先日は所用があって秩父に行ってきました。
そのついでに、秩父市内の板碑を見てきました。
大型のものを二つ見たのですが、どれも見つけるのに苦労しました…。地元の方に尋ねてやっと場所が特定できたのですが、ちゃんとした案内板があると有り難いです。
こちらは寺尾地区にある板碑。「光正寺青石塔婆」と呼ばれるもので、延慶3年(1310)の銘が刻まれています。
銘には「中村四郎時光」「長田次郎入道元■」「長田丹内右衛門入道」などの名が見えます。
中村氏は秩父郡大宮郷中村(現秩父市)を本拠とした、丹党の嫡流と言われる一族です。今に伝わる系譜によると、中村時光は時重の子で、兄の家時が嫡流を継いで上中村氏と称しています。また弟の時賢は下中村氏と称して、所領の播磨国宍粟郡三方西郷(現兵庫県宍粟市[旧波賀町])に下向したそうです。下中村氏は、播磨の国人領主として中世を生き抜いています。「中村文書」という家文書があるようですが、未確認(『兵庫県史』に入っているかも)。
一方の上中村氏は北条氏の御内人になったとされ、鎌倉幕府滅亡時には戦死者を出していますが、室町期には鎌倉府足利氏の被官となったようです。しかし上杉禅秀の乱で禅秀方に荷担して敗れて所領を失い、その後は今川氏の被官となりました。今川氏没落後は池田輝政の被官となり、そのまま近世に鳥取藩池田氏の家臣となったようです。
その中村氏の本拠とされる中村地区には、中村氏墓所とされる墓地があるようなんですが、これまた見つけられず。その近辺のお寺には、板碑がありました。さすが埼玉。
この近くの蕎麦屋さんで昼を食べた際に見つけました。
もう一つは、堀切地区にある板碑。「観■卯辛」の銘があり、観応2年(1351)のものと考えられています。途中で折れてしまったようで補強がしてありますが、高さが約2メートルあり、堂々としています。
銘からは供養対象となった人物ははっきりしませんが、由緒ある人物の供養塔として建てられたものと考えられています。
こちらは、その近くにある旧大田村高札場。わりと凝った装飾が施された、貴重なものだそうです。今ものどかな周辺の風景に合っていて、風情がありました(後ろのコンテナがやや残念ですが…)。
秩父といえば、長瀞にある日本最大の板碑(5メートルくらいある。こちら参照)が有名なんですが、さすがにそこまでは行けませんでした。秩父にはまだほかにも板碑はありますので、またいずれじっくり見て回りたいところです。でも、もうちょっと見つかりやすいようにしてほしいのですが…。
■埼玉県秩父市
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