕方がないのですが、そのような説明がされていたようでした。なにをもって貨幣とするかにもよるんですが、私としてはやはり「金貨」としての側面を無視できないんじゃないかと思っています。ま、これについては面白い史料があるので、いずれ文章にしたいと思っています。

最後は「楽市楽座」の件。これが信長の経済政策の先進性を説明する最大の論拠になっているわけで、それに沿って信長礼賛というお決まりのパターンだったわけですが(笑)。もっともそれが通説的理解とは言えますが、私としては、それはどうかなぁという疑問を多少ながら抱いています。
まあこれは私自身も印象に過ぎない部分も多いのですが、少なくとも「楽市楽座」については信長に先行かほぼ同じくして各大名が採用していた形跡も窺えるので、信長自身のパーソナリティに帰着する政策ではなさそうです。

もう一つ。彼が「楽市楽座」を採用した真の目的は、「自由競争による経済発展」ではなく、「自由競争」にすることによって得をする商人と癒着していたことにあったと思われます。結局のところ、自分の利益を最大限希求した結果とすれば、恣意的な権力者としての側面の方がむしろ際立つわけで、信長に対するイメージも多少は考え直す必要があるんじゃないか、という気がします。

あとは戯れ言ですが、最後のBBCの映像、流す必要あったんですかねぇ?(笑) 徳川家康が注目されているというのはわかりましたが、あんな考証のひでぇドラマを流す意図がさっぱりわかりませんでした。

« 2008年 謹賀新年 | トップページ | 地域の好著二冊 »

コメント

>秀吉が商人出身だった

石井進先生の遺作となった『中世のかたち』では、「秀吉は連雀商人と深い縁があった」と指摘されたところで終わっています。秀吉の出自に関して、これから議論を展開しようというところで切れてしまい、未完となってしまったのはたいへん惜しまれます。

>貨幣の話

観ていて「常識的というか既知の話ばかりでつまらないなあ~」と思っていたら、突然、聞いたこともない新説が飛び出してきたので驚きました(笑)。黒田明伸さんの議論は一応存じておりましたが、黒田説ともズレてますしねえ・・・

>天正大判の件。これは今も貨幣としてというよりも下賜・贈答用とする理解が通説

私も同様の疑問を感じました。

>彼が「楽市楽座」を採用した真の目的は、「自由競争による経済発展」ではなく、「自由競争」にすることによって得をする商人と癒着していた

つまり「新儀商人」のバックアップ、ということですね。

>御座候さん
石井さんの本、読んでないのがバレバレですね…(笑)。なるほど、これを参照したんでしょうかね。商人との関係を示唆されていたというのは、興味深いです。

貨幣の話、確かにあれが1590年頃に勃発した状況として説明するのは誤解を招きますね。この時代、10年単位でめまぐるしく状況が変わっているので、番組はその辺で厳密さに欠けていました。

信長は明らかに「新儀商人」の積極的保護に動いていますから、その文脈で考えるべきでしょうね。もっとも、彼ら新興勢力との連携に極めて積極的だったという点で、信長は確かに卓越していたとは思います。

番組の中では秀吉書状という紹介だったのでしょうか? おそらく夜久主水頭宛ての羽柴長秀(秀長)書状(6月5日付)のことだと思います。

谷口克広氏はF田さんの年次比定に疑問を呈していますね。
書状中に「江州へ上下候」とあることから、政変からわずか3日後に秀長が光秀支配下の近江を往来できるはずがないとのこと。
谷口氏はこの書状の年次比定は難しいとしながらも、一応、天正8年ではないかと推定していますね。

>ダンダンさん
いや、秀長の書状として紹介されていました。

私は全文を拝見できていませんが、なるほど、年代比定には再検討の余地がありますか。となると、まだしばらくは議論の行く末を見る必要がありそうですね。
ご教示ありがとうございます。

こんにちは。今年もよろしくお願いします。
昨年はどんどん論文を発表されて、大活躍でしたね。今年も更なる飛躍を期待しております。

さてさて、この番組、全くノーマークだったのですが、見ておけばよかったかな・・・。
特にこのへん↓

>1560年代後半に銭貨輸出を禁止したという明朝の動向が日本の貨幣に与えた影響を重視する近年の研究を取り入れ
>朝鮮出兵の理由としてこの問題を含めた東アジア経済の動静を挙げた

東洋史関係の論文をいろいろ読んでみると、東アジアの朝貢システムについて盛んに論じられており、この時期の国際関係では通商問題が大きなウェートを占めていたようです。
だから秀吉の朝鮮出兵も基本的にはそこに起因するんじゃないかなとも思うのですが、日本史関係で見ると、秀吉の誇大妄想とか勘違いを指摘するものが多く、ちょっと違和感があります。

ここは中世経済史と対外関係史の両方に造詣の深いかわとさんの出番じゃないかと思いますが、どうでしょうか?

>板倉丈浩さん
今年もよろしくお願いします。出来る限り頑張ります(笑)。

16世紀の東アジアは、南蛮交易とか石見銀の席巻など、従来の状況とは一変しますから、それが日本だけではなく、各地にもたらした影響とか、各地の間での関係については注目する必要がありますね。
もっとも秀吉の朝鮮出兵の場合、この事件自体が単独で検討対象になってきたためか、東アジア的要因を絡めた分析は確かに低調かもしれませんね。
ただ、「唐入り」は信長が既に構想していたという話もありますから、少なくとも織田政権期に遡って検討することが必要でしょうね。

ちなみに、私は今のところ成案はありません。実は、朝鮮出兵については至極不勉強でして…。今後考えてみたいところです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/17580956

この記事へのトラックバック一覧です: 「三武将」特番を見る:

« 2008年 謹賀新年 | トップページ | 地域の好著二冊 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Amazon

最近のトラックバック