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2010年5月

2010.05.31

役所のムダが減らないわけ

不祥事続きで対策したつもりかなんだか知らんが、なるべく経費を効率的に執行しようとすればするほど手続きが煩雑になるのは一体どういうことだ。

ふつう、効率的な執行をしようとするほど利便性が高まるようにして、結果としてムダが減るように誘導するのが「政策」なり「対策」というものではないのか。


結局、今の私の身分で最も重要な仕事は無意味な書類を作ることなんだなあ。
しかもこんなの事務方で処理できるだろうに…。ぶつぶつ…。


誰だよこんなアホなシステムをやろうなんて言い出したのは。本気で文句言ってやりたい。
「割高だけど楽な方がいいや」なんて思わせたらいかんでしょうが。

※フィクションです(笑)。…って、これだけじゃなんのことかわからないと思いますが。

2010.05.29

飯野八幡宮

IinohachimanIinohachiman_2平城の縄張りの中にある飯野八幡宮。地域でも由緒のある神社の一つです。

社伝によると、康平6年(1063)に源頼義が前九年の役で奥州に出征した際、石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされています。ただ、文治2年(1186)には源頼朝が好島荘惣鎮守として石清水を勧請したとも言われているそうです。いずれにせよ、創建には源氏が深く関わったと考えられています。
建永元年(1247)に鎌倉幕府執権の北条時頼が政所執事だった伊賀光宗を好島荘預所に任じたのと同時に伊賀氏が神主となり、飯野氏を名乗って現在に続いています。

飯野八幡宮は210通の中世文書(「飯野家文書」)を伝えており、好島荘を基にした荘園や武士の研究に大きく寄与したものして知られていますね。文書は重要文化財に指定されています。

左写真の奥に見える楼門(重要文化財)は万治元年(1658)築。最近塗り直したのか、古びた感じはありませんでした。右写真の手前に見える唐門(重要文化財)は元禄16年(1703)築。

Iinohachiman_3こちらが拝殿と奥にちらっと見える本殿(重要文化財)。本殿は元和2年(1616)築で、何度か修理されているようです。

現在の境内は近世の建築物が多く遺されていますが、中世では別の場所にあったようで、近世になって平城が築城されると慶長7年(1602)に現在地に移ったとされています。火災の後に元和2年に再建されたとのことで、本殿はこの時に建立されたものということになります。

Iinohachiman_4こちらは拝殿の前にある神楽殿(重要文化財)。元和9年(1623)築。

Iinohachiman_5Iinohachiman_7左写真は若宮八幡神社本殿(重要文化財)。本殿の次に古く、元和5年(1619)築。ただし手前側にある切妻屋根は最近になって復元されたものだそうです。
右写真は仮殿(重要文化財)。寛文13年(1673)築。

このほか近世初頭築とされる宝蔵(重要文化財)は、訪問時は修理中でした。境内はそれほど広くはないのですが、歴史ある神社という雰囲気がある所でした。

「飯野家文書」はCD-ROM化されているようですね。翻刻とセットで15000円とか。高いか安いかは、自らの研究テーマ次第ですかね。

■福島県いわき市

2010.05.27

日常移行期

懸案の某大会も終わり、某委員の仕事もお役ご免になったのですが、今はまだ残務もあってなかなか落ち着かない。

週末は関西でやっている研究会に出る予定にしていたけど、キャンセルしました…。すみません。自分の時間が欲しいという欲望に負けました。
別の研究会ですが、来月の某大会には行くつもりです。関西のみなさん、その際は宜しくお願いします。


授業の方は軌道に乗ってきたけれども、思ったより進行が速くなりそう。今日は元暦2年(1185)の頼朝下文とか。私も普段は絶対見ない文書を読んでいるので、勉強になります(そして時々間違えます(笑))。

学生さんは結構みなさん優秀。さすが○橋ということなのか、それともいくらなんでも選んだ文書が簡単すぎたか。
いや、もしかして“あれ”の存在がバレた…?
“あれ”を見たら勉強する意味がなくなるので(見ている学生がいるかもしれないので、“あれ”が何かわかってもコメントに書かないでください(笑))、見つかっても見なかったことにしてほしいんだが。

