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2008.05.03

実証と推論

先日とある研究会に出席したのですが、報告内容に少々首を傾げることがありました。

歴史学の基本中の基本が実証にあることは疑いないことですが、私自身は、実証さえしていればよい、とまでは思いません。史料では追い切れない重要な問題点があるならば、ある程度推論の形で主張することも必要だと思っています。

とはいえその推論が説得力を与えるかどうかは、当然ながら基礎となる実証作業があってこそで、その基礎が出来ていないまま推論を重ねても、それは妄想でしかない。というか、聴衆には決定的にその印象を植え付けてしまいます。

そして、歴史学の方法論においては、どうしても研究者個々の主観が入ってしまう、というのもよく言われる話です。徹底的に主観を排除することができるとは思いませんが、個々の論証において自らその主観的な理解を自覚することは必要なわけで、それは報告時に聴衆との討論のなかから把握してゆくことができるのではないか、と。

そういう意味では、個人的には積極的に口頭報告をするべきだと思っているんですが、逆に言えば、そこで“聞く耳”を持たないならば口頭報告なんてすべきではない、と思います。
もちろん理不尽な「批判」も時にはあったりしますけれども、どれだけ自らの論が“客観性”を得られているかを確認するためには、まずは自らの論に対して自らが客観的(=謙虚)であろうとする態度が不可欠。それが無ければ、時間の無駄でお互い疲れるだけです。

そんなことを聞いていてふと思いました。自戒したいところです。

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