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2010.03.17

後閑城跡

Gokanjo_7Gokanjo_30先日のことですが、参加している勉強会の毎年恒例の合宿(=旅行)に行ってきました。合宿といっても、私は所用があったので初日の日帰り。行き先は群馬県西部(西上野)。

群馬県立歴史博物館で中世文書を見学した後、西上野の後閑(ごかん)城跡へ。妙義山の麓、旧中山道沿いの要衝に建つ城です。

後閑城は、15世紀半ばに碓氷峠を越えた信濃国の在地領主依田忠政が築いたとされています。実際に15世紀後半のこの地域は、依田氏の影響があったことが残存史料により示唆されるようです。

戦国期になると、当主の依田光慶が近隣の箕輪城(現群馬県高崎市[旧箕郷町])主長野業政と姻戚関係を結んで後閑城近くの板鼻城(現群馬県安中市)に移ったらしく、代わって北条政時という人が城主になったそうです。ただ、この人物は詳細がまったく不明。典拠は軍記物あたりなんでしょうか?

その後、丹生城(現群馬県富岡市)を支配していた新田岩松氏末裔とされる新田景純という人物(これもよくわからない人)が攻略。子の信純が城主となり、後閑氏を名乗りました。

歴史的にはっきりしてくるのは後閑氏が城主になってからです。永禄3年(1560)に長尾景虎(上杉謙信)が関東へ侵攻すると、近隣の領主は多くが長尾方に靡きましたが、後閑信純(のち真純)は武田氏の許に身を寄せます。一旦城を失いましたが、永禄9年(1566)に武田晴信が箕輪城を攻略すると、後閑城に復帰を果たします。

天正10年(1582)に武田氏が滅亡して上野が戦乱に巻き込まれますが、信純の嫡子の後閑信重は厩橋城(現前橋市)の北条(きたじょう)高広と結んで後北条氏に対抗。次男・重政と三男・信久は後北条氏に属したそうです。家名存続に向けた計らいだったのでしょうか。結局北条高広は後北条氏に敗れ、後閑重政・信久兄弟は厩橋城の在番となりました。
その後の後閑城は、碓氷峠への入り口を固める松井田城(現群馬県安中市[旧松井田町])に入った大道寺政繁の指揮下となりましたが、松井田城落城と後北条氏の滅亡とともに廃城となりました。後閑氏も小田原で散ったそうです。

Gokanjo_10Gokanjo_32左写真は「北郭」。右写真先に見えるのは「南郭」。

…とまあ、歴史的には不明な点も多いですが、北条・上杉・武田など、周辺の大名に翻弄された上野の小領主たちの城の一つです。城跡までの道はわかりにくいももの、写真の通り、城跡はしっかり整備されています。

Gokanjo_24Gokanjo_20左写真が本丸。右写真は本丸から見た、「西の階段状の郭」。
それほど規模は大きくないですが、本丸からの眺めは良く、旧中山道がはっきり見通せました。交通の要衝に建つ城であることを実感できます。

Gokanjo_13Gokanjo_21左写真は「西第三郭」。

現地看板によると、次の通り。

「この城は、後閑川と九十九(つくも)川の合流地点に突き出した、南北につづく丘陵の末端部分に築かれた山城です。この山城は、四ヶ所の堀切で断たれ、南端の最も高い部分に「本丸」があります。
本丸は南北約80メートル、幅約30メートルで、西には階段状に三つの大郭(西第一~西第三郭)がならび、東にも階段状に郭(東郭、東郭群)がならんでいます。また本丸の東南と西南には枝尾根が分岐していて、それぞれの尾根の基部は堀切で断たれています。
これにより二の丸と南郭は本城から切り離され、いわゆる一城別郭の構造になっています。
二の丸は本丸より約16メートル低く、大堀切に面して櫓台が築かれています。
このたび後閑城址公園整備にあたり、発掘調査を行いましたが、本丸虎口部分の柱穴・二の丸櫓台上の柱穴の他には、建物に関係する遺構は検出することができませんでした。」

意外と遺構に乏しいのが不審。後北条氏の手が入って改修されたものの、城としての機能は松井田城に集中したということになるんでしょうか?

その後松井田城に行こうとしたものの、城跡へ行く道が見つからないまま日が暮れてしまい断念。
近くのお寺にある大道寺政繁の墓だけ見て帰りました。墓自体は近世のものか?(こちらをどうぞ)

その後、高崎で群馬らしいもの?をメインに宴会。私は新幹線の最終で帰ってきました。

■群馬県安中市

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