対馬(20) 豊砲台跡

上対馬町豊(とよ)にある砲台跡。近代日本の砲台施設の遺構です。
現地案内によると、
「第一次大戦後、日本は軍備拡張計画を推し進める中、対馬海峡を封鎖する目的で、対馬北端の軍事上要衝のこの地に昭和4年(1929)5月より約5ヶ年の歳月を費やし昭和9年(1934)3月に砲台を完成させました。
この砲台は、大正11年(1922)ワシントン海軍軍縮条約の締結により、航空母艦に改造されることとなった『赤城』の四十五口径40.6センチ加農(キャノン)砲一基二門の砲塔砲台を設置したという説のほか、戦艦土佐や戦艦長門のものであるとの説もあります。
この砲は、砲身長18.5メートル、砲身重量は108トンもあり、実用射程距離は30キロメートルにおよびこの地で対馬海峡封鎖の防衛拠点を成していたのです。」
とのことです。専門的な話はさっぱりわかりませんが…(笑)。

完成当時は世界最大の砲台だったそうで、地下の施設も備えた軍事拠点の雰囲気が感じられました。旧ソ連のトーチカを想像すればいいんでしょうか。
結局は実戦で砲弾を発射することなく、昭和20年(1945)10月に米軍によって解体された、とのことです。
史跡はこれでおしまい。次回は最終回のおまけです。
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ここも行きました。迫力ありましたよね。
対ソ戦を想定してのものなんでしょうか?
話が少しズレますが、対馬はお土地柄ゆえか、日本海海戦絡みの記念碑が多いような気がしました。
投稿: 御座候 | 2008.06.17 23:56
>御座候さん
背景はよくわかりませんが、直接的にはソ連が想定されていたんでしょうかね。不況の中よく作ったもんだと思います(笑)。
確かに北端の方は日本海海戦絡みが多い感じですね。
投稿: かわと | 2008.06.18 00:45