志布志 大慈寺

やっと2008年サマーセミナーのシリーズ開始です。
主に大隅半島の東側をまわりました。特に志布志が中心です。元々この地は日向国に属しましたが、政治的経緯があってか?今は鹿児島県になっています。
その中心にあるのが大慈寺。禅宗寺院で、興国元年(暦応3年、1340)に楡井(にれい)頼仲によって建立されました。系譜的には不明な点も多いようですが、楡井氏は信濃国を出自とする村上源氏の一族と言われています。頼仲は南朝方として志布志に拠点を構えていた人物です。
確か、この写真の奥右側の宝篋印塔が、頼仲の墓だったと思います。懐良親王が九州に入った折りにも呼応したそうで、南朝方の中心人物だったようですが、正平12年(延文2年、1357)に北朝方の禰寝(ねじめ)氏に敗れ、自刃したそうです。
楡井氏は滅亡しましたが、縁戚関係にあった薩摩の別府氏が仁礼(にれ)氏として名跡を継承したとも言われています。
開山は玉山玄提(ぎょくざんげんてい)。この人も信濃の出身で、何か楡井氏と誼があったのでしょうか。南禅寺で開山の無関普門(この人も信濃出身)に学んだ後中国へ留学し、その後志布志へ招かれました。その後十刹に数えられてもいます。写真は少し離れた所にある玉山和尚の開山堂。
志布志は日明交易にも関わった港とされており、大慈寺も関与したことが窺われています。興味深い文化財も遺されており、今回は拝観させていただきました。

興味深いことに、近くの子院・即心院跡には島津氏久の墓があります。南北朝期の島津氏の当主ですが、大隅守護になって(後に解任されますが)志布志を拠点としていた時期があり、即心院を建立しました。そういう経緯により、即心院主が供養のために建立したもののようです。嘉慶元年(1387)閏5月4日の日付が刻まれていますが、氏久の命日がこれに当たります。
近くには戦国期にこの地域で勢力を張った肝付兼続の墓もあったんですが、行けませんでした。
■鹿児島県志布志市(旧志布志町)
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