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2008.03.17

和田の里

Miurawada_3Miurawada三崎から少し北上して、京急三崎口駅からさらに北へ行った所にあるのが和田地域(神奈川県三浦市)。ここは三浦氏の一族である和田氏の名字の地とされている所です。
その和田一族の代表格といえば、和田義盛。写真は、その義盛が拠ったとされる和田城跡です。痕跡はほとんど遺ってませんが、なんとなく雰囲気はありますかねぇ? この辺りは、三浦でも有数の穀倉地帯だそうです。

Miurawada_4そして少し離れた所に、和田義盛の碑があります。こちらも居館跡とされている所です。

和田義盛は三浦義明の子である杉本義宗の子で、鎌倉からこの和田に移って本拠としました。鎌倉幕府草創期の有力御家人として有名ですが、北条義時と対立して戦乱となり、建暦3年(1213)に鎌倉の由比ヶ浜で討たれました(和田義盛の乱、和田合戦などと呼ばれていますね)。
この時和田一族は悉く滅ぼされましたが、わずかに甥の和田重茂は北条方についたため生き残って、その一族が越後国奥山荘(現:新潟県胎内市[旧中条町])の地頭職を安堵され、のちに土着して当地の有力な在地領主となりました。彼らを中心とする領主たちは、「揚北衆(あがきたしゅう)」として知られていますね。のちに和田氏の惣領家は中条氏を名乗ります。
奥山荘は研究面でたいへん有名な所ですが、さしあたりこちらが参考になります。

さらっと寄っただけなのであまり深入りできませんでしたが、こちらによるといろいろと関連史跡があるようですね。

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