« 新出の秀吉書状 | トップページ | 鮭延城跡 »

2009.01.04

院内銀山遺跡

Innai_28_2Innai_34_2これからは東北シリーズ。私の記憶が薄れる前に進めていきたいと思います。

まずは秋田県の最南端、雄物川の源流域にある院内銀山の跡。慶長11年(1606)に発見され、久保田(秋田)藩主の佐竹氏によって開発が進められました。
産出のピークは天保期(19世紀前半)で、幕末にかけて一度廃れた後、明治になって再開発が進められました。そして財閥の古河市兵衛に払い下げられた後は再び活況となったそうですが、長くは持たず大正に入って休止。昭和初期に廃坑となりました。

今は実際に発掘していた所まで登ることはできませんが、麓の方にある「御幸坑」(左写真)までは行くことができます(中には入れませんが)。右写真は、そこから少し降ったところにある、町の鎮守だった金山神社。この神社をランドマークとして、町が広がっていました。

Innai_29_2Innai_4_2とはいえ今は一軒も家は残っていません。遺跡だけが物寂しく残っています。左写真は神社の近くにある正楽寺跡。
右写真は、町への入口に設けられた「十分一御番所」跡。ここを通る物資に対して、10分の1の役を徴収したそうです。

Innai_10_2Innai_17_2こちらは、その番所と鉱山町との中間点あたりにある墓地。ここで亡くなった坑夫などの墓が今も遺されています。
右写真は、院内銀山で医師を勤めていた門屋養安とその一族の墓。養安は天保6年(1835)から明治2年(1869)までの詳細な日記を遺していることで知られています。

もう一つ院内の日記として忘れてはならないのが、梅津政景の日記。梅津氏は元々宇都宮氏の被官だったそうですが、梅津政景は佐竹義宣の家臣となり、共に秋田へ移住。慶長14年(1609)には「山奉行」に任じられ、院内銀山で様々な法整備を行った人として知られています。彼の遺した日記は初期の藩政の様子や鉱山開発の史料として重要なものですね。(私はまだ読んだことはないのですが…)

Innai_39_2最後は現地の看板。かつてはこのような町並みが広がっていたそうです。
戦前まではある程度町並みが残っていたそうですが、今は影も形もありません。かつてこんな町があったことが信じられないくらいです。廃れた鉱山町の悲哀を感じます。

ちなみにJR院内駅に併設する形で、資料館の「院内銀山異人館」があります。

■秋田県湯沢市(旧雄勝町)

|

« 新出の秀吉書状 | トップページ | 鮭延城跡 »

コメント

はじめまして。
ブログ検索で「門屋養安」をキーワードにたどり着きました。

私は門屋養安の末裔なのですが、院内には一度も行った事が無く、皆さんのブログで写真などを見て、いつかは行きたいと思っていたりします。

かなり荒れているとも聞いているので、少し寂しいのですが。

投稿: YOOANN | 2009.02.18 01:04

>YOOANNさん
書き込みありがとうございます。
今は近隣に人家もありませんが、自治体や地元の有志の方々が保存に尽力しておられるようでした。お訪ねの際は、これら地元の方々と交流を深められると喜ばれるかと思います。

投稿: かわと | 2009.02.18 02:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/43630402

この記事へのトラックバック一覧です: 院内銀山遺跡:

« 新出の秀吉書状 | トップページ | 鮭延城跡 »