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2008.10.04

上州の文書と石碑

Tago_4先日、群馬県立歴史博物館の企画展「戦国武将からの手紙―博物館にとどいた中世文書―」を見に行きました。館蔵の中世文書のうち、書状を中心に展示する企画でした。
余計な演出は排して、文書を見せることに徹するというようなコンセプトに感じました。一般受けするかどうかは微妙なところですが、私にとってはこういうスタイルの方が好きです。
図録も写真が鮮明で非常に有益な内容でした。といっても発行は半年前。どうやら企画展に合わせて図録を作ったのではなく、先に中世文書をテーマとした冊子を作ってから企画展が準備されたようですね。

いろんな文書がありましたが、上杉謙信の書状が比較的多く展示されていました。土地柄もあるでしょうけれども、この辺は来年の大河ドラマをやや意識したのでしょうか(笑)。

この博物館には初めて行ったので、常設展も観覧。かの有名な『長楽寺文書』がここに寄託されていることを知り、ふむふむ、と。さらにいろいろ眺めていると、この地域には古代の石碑がいくつかあるらしい…。

というわけで、見に行きました(笑)。
その一つが写真の「多胡碑」(群馬県吉井町)。詳細はまた改めて記事を立てたいと思いますが(いつになるやら…)、和銅4年(711)に上野国多胡郡が設置された経緯が刻まれています。『日本書紀』にほぼ同様の記事があるらしいですが、8世紀後半の建立とされているそうで、石碑が造られた経緯はよくわかりませんが、よく現代まで残ったものだと感心しきりです。

この地域についてはあまり詳しくないのですが、古代には既に開発が進んだ地域だったようで、古代遺跡や古墳も多く遺されているそうです。もっとも浅間山の被害も深刻な地域であったわけで、天仁元年(1108)の大噴火が古代の繁栄を無に帰してしまったのかもしれません。新田義貞が去来したとはいえ、中世では上州が「草刈り場」になったのも、そういう影響かなぁ…などと根拠もなく空想したり。
ちなみに山名氏の故郷でもありますが、それもまたのちほど。

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