ともあれ、ネタ(読む文書)の追加供給が必要になるかも。ストックはあるけど、「レベル」(くずしのひどさ)を上げるべきかどうか迷うなあ…。


ここの更新ペースが落ちたまんまですみません。週末くらいからペースを上げられるといいのですが。
熱意がなくなったわけではないんですけど、いろんなものに追われているとある種の罪悪感がどうしてもよぎりますものでして。

2010.05.24

やっと終わった

…というのが正直な感想。

準備をどれだけ念入りにしても、トラブルは起きますね。
トラブルが起きないようにすることも大切だけど、やはり起きたときにどう対応するかの方が重要ですね。それも戦略的というより瞬発的な対応が必要。

肉体的のみならず、精神的に疲れたかなあ。飲み会ではどっと疲れが出てあまり飲めませんでした。


これからしばらく開放感に浸りつつ、自分のための時間を有効に使いたいと思います。仕事も増えたし…。
ともあれ報告者はじめ参加者のみなさんもお疲れさまでした。

2010.05.21

準備万端…だと思う

今日は延々4時間も紙をめくり続けて(しかも、大量の紙が鎮座する机をグルグル回り続けて)疲労困憊。
おそらく半世紀は続いたであろうこの伝統?とも言うべきアナログさ加減はどうにかならんもんか…、などとずっと考えていました。

「もうレジュメはPDFで配って当日はパワポを使うかパソコンを持ってきてもらおうよ」とか、「ならばいっそのこと会誌も紙はやめて…」とか云々。まあ“客層”も考えると、少なくともこの先10年は変わらないかなあ。

なにはともあれ某大会の下準備はこれが山場で、これを終えるといよいよ実戦?モードへ。


土日の天気はなんとか持ちそうなのがこれ幸い。
あとは当日に大きなトラブルが無いよう祈るばかりです。

当日は遠方の方を含め多くのみなさんにお会いできるのが楽しみです。もっとも、私にそんな余裕があるかどうかはわかりませんが…。多分いっぱいいっぱいなので、愛想がなくてもご容赦ください。決して邪険にしているわけではありませんので(笑)。
参加予定のみなさまは、道中お気を付けてお越しください。特に最寄り駅からの坂道は確実に体力を奪いますので(笑)ご注意を。

2010.05.16

平城跡・高月館跡

TairajoTairajo_1JRいわき駅のすぐ裏側の高台は平(たいら)城跡です。

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の直前に、伏見城代だった徳川家康の家臣・鳥居元忠が西軍の攻撃を受けて戦死しましたが、その功績によって戦後にその子である鳥居忠政が磐城平に10万石を与えられ、築いたのがこの城でした。
元和8年(1622)に山形の最上氏が改易されると鳥居忠政は加増転封となり、代わって譜代家臣の内藤政長が入りました。この政長の父である内藤家長も伏見で戦死した人です。城の基幹部分はこの二氏によって整備されたものと考えられています。
平藩は東北、とりわけ伊達氏の抑えとして譜代が据えられ、内藤氏の時代が一世紀半ほど続いた後は井上氏、そして安藤氏が藩主となりました。幕末の老中で有名な安藤信正は平藩主です。

いずれにせよ近世城郭の遺構ということになるのですが…、今は完全に宅地化していてほとんど面影がありません。案内もほとんどなくて、わずかに写真の石垣を見付けました(写りは悪いですが)。

Tairajo_2この写真は城跡から街中を見た風景。

所々遺構を示すような広場や石垣が点在しているようですが、天気も悪かったので歩き回るのはやめました。
ここまでになってしまった近世の城跡もなかなか珍しいような…。
遺構内には公園があり、堀跡と思われる池が遺っているようです(こちら参照)。天気が良ければ寄ってみても良かったのですが、というか、どこにあるかわかりませんでした(笑)。


