« 星谷寺 | トップページ | 2008年回顧 »

2008.12.29

相模国分寺跡

Sagamikokubunji相模マニアックシリーズの最後は相模国分寺跡。
周囲は住宅地となっていますが、遺跡は公園というより広場のようになっています。地元の子供さんたちにとって恰好の遊び場のよう(なので、写真撮るのには少々難儀しました(笑))。

相模国大住郡(現在の海老名市)に国府が置かれ(こちら参照)、国分寺もこの地に設置されています。
平安期に何度か建て替えられたようですが、中世を迎える段階では既に廃れており、鎌倉期には少し離れた所に移転。こちらの国分寺は今に続いており、鎌倉期の梵鐘(重要文化財)も遺されています(行きたかったけど、時間の都合で行けませんでした)。

Sagamikokubunji_1Sagamikokubunji_2こちらは金堂跡。遺跡を示す石碑が建っています。


Sagamikokubunji_3Sagamikokubunji_7右写真は七重塔跡。例によって巨大な礎石がここにも遺っていました。

左写真は回廊跡。このように、一部の遺構は整備されています。現地看板によると、史跡公園として全面的に整備する予定になっているそうですが、ゆっくりとといった感じでしょうか。それとも昨今のご時世によるのでしょうか、私が行った時は特に整備作業が行われている形跡はありませんでした。


国分寺とは直接関係ないですが、海老名といえば、あの播磨国矢野荘(現兵庫県相生市)の地頭(「下海老名氏」)として有名ですね。もちろんこの地を出自としています。
相模に残った一族は和田義盛の乱で討伐されたそうで、没落。後には北条氏御内人に海老名氏の名前もあるそうですが、足利氏被官になった人もいたようで、室町期にはその一流が鎌倉府の奉公衆になっています。しかしそれも永享の乱で没落したそうで。

■神奈川県海老名市

|

« 星谷寺 | トップページ | 2008年回顧 »

コメント

足利氏被官になった海老名氏の一流は、伊勢に所領を得て室町幕府の奉公衆になっていますね。没落後も、しぶとく生き残り、あちこちに一族を広げているのは大したものです。

投稿: 御座候 | 2008.12.29 17:25

>御座候さん
表舞台からは消えてもしぶとく残っている一族というのは、探せば結構いるんでしょうねえ。

投稿: かわと | 2008.12.30 16:11

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/43563713

この記事へのトラックバック一覧です: 相模国分寺跡:

« 星谷寺 | トップページ | 2008年回顧 »