尾道(5) 天寧寺
貞治6年(1367)に、尾道の万代道円居士という人の発願によって、相国寺や天竜寺などの住持で、幕府の僧録になった春屋妙葩(しゅんおくみょうは、普明国師)を開山として建立されました。はじめは臨済宗寺院で、十刹にも数えられた名刹です。現在は曹洞宗になっているそうです。
康応元年(1389)には、足利義満が厳島参詣の途次に天寧寺に立ち寄っています。その時の記録によると、
「いまだ朝のほどに備後国尾道につかせ給ぬ。御座は天寧寺とて天竜寺の末寺なり。海中までうき橋かけて御道とせり。なにとなくめづらしかりき」(『鹿苑院殿厳島詣記』)
とあります。天竜寺の末寺だったようです。
また『老松堂日本行録』には「禅寺の大刹なり。津頭には人居地を撲(つく)し、山上には僧舎羅絡せり。」とあるほか、「傑閣なり天寧寺。江に臨みて塔は幾層なる。門前に喧価(値段の掛け合い)の客。堂上に定禅の僧」云々とあります。門前には賑やかな町場が形成されており、おそらく室町期の尾道の中心地であったと考えられます。

こちらは、上記史料にも登場する三重塔(重要文化財)。
嘉慶2年(1388)に、「道慶居士」という人によって建立されました。寺院を開いた「道円居士」同様、商人(有徳人)なのでしょうか。
実は、元は五重塔だったようです。和様を基調に禅宗様を取り入れたもの。元禄5年(1692)に修理した際(落雷によるか)、上の二層が撤去されて三重塔になったそうです。
季節柄、本堂の前にはきれいな花が咲いてました(枝垂れ桜だったっけ? よく覚えてません(笑))。これを目当てに観光客の方がたくさん来ていました。
現在では、かつての境内と思しき場所には家々が立ち並んでいて、一見すると本堂と三重塔は別々の所に建っているようにも感じられます。室町幕府の衰微に殉じたということになるのでしょうか。
■広島県尾道市
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