Iinohachiman_12Iinohachiman_9城の縄張の一角でしょうか、今は県立磐城高校の敷地にあたる高月館跡。校庭の脇に土塁の遺構がありました。
こちらは中世の遺構と考えられています。

鎌倉期の御家人である伊賀氏が好島西荘の預所となり、ここに館を構えたとされています。この伊賀氏は室町期にこの地域の有力神社だった飯野八幡宮の宮司となり、飯野氏と改めて現在まで続いています。
Iinohachiman_8現在もここに当主が屋敷を構えているようでした(さすがにその写真は撮りませんでした)。

■福島県いわき市

2010.05.10

白水阿弥陀堂

Shiramizu_12Shiramizu_19私がいわきへ行った目的の半分くらい(それ以上?)がここ。白水(しらみず)阿弥陀堂です。

阿弥陀堂(国宝)は、永暦元年(1160)に藤原清衡の娘・徳姫によって建立されたと伝わっています。この徳姫は岩城則道の室になったとされています。この則道の菩提を弔うために願成寺という寺院が建立され、その堂舎の一つがこの阿弥陀堂だったそうです。

背後の三方を山に囲まれた場所に建立されていますが、これは浄土信仰を表すものだと考えられています。平泉の寺院に様式が似ており、ここに奥州藤原氏の影響を見いだすことができるそうです。

福島県では唯一の国宝建築物。重厚かつ質素なのがいいですね。

Shiramizu_7Shiramizu_2紅葉の季節に行ったので、赤々としてました(天気は悪かったですが)。

境内の発掘調査によって、巨大な浄土式庭園の遺構が見つかったそうです。阿弥陀堂の周囲は庭園が復元されていますが、さらに手前の右写真のあたりにもかつて遺構があったのでしょうか。ただの広場だったりすることはないと思いますが…。

■福島県いわき市

2010.05.09

春の近郊小旅行

Takiyamajo2_5Takiyamajo2_3連休の時期、近郊の史跡巡りをしてきました。

写真は、再び滝山城跡。毎年恒例の所属ゼミ(実はもう「元」ですが(笑))の小旅行として企画されていたものの、雨によって正式には中止。有志だけで行きました。

前回は気づかなかったのですが、本丸の奥にさらに高い曲輪があり、その奥からの眺めが一番良いようです。この日は天気が悪かったのでいまいちだったけど(右写真)、晴れた冬の日はもっと綺麗に見えただろうなあ。前回気がつかなかったのが残念。

前回は行かなかった所も見てまわることができて満足。

Bubaigawara_4その後は時間があったので、分倍河原の史跡を歩きました。こちらはまた後日紹介いたします。例によって、いつになるかはわかりませんが…。

写真は、分倍河原駅前にある新田義貞像。ご立派です。

別の日には、東村山の久米川合戦関係史跡も再訪しました。前回訪問時よりは写真の画質が上がったと思いますので、また別途紹介したく思います。

連休中、息をつけたのはこのイベントくらいかなあ。
多忙期間もあともう少し。もう一踏ん張り。

2010.05.06

湯本 惣善寺・温泉神社

Iwakiyumoto2_1Iwakiyumoto2_2いわき湯本温泉にある惣善寺。寺伝によると、大永2年(1522)に良恩上人という人によって開かれた浄土宗の寺院です。この地域を支配していた領主である若松紀伊守という人が寄進して建立されました。近世に火災に遭ったり、戊辰戦争で被害を受けるなどして、今に遺る本堂は明治初頭の建立だそうです。
本尊は建武2年(1335)に造られた阿弥陀如来坐像。近世はこの地域を支配した平藩主の内藤氏が保護をしており、それによって裏の山上に観音堂が建てられたことにより、観音信仰の寺院として知られるようになったそうです。温泉宿の総本山といったところでしょうかね。

Iwakiyumoto2_4こちらは境内の釈迦堂。訪問時は紅葉が見事でした。天気はあまり良くなったのが少々残念でしたが…。

Iwakiyumoto_2こちらは温泉街にある温泉神社。日が暮れてから行ったので、ライトアップはしていたものの写真はいまいち…。

この温泉神社は意外と(と言ったら失礼か)歴史が古く、延喜式内社です。この事からもわかるように、湯本温泉もまた歴史が古く、古代にはすでにあったものと見られます。近世には湯治場として栄え、多くの旅人を集めたと考えられています。

