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2008.12.08

津久井城跡

Tsukuijo_56Tsukuijo_29相模川の上流、ダム湖である津久井湖のすぐ脇にある津久井城です。

築城年代は古いようで、鎌倉期に三浦一族の筑井(津久井)氏がこの地に本拠を構え、築城したと言われています。室町期は扇谷上杉氏や相模本間氏の影響があったともされていますが、詳しいことはよくわからないようです。

史料上に登場するのは、戦国期になってから。伊勢宗瑞(北条早雲)が関東へ進出すると、甲斐との国境に近い津久井城は重要な軍事拠点となり、たびたび甲斐武田氏との戦争の舞台になっています。
大永5年(1525)に北条氏綱と武田信虎が津久井で合戦に及んでいたようですが、その頃の城主として「内藤大和入道」という名が見えます。
戦国期に津久井城を支配した内藤氏の出自ははっきりしないようですが、元々は扇谷上杉氏の被官だった可能性が指摘されており、後北条氏の麾下にありながらも、「津久井衆」として一定度の自立性を持った国衆だったと言われています。このような存在は、相模国では非常に珍しいようです。

Tsukuijo_31Tsukuijo_39左写真は本丸、右写真は本丸の下にある「太鼓曲輪」。
城跡一帯が公園となっているので正直舐めてかかっていましたが、上まで登るとかなり疲弊します(笑)。比高はそれほどでもないかもしれませんが、登山道は勾配のきつい坂を延々歩かされるので、結構堪えました。北側は今はダム湖になっていますが、昔は谷だったことを考えると、相当急峻な山城だったことが想像されます。

Tsukuijo_41Tsukuijo_50左写真は「飯縄(いいづな)曲輪」。この下には井戸もあり、今も水が湧いていました。右写真はさらに先端方面に行くとある堀切。

Tsukuijo_45Tsukuijo_55左写真は飯縄曲輪の先、先端部に当たる場所。狼煙台とされています。
そこからの眺めが右写真。城からは南東方向に当たり、見えているのはおそらく相模原市や町田市のあたり。手前の川が相模川です(左が上流)。

津久井城は天正18年(1590)6月、八王子城の落城直後に徳川氏被官の本多忠勝・平岩親吉らの攻撃を受けて落城。この時内藤氏当主(実名などは諸説あって不明瞭)は小田原に籠城していましたが、結局小田原落城により没落しました。

最近では麓の根小屋での発掘調査が進んでおり、文献方面では新しい関連史料の発掘もあったようです。いまいち知名度が低い城ですが、今後注目を浴びるかもしれません。

■神奈川県相模原市(旧津久井町)

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コメント

こんばわ
地形図を見るかぎり、南西側集落から180m、北側国道から220m。比高十分に高いです。
なかなか登りでのある面白そうな山城ですね。
うちからだと遠くて目的地にはしずらいですが。

地図には、北西と南西、それに東からの道も描かれてますが、登られたのは南西からですか?
東側の道が生きているのか分かりませんが、距離が長くて尾根伝いなので、歩き易そうですが。

>武藤 臼さん
私は南西側から登りました。
こちらが大手側のようですが、実際の大手道(今は獣道?)は今の登山道とは別のようです。

東からはどういう道なのかはわかりませんが、距離はかなりありそうですね。一日かけて楽しむ場合はこちらもいいかもしれません。国道側からだとかなり険しそうでした。

この城、確かにアクセスが難点ですねえ。都心からでも電車・バスならたぶん2時間くらいかかりそうです。車で山中湖へのドライブを兼ねて、というのがベターだと思います。

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