米倉寺
土砂降りの小田原を通過して米倉寺(べいそうじ)へ。
天文元年(1532)に建立された曹洞宗の寺院です。元は用国院という寺院があったそうですが、甲斐武田氏の被官である米倉種継が移住して再興し、米倉寺と改名したそうです。
米倉氏は甲斐武田氏分家の一族とされ、甲斐国八代郡米倉(現山梨県笛吹市[旧八代町])に本拠を構えて米倉氏を名乗ったとされています。米倉種継は甘利氏の与力となっており、なんか甘利氏との間ではいろんなエピソードがあるようです(詳しくは調べてみて下さい)。
ただ、系譜的にはなんだか錯綜しているようです。
天文期の米倉氏当主は宗継という人物だったようで、彼は天正3年(1575)の長篠の合戦で戦死。種継はその子のようです。そして当主とおぼしき人物は別に忠継(宗継の兄弟らしい)という人がいて、彼は国衆の「武川衆」の代表格となりますが、武田氏滅亡により徳川氏の被官となっています。種継との関係はよくわかりませんが、後の米倉氏は種継の子孫が当主となっているようです。
このような経緯を考えれば、米倉種継が天文元年に建立したという伝承というのは事実とするのは難しいところです。実際は、徳川氏が関東転封となった後に米倉種継がこの地に所領を得た可能性があり、この時に菩提寺としてこの寺を築いたと考えられます。写真の墓石は種継の墓が最も古く(たぶん一番手前)、慶長5年(1600)の年号があるそうです(確認せず)。
米倉氏は武蔵国大里郡(現埼玉県熊谷市の辺り)にも所領を持っていたようですが、関係はよくわかりません。子孫は徳川綱吉に抜擢され、大名成を果たして若年寄にもなっています。最終的には武蔵六浦(現横浜市金沢区)の大名となりました。
■神奈川県中井町
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