記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 郡山の中世石造物(2) | トップページ | 『国史大辞典』のネット検索 »

2010.07.07

中世の蔵を考える

先週末、帝京大学山梨文化財研究所で行われた毎年恒例の「考古学と中世史シンポジウム」に今年も参加してきました。
といっても、今年も初日のみの日帰りでしたが…。終了後は電車の時間が押していたので、ろくにご挨拶もできずそそくさと退散しました。いろいろとお礼を申し上げたかった方々がおられたのですが。申し訳ありません。

さて、テーマは「中世人のたからもの―蔵があらわす権力と富―」。中世の人々の蓄財と、そのための施設である蔵の形態についての議論でした。日本史上で蔵が本格的に普及し始めるのはおそらく中世ですが、その時代的背景を、文献史料のみならず発掘成果や絵画資料からも検討しようというものでした。

私は考古学方面は素人なので、いわゆる「高屋」跡の遺構がそのまま蔵の遺構に繋がるものなのかどうかはよくわかりませんでしたが、そうだとして、領主の居館や寺院などでどこに蔵が建てられていたかがよくわかって興味深かったです。

私の関心に引きつけるならば、蔵にはなぜか銭があまり見られないという点が論点として提示されていました。なぜなのか私もよくわかりませんが、銭の備蓄をそれほど恒常的にしていたわけではなかった可能性が一番大きいのでしょうかね(わりと大きな領主も自転車操業だったり?)。

あとは、銭は重いので、大量の銭を蔵に置くと床が抜けてしまうからかも?なんてことも想像しましたが(笑)。一括埋納銭には、寺の本堂の床下に埋められていたものもあったかと思いますが、蔵のある所でも埋めていたと考えることができるならば、蔵に置けないなんらかの理由があったのではないか、という気もします。
まあ、本当にその程度で床が抜けるかどうかが問題ですが。

…とまあ、いろいろと想像を巡らしながら報告を拝聴していました。あと、院政期頃までは蔵が権威の指標となるものだったという視点の報告は興味深く、反響も大きかったようでした。私自身は、「王権」論には意識的に距離を置いているのですが、この方面の議論に一石を投じそうですね。

去年の報告をまとめた小野正敏・五味文彦・萩原三雄編『中世はどう変わったか』(考古学と中世史研究7、高志書院、2010年)を会費と引換で受領。近年研究が盛んな中近世移行期の都市がメインテーマ。この方面について私自身はからっきし不勉強なので(笑)、ゆっくり勉強させていただきます。

« 郡山の中世石造物(2) | トップページ | 『国史大辞典』のネット検索 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/48821723

この記事へのトラックバック一覧です: 中世の蔵を考える:

« 郡山の中世石造物(2) | トップページ | 『国史大辞典』のネット検索 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

Amazon

最近のトラックバック