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2009.06.23

「長命寺文書」の織田信忠書状案

またもや懲りずに、こちらにある写真から起こしてみました。
目が疲れる…。


態申候、仍煩ニ而色々肝
煎入、祝着候、随而近江
長命寺之儀、岡崎より
申越候、此方へも従前
承(?)候而、坊中共ニ無相違
様ニ肝煎入、柴田方へも
可申候、恐々謹言、
  霜月廿九日
(端裏)「五郎左衛門尉との  寄妙」 

(※追記:端裏、「奇」→「寄」に変更)

いつ頃のものかはわかりませんが、天正初年頃なんでしょうかねえ?
「岡崎」は家康のことだと思うのですが、どういう関係になるんでしょうか。
私はあまり詳しくないのでわからないことだらけです。ご教示いただければ幸いです。

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コメント

こんにちは。

これは信忠文書で、もっとも早い時期のものですね。渡辺江美子氏によれば、永禄12年(1569)に比定されています。13歳のときで、まだ元服していませんね。

なお、端裏は読みにくいのですが、「奇妙」ではなく「寄妙」になっていませんか?

信忠の元服時期は諸説あって、渡辺氏は元亀3年説、谷口克広氏は天正元年中頃説を採っています。

内容はわかりずらいですね。
渡辺氏の論文「織田信忠の文書と花押」(『古文書研究』24号、1985年)巻末の発給文書一覧によれば、「近江長命寺領諸役免除の指示」とあります。
でも、文面を見たかぎりでは、とても諸役免除のこが書かれているとは思えませんね。

長命寺文書には、元亀年間の関連文書が数点あり、そのうち、柴田勝家が長命寺に宛てた折紙(3月18日付)には、「当寺之儀、我等拝領之内候」とあり、「諸役可為免除候」という一節もありますね。信忠が「柴田方へも可申候」というのはこのことを指すのでしょうか?

勝家が長命寺に有した権限は「御中間銭」の納入のようで、じつはそれをめぐって中川重政と相論になっているようです。この一件がおそらく中川の失脚の遠因のようですが。また、この一件には丹羽長秀もどういう形かわかりませんが、一枚噛んでいるようです。

「岡崎」はふつうなら家康ですね。でも、家康がなぜ長命寺の一件に関わるのか、その事情がわかりません。
むしろ、中川を指しているとみれば、当事者が勢ぞろいするのでわかりやすいのですが、どうもそうは読めそうもありません。

なお、長命寺の関連文書は『増訂織田信長文書の研究』上、337~40頁あたりにあります。

>桐野さん
早速のご教示、ありがとうございます。

「奇妙」ですが、確かに「寄」の方がいいかもしれません。訂正いたします。

だいぶ時期は古そうなので天正初期かと思ったのですが、それよりもさらに古いんですね。

内容は諸役免除というより、寺領安堵というか、寺そのものの保護を命じたものといった内容でしょうか。織田方は近江で容赦なく寺社の焼き討ちをやってますので、その文脈で捉えればリアリティがあるように感じました。

近江情勢については詳しくないので、勉強になりました。背景を伺うと、この文書に対するイメージも変わりますね。
「岡崎」については、どのように考えるか難しいところです。家康の動向を探っていくと、文書の年代比定も可能になるかもしれませんね。

かわとさん、こんにちは。

例の信忠文書、年次は元亀元年かもしれないですね。
私のブログのリンク先に次のようなことが書かれていました。

http://taigan.blog104.fc2.com/blog-entry-523.html

信長の長女で徳川信康に嫁いだ五徳のために、化粧料田として、長命寺領に設定されたというのです。信康は岡崎にいるので、このことを指しているのでしょうね。
となると、上記文書も、五徳のために年貢収取を怠りなきようという指示でしょうか?

>桐野さん
再び、ご教示ありがとうございます。
安土城考古博物館では、やはりすでに背景の分析が進められたようですね。

なるほど、化粧料ですか。関連文書もあるようなので、ほぼ確定でしょうかね。

リンクされていたブログを拝読すると、この化粧料、安堵の見返りとしてピンハネで捻出したようですね(笑)。したたかというか、せこいというか…。まあ当時の権力ってのはそんなもんでしょうけど。

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