高野山奥の院(1)
高野山観光のメインの一つでもある奥の院。
承和2年(835)に空海が入定(死去)したことにより、廟所として建立されたと伝わっています。中世になると空海がここで死去したと信じられるようになり、信仰を集めました。
厖大な墓があることで知られていますが、15世紀頃からここに墓所を構える動きが見られるようになったとか。ただし現在に残るもののほとんどは、近世になって多くの大名たちが墓所を構えたことによります。
現在では、企業が供養のために設けた墓所も多く見られました。
こちらは「一の橋」。文字通り一番手前にある橋で、奥の院の入口に当たります。ここを渡ると、多くの墓が建ち並んでいます。
ちゃんと調べたわけではないのですが、印象としては手前(「一の橋」)側は墓が比較的新しく、奥へ行くほど古くなる傾向があるように窺えました。

多くの墓を通り過ぎるとあった護摩堂。隣には不動堂(たぶん)があります
左写真の手前側に見えるように、わりと古そうに見える門もあったのですが、説明が何もないのでどういうものであるかはわかりませんでした。ご存じの方、ご教示ください。

こちらの橋は「御廟橋」。その先に見えるのが弘法大師廟です。ここから先は撮影禁止なので、こんな写真が限界。この先には近世の歴代天皇墓所や、近衛家の墓所などがあります。
また、廟の周囲には、石田三成が築いたという経蔵(重要文化財)や、中世のものとおぼしき石造物も安置されていました。
墓については次回にて。
■和歌山県高野町
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