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2009.03.19

「生存」という視角

Hasegawa長谷川裕子『中近世移行期における村の生存と土豪』(校倉書房、2009年)受贈。ありがとうございます。
どたばたしていて、まだあとがきしか読んでませんが…(笑)。
「ようやく」という感すらある単著のご刊行を慶びたいと思います。

なんといっても重厚。私は中世とあれば分野によらずわりとなんでも食いつく癖がありますが…(笑)、領主論あるいは土豪論はとても自分の手には負えないとかねてより思っていまして(石母田正『中世的世界の形成』すら読み切れていない…)、もっぱら専門とされる方々の成果を学ぶだけに終始しております。

さて、本書を貫く視点は、「生存」。従来、(特に戦国期の)村というのは権力からの自立の象徴と捉えられ、その構造は「共同体」の観点で注目されてきましたが、本書では「生命維持装置」と位置づけています。この両者、同じ概念のようで同じではないと思うわけですが、この点をめぐって、今後議論が深まるきっかけになるでしょうか。

もう一つ。

「村は、村の自力の外側に、それを補完するための二つの回路を確保していた。これらは、村が生き残るために創り出したシステムであったが、横は近隣の地域社会から、縦は最終的には当該期の権力につながる多元的・重層的な広がりを持つものであった。」(p.15)

という一文はとても印象的です。権力との関係は、常に対立的ではなく時には協調的であり、そして協調を引き出す力が村にあったという視点がおそらく主眼になるのでしょう(理解が間違っているかもしれませんけど(笑))。
そうなると、おそらく今後、事実関係云々よりも分析に携わる研究者個々の“権力像”こそが論点になるのかな、という気がしています。

雑駁なのでこのへんで…。まずはちゃんと読まないと(笑)。

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