石見銀山・大久保間歩
石見銀山遺跡で、今年から公開が始まった「大久保間歩」です。
この名前でぴんと来たらかなりな鉱山通(笑)。石見銀山の初代奉行となった大久保長安の名から取っています。
大久保長安はその出自や経歴には不明な点が多く、それゆえ伝承的なものも多いのですが、猿楽師の家に生まれ、甲斐の武田氏の元に身を寄せていたところ、武田晴信に取り立てられて甲斐黒川金山の開発に活躍したと言われています。
その後徳川氏に仕えると鉱山関係の役人の第一人者となったようで、慶長5年(1600)に石見銀山の担当奉行となったのを皮切りに、佐渡金山など各地の鉱山の担当責任者を歴任し、最終的には年寄(老中)にまで上り詰めました。
慶長18年(1613)に天寿を全うしますが、その後不正蓄財を疑われ、一族が粛清されることになりました。長安も遡及して処罰され、遺骸を掘り起こして斬首されたなんてことも言われているようです。もっとも「大久保長安事件」と呼ばれる一連の騒動は、幕府の中枢にいた本多正信と大久保忠隣による権力闘争(これによって忠隣が失脚)が真の背景のようにもみえますが。
さて、その大久保間歩は現在発見されている坑道の中でも最大のもので、時期も17世紀前半頃から採掘が始まったとされていることから、名前も長安にあやかったとのことです。

右写真が最も大きく掘られた箇所です。雰囲気わかりますかね?(なお、写っているのは私ではありません(笑))

大久保間歩を出て少し登るとあるのが「釜屋間歩」。慶長年間に採掘された坑道跡です。かなり大規模な遺構です。
16世紀後半頃の、初期の採掘場所は頂上付近にある「石銀(いしがね)」と呼ばれる地域で、発掘作業も進められているようですが、夏場は辿り着くのが困難ということでした。いつか行きたいものです。
なお大久保間歩は申込制のツアーで、冬場はやってません(コウモリの越冬場所になっているため、ということでした)のでご注意を。
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» 明清史夏合宿2008in島根/石見銀山巡検 [省省流転]
しばらく出張続きだったため更新が滞っていたが(そうでなくても滞っているが)、ぼちぼち再開。
まずは8月1日〜5日の島根出張から、明清史夏... [続きを読む]
































鉱山通でなくても覚えてますね。
なんでだろと思いましたが、大河ドラマの影響。
役者的には、徳川家康の時の津川雅彦の記憶があるように思うものの、もう25年も前なんですね。
ですからストーリー的には、葵 徳川三代で記憶していたと思われます。ただ失礼ながら森三平太にあまり記憶がないので、忠隣失脚事件として記憶しているようです。
投稿: 武藤 臼 | 2008.08.11 00:50
>武藤 臼さん
へえ。津川雅彦がやったことあるんですねえ。
「独眼竜政宗」では金田龍之介がやってたらしいですが、「葵」を含め、私はさっぱり覚えていません(笑)。
「葵」の大久保忠隣はよく覚えてます。秀忠とのおちゃらけたシーンとか、もじゃもじゃの頭とか。
調べていてわかったんですが、忠隣をやった石田太郎という人、「春日局」でも同じ役をやってたんですね。
投稿: かわと | 2008.08.11 12:08