尾道(1) 浄土寺

いきなりメインですが、尾道の市街地の東側に位置する浄土寺。
聖徳太子建立という伝承もありますが、創建の経緯はよくわかっていません。確実に存在が確認できるのは鎌倉後期で、叡尊の弟子である定証が嘉元4年(1306)に再興した真言律宗の寺院です。正中2年(1325)に火災に遭い、その後まもなく復興。その頃の建築物が今に伝わっています。
右写真は山門(重要文化財)。室町初期(南北朝期)以前の築とされています。二つ引両の紋がある通り、足利氏との関係が窺えます。足利尊氏が寄進したものと考えられています。

左写真は本堂(国宝)。嘉暦2年(1327)に尾道の人である道蓮・道性夫妻の発願によって建立されたものです。建築手法は和様を基本に、天竺様も取り入れられたものだそうです。同様の他例よりもかなり時期の早い様式で、技術の先進性を窺わせます。本尊は木造十一面観音立像(重要文化財)。中も拝観できますが、今回はパス。
右写真は多宝塔(国宝)。こちらは嘉暦3年(1328)築。鎌倉期のものと明確にわかる多宝塔は全国的にも極めて珍しく、貴重なものです。南北朝期には、足利尊氏がこの多宝塔を備後国の利生塔としたそうです。
こちらは阿弥陀堂(重要文化財)。康永4年(1345)築。
この建物を見てすぐに思い出したのが、播磨の浄土寺(兵庫県小野市)の浄土堂。播磨の方が古くて国宝になっていますが、建築様式はほとんど同じのように見受けました。同じ「浄土寺」の名ということもあるのでしょうか。播磨の方は中に入ることができたのですが、こちらは中には入れないようでした(多分)。

建築物も見事なのですが、忘れてはならないのが石造物。左写真の宝篋印塔(重要文化財)は、伝足利尊氏墓。供養塔というべきでしょうか。南北朝期における中国地方の宝篋印塔の代表作といえるものだそうです。ほぼ完璧に現存していて貴重。
右側にある五輪塔は年代比定が確定していないようですが、やはり同時期のものとされており、足利直義の供養塔と伝わっているそうです。
右写真の宝篋印塔(重要文化財)は、貞和4年(1348)の刻銘があり(肉眼では確認できませんでした)、阿弥陀堂建立に合わせて造られたものなのかもしれません。沙弥行円ら4名の逆修塔であり、光孝の供養のために建立されたものだそうです。
右側のものは納経塔(重要文化財)。弘安元年(1278)の刻銘があるそうです(これも見えず)。現地看板によると、「定証上人による浄土寺再興前に同寺を修造した尾道の長老光阿弥陀仏のために、子息の光阿吉近が建てた供養塔と伝える」そうです。調査によって、「沙弥光阿弥陀」「孝子光阿吉近敬白 大工形部安光」などの銘が確認されているとのこと。
これらの人物の詳細についてはよくわかりませんが、地元の人々の尊崇を受けていたことがよくわかります。なお、この浄土寺は応永27年(1420)に朝鮮通信使の宋希璟も訪れており、「禅の大刹」としています。実は禅寺ではないのですが…。
このほか近世に造られた庭園や庵の「露滴庵」(重要文化財)もあるのですが、現在修理中でした。
訪問時には意外と観光客は少なかったですが、尾道では是非物のスポットですね。
■広島県尾道市
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コメント
こんばんは。
尾道シリーズですか。尾道といえば、大林宣彦監督の「尾道三部作」が有名ですけど、やっぱり尾道ラーメンも捨てがたいですね(笑)
かわとさんはラーメン、食べられましたか?
さて、(尾道)浄土寺阿弥陀堂と(小野)浄土寺阿弥陀堂との関係ですけど、興味深く拝見させていただきました。
小野の開基である重源と尾道の中興の定証(と、その師匠である叡尊)とは、流れとしてはつながるものの、小野浄土寺阿弥陀堂を模した建物を建てたどうか…どうなんでしょう?
これが明らかになったら、播磨と備後、あるいは瀬戸内地域の文化交流の一端が分かって面白いと思います。
投稿: たけうち | 2009.06.21 22:59
>たけうちさん
私は浄土寺の門前にある店でラーメンを食べました。シンプルでしたがおいしかったです。
小野の浄土寺との類似については、実際に模倣したとまで言えるかどうかはわかりません。ただ、浄土教系の建築として、阿弥陀堂の様式というのが多少は確立していたのでしょうね。
ちなみに尾道の阿弥陀堂は、東面している小野とは違って南面しているようでした。
投稿: かわと | 2009.06.22 15:34