源実朝首塚

丹沢の南麓の秦野へ。ここには源実朝の首塚とされる供養塔があります。
周知の通り、実朝は承久元年(1219)に鶴岡八幡宮で暗殺されたわけですが、その首は行方不明になったとされていて、三浦義村の被官である武常晴が密かに波多野氏を頼ってこの地で葬ったという伝承があるそうです。
武(たけ)氏は三浦の出身のようですが、後にこの地に移住したとされています。
元々この地域に根を張っていた御家人の波多野氏は、秀郷流藤原氏の一族とされる地付きの武士団でした。ただ一旦平氏に与した時期もあったようで、そのため鎌倉期になるとやや冷遇されたようです。
鎌倉初期には波多野義重が承久の乱で活躍しましたが、恩賞として越前国志比(しい)荘(現福井県永平寺町)の地頭となり、拠点は徐々に越前に移っていったようです。あえて鎌倉から遠い越前に本拠を移したのはいろいろ説もあるようですが、一旦平氏に付いたという経歴もあって、波多野氏が結局は有力御家人としての基盤形成に失敗したことによるのかもしれません。
越前に移った後はあの永平寺を建立しており、結構歴史的には重要な仕事をしています(笑)。波多野氏は六波羅評定衆になったそうで、室町期にかけて事務官僚的な一族として生き残っていきました。
ちなみに豊後に西遷して大名に上り詰めた大友氏は、波多野氏の一族です。
話が長くなりましたが、この首塚も、波多野氏の関与がありそうです。ちなみに実朝暗殺時の惣領であった波多野忠綱は、実朝の三十三回忌に際し、近くに金剛寺という菩提寺を建立しました。首を巡る話の真偽はともかく、実朝に対する特別意識をかなり強く持っていたことが窺えます。
すぐ横には、今はただの広場にしか見えませんが(笑)、鎌倉期の武士の居館と思しき遺構が見つかった場所があります。波多野氏との関係が考えられているようです。
■神奈川県秦野市
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コメント
こんばんは。ご無沙汰しております。
この記事について2点ばかりご質問をしたいと思います。
まず、鎌倉右大臣こと源実朝の首級を葬るのに関わった者として、武氏の名前が出ていますけど、この一族の中から武豊・幸四郎兄弟が輩出されたと考えても宜しいでしょうか?
…なんとも下世話な話ですみません。
次に、武氏と並んで波多野氏の名前もありますよね。この一族は三木合戦で別所長治に味方し、明智光秀に滅ぼされるんですよね?
なんともミーハーな質問で恐縮ですが、ご教示くだされば光栄です。
投稿: たけうち | 2008.12.16 23:30
>たけうちさん
前者については…、わかりません(笑)。
兄弟の父親の武邦彦氏は函館の出身のようです。
邦彦氏の父親も函館で育ったようですが…。
後者についても、はっきりとはわかりません(笑)。
丹波の波多野氏は、出自は不明です。相模出自の波多野氏(今回紹介した一族)との関係も考えられていますが、決定的な繋がりは見つかってないようですね。
投稿: かわと | 2008.12.17 01:44
波多野と言えば、古河公方足利晴氏が北条氏康によって幽閉された場所でもありますね(『喜連川判鑑』など)。なぜ波多野が選ばれたのかは良く分からないのですが・・・
投稿: 御座候 | 2008.12.28 18:59
>御座候さん
なぜ波多野に幽閉したんでしょうねえ?
小田原との距離が遠すぎず近すぎずだったから…とか?(笑)
思い当たる節がまったくありませんが、理由をご存じの方がいらっしゃれば是非ともご教示いただきたいところです。
投稿: かわと | 2008.12.29 01:33