丹生都比売神社

町石道の途中、少し降りた所にある丹生都比売(にうつひめ)神社。かつては丹生四所明神や天野社と呼ばれた神社で、高野山の鎮守として知られています。
古代から存在が確認されていますが、元は丹生明神を祀っていたところ、後に狩場明神(高野明神)も祀り、さらに承元2年(1208)に、気比明神と厳島明神も祀られたことにより、「四所明神」と呼ばれるようになりました。
左写真は室町期のものとされる楼門(重要文化財)。右写真が、その四つの神を祀った本殿です(いずれも重要文化財)。今回は、特別に中まで入らせていただきました。

境内は仏教関係の施設もかつてはあり、多宝塔や御影堂などもあったそうです。いずれも、廃仏毀釈により廃絶。
その跡地のあたりには、左写真の、大峯修験者の供養塔が遺されています。向かって右から延元元年(1336)、正安4年(1302)、正応6年(1293)、文保3年(1419)のもの。
右写真は、境内の前にある宝篋印塔。応永23年(1416)に、大念仏(融通念仏)衆が秋の彼岸の中日に建立したそうです。

境内から少し歩くと、西行の妻と娘の宝篋印塔とされる石塔群があります。中央の大きな2基の宝篋印塔は応安5年(1372)の建立、右の小さめのもの2基は文安6年(1449)建立とされています。
後ろには五輪塔群があり、これらは曽我兄弟の郎党である鬼王・団三郎を供養したものだそうです。これらの郎党は、当地である天野で死去したと伝わっているのがゆえんだとか。
なお、この神社の惣神主であった丹生一麿家(「一麿」は近世の惣神主の通称だそうです)に伝わった文書群があります(「丹生家文書(丹生輝代麿家文書)」・高野山大学図書館寄託)。一部を拝見させていただきました。この文書群は新出で、まだ活字化が進んでいないそうです。このほかにも神社に関連する史料があり、和歌山県立文書館から目録が刊行されているとのこと。専論としては、加地宏江「丹生古文書集について」(『ヒストリア』102、1984年)があるそうです。
(2009.9.23追記)
太字部分を加筆しました。
今回拝見した「丹生家文書」は、和歌山県立博物館が目録を作成した文書群には含まれていません。詳しくは、この記事のたかぎさんのコメントをご参照ください。
■和歌山県かつらぎ町
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いつも楽しく拝見させていただいています。
このたびは、和歌山にお越し下さり、ありがとうございました。その上このようにブログで詳しくご紹介下さり、感激です。町石道は手軽なハイキングコースでもあり、中世を肌で感じられる絶好のコースでもあるのですが、何せ交通の便が悪く、研究者の方々で歩いた経験のある人というと、実際には少ないのではないでしょうか。その意味では、今回のサマーセミナーは、ごく一部ですが(全行程の3分の1くらい)実際に歩いていただく機会を提供できて、良かったかなと思っています(反省点も多く、ほとんど自己満足かも知れませんが。。。)
さて、細かな点ですが、訂正をいくつか。
山上でご覧頂いた「丹生一麿家文書」ですが、県立文書館に寄託されている「丹生家文書」とはまったく別物です。伝来も所蔵者も違います。ですので、ご覧頂いた文書群については、翻刻はおろか、目録化もされていない、まったくの新出史料です(今後、翻刻を進める予定です)。
それと、金剛三昧院のところで記述のあった、前身寺院の名称は、「建定院」ではなく「禅定院」です。
重箱の隅ばかりですいません。ご紹介していただいたことに感謝しつつ、謹んでご訂正まで。
投稿: たかぎ | 2009.09.23 12:28
>たかぎさん
こちらこそ、たいへんお世話になりました。おかげさまで、大いに勉強させていただきました。
私は高野山自体が初めてでしたので…、すべてが新鮮で楽しかったです。
記事の誤りについて、ご指摘ありがとうございました。早速訂正させていただきます。また何かお気づきの点がありましたらご教示ください。
あと、遅まきながら、たかぎさんのブログにリンクを貼らせていただきました。そのうちにと思っていたら、すっかり忘れてしまっていました…。
今後とも宜しくお願い致します。
投稿: かわと | 2009.09.23 22:49