炭鉱開発で一時湯量が激減したそうですが、再び湯量が豊富になったそうです。温泉街はやや寂れ加減でしたが、なかなかいい旅館がいくつもあって、温泉街の風情はよさげです。
今回は結構奮発して湯本でも指折りの旅館に泊まったのですが、すばらしかったです。また機会があったら来てみたいです。

■福島県いわき市

2010.05.04

いわき 大国魂神社

IwakiookunitamaIwakiookunitama_2いわきにある大国魂神社です。

古代に置かれた石城(岩城)国の中心に建立された神社です。六所宮として設置されたのでしょうか。後に陸奥国となり岩城郡が設置されましたが、大国魂神社は延喜式内社となりました。

中世には岩城氏が支配するとともに、社殿造営などの保護を受けていました。この神社は中世文書の「国魂文書」(重要文化財)を所蔵していることでも知られています。その中には、岩城氏の系図もあるとか。

Iwakiookunitama_1Iwakiookunitama_4神社の近くに、右写真の古墳がありました。甲塚古墳といい、古墳時代のものだそうです。国史跡。
この地域は多くの古墳や古代遺跡が見つかっているようです。古代においては、東北で有数の先進地帯だったのでしょう。

■福島県いわき市

2010.05.02

中世社会に切り込む二冊

以前頂戴しておきながら、お礼とご紹介の遅れた二冊。

まずは守田逸人『日本中世社会成立史論』(校倉書房、2010年)受贈。ありがとうございます。
東京での活動でいつもお世話になっておりますが、このたび博論をもとに上梓されました。中世前期の社会や領主について分析したご論著。とりわけ荘園史研究の研究史整理はとても勉強になりました。研究史の分厚い分野なだけに、学界の反応がどういうものになるのか刮目して待ちたいところです。

もう一冊は、池享『戦国期の地域社会と権力』(吉川弘文館、2010年)。ありがとうございます。
近年発表された論考を中心にまとめられたもので、内容はタイトルの通り。最近では戦国期(あるいは中近世移行期)の地域社会(特に村落共同体)の理解を巡って議論が多く出されていますが、そこらへんへの議論に一石を投ずる一冊という位置づけになりそうです。私はこの方面への議論にはあまり立ち入っていませんが、勉強したいと思います。

475174190X日本中世社会成立史論 (歴史科学叢書)
守田 逸人
校倉書房 2010-04

by G-Tools
4642028889戦国期の地域社会と権力
池 享
吉川弘文館 2010-03

by G-Tools

2010.05.01

大波を乗り越えた

やっと4月が終わった…という感じ。
いやはや、猛烈に忙しかったです。
これからは、ブログを書く余裕も少しできそうです。

そんな中、先日大阪大学で行われた海域アジア史研究会でコメンテーターをさせていただきました。
しばらく不義理をしていて、東京に来てからは初めて出席したような…。
久しぶりに出て、私の研究の原点を改めて思い起こしました。私の話した内容にどれほど意義があったか心許ないのですが、私自身は多くを学ばせていただきました。海外の研究者の方と交流できたのも嬉しかったです。

しかしながら…、やっぱり語学力が貧困だと忸怩たる思いに駆られます(笑)。いかんともしがたいところなのですが。


授業の方もやっと軌道に乗って落ち着いてきました。でも、思った以上に進行が遅い。少し工夫をした方がよさそうだけど、どうしたものかなあ。この辺はまだしばらく試行錯誤を続けるしかないか。

さて、今月のテーマはずばり歴研大会。黒子役筆頭として、粗相のないよう準備を尽くしたいと思います。(とはいえ、なにかトラブルがあってもなるべく温かい目で見守っていただければありがたく…。)

それが終われば、やっと自分の研究に打ち込める余裕ができそう。今はそれだけが待ち遠しい。

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