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2009.07.28

秩父の板碑

先日は所用があって秩父に行ってきました。
そのついでに、秩父市内の板碑を見てきました。

大型のものを二つ見たのですが、どれも見つけるのに苦労しました…。地元の方に尋ねてやっと場所が特定できたのですが、ちゃんとした案内板があると有り難いです。

Chichibu1こちらは寺尾地区にある板碑。「光正寺青石塔婆」と呼ばれるもので、延慶3年(1310)の銘が刻まれています。
銘には「中村四郎時光」「長田次郎入道元■」「長田丹内右衛門入道」などの名が見えます。

中村氏は秩父郡大宮郷中村(現秩父市)を本拠とした、丹党の嫡流と言われる一族です。今に伝わる系譜によると、中村時光は時重の子で、兄の家時が嫡流を継いで上中村氏と称しています。また弟の時賢は下中村氏と称して、所領の播磨国宍粟郡三方西郷(現兵庫県宍粟市[旧波賀町])に下向したそうです。下中村氏は、播磨の国人領主として中世を生き抜いています。「中村文書」という家文書があるようですが、未確認(『兵庫県史』に入っているかも)。

一方の上中村氏は北条氏の御内人になったとされ、鎌倉幕府滅亡時には戦死者を出していますが、室町期には鎌倉府足利氏の被官となったようです。しかし上杉禅秀の乱で禅秀方に荷担して敗れて所領を失い、その後は今川氏の被官となりました。今川氏没落後は池田輝政の被官となり、そのまま近世に鳥取藩池田氏の家臣となったようです。

Chichibu2_3その中村氏の本拠とされる中村地区には、中村氏墓所とされる墓地があるようなんですが、これまた見つけられず。その近辺のお寺には、板碑がありました。さすが埼玉。
この近くの蕎麦屋さんで昼を食べた際に見つけました。

Chichibu2_5もう一つは、堀切地区にある板碑。「観■卯辛」の銘があり、観応2年(1351)のものと考えられています。途中で折れてしまったようで補強がしてありますが、高さが約2メートルあり、堂々としています。

銘からは供養対象となった人物ははっきりしませんが、由緒ある人物の供養塔として建てられたものと考えられています。

Chichibu2_8こちらは、その近くにある旧大田村高札場。わりと凝った装飾が施された、貴重なものだそうです。今ものどかな周辺の風景に合っていて、風情がありました(後ろのコンテナがやや残念ですが…)。

秩父といえば、長瀞にある日本最大の板碑(5メートルくらいある。こちら参照)が有名なんですが、さすがにそこまでは行けませんでした。秩父にはまだほかにも板碑はありますので、またいずれじっくり見て回りたいところです。でも、もうちょっと見つかりやすいようにしてほしいのですが…。

■埼玉県秩父市

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コメント

 おはようございます。ここで、「中村文書」に会えるとは・・・。ご指摘のとおり、「兵庫県史」史料編に入っています。浦上氏の有力な配下の1人ですね。なかなかおもしろい存在ですが、専論というべきもはないようです。こういう存在を取り上げて、ぜひ「年報赤松氏研究」に投稿いただきたいものです。いかがですか?かわとさん。他のテーマでも結構ですが(笑)。本当に原稿が枯渇していて(特に4号以降)、ペンネームを使って、自分で書き分けるとか、「赤松万華鏡」のコーナーや「読者の声」欄を作ろうかと、真剣に考えています(笑)。

>渡邊大門さん
コメントありがとうございます。
「中村文書」ですが、『兵庫県史』史料編3に入ってますね。うちにありました(笑)。

宍粟郡といえば宇野氏のイメージがあったのですが、「伊和神社文書」にも中村氏の発給文書がありますね。
私は父方が宍粟郡出身なので、身近に感じます(文書に出る「与位」にも親戚が居たりして…)。
とはいえ、論文となると、書けるかどうか…(笑)。ただ上記のような地縁もあるので、いつかは、とは思います。曖昧ですみません。

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