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2010.09.18

白い銭

たまには自分の専門にまつわる小ネタをば。

先日届いた『出土銭貨』30号に、博多遺跡群から出土した銭貨について概説した大庭康時・大庭智子両氏による「博多遺跡群出土の中世銭貨―データベース作成のための悉皆調査から―」という論考が掲載されています。
その中に、出土した銭貨のうち「白い銭」が確認されているという記述があります。引用すると、「生地が白もしくは灰白色を呈する銭貨」であるとのことで、それは「銭貨の金属組成すなわち生地に含まれる鉛分とか、鉄分などを反映した結果」であろうと推定しています。

私は化学的なことは不勉強なのですが、白っぽくなるのはおそらく鉛が多いためではないかと思われますけれども、当時の福建では鉛銭が私鋳されていたようですので、それとの関連が推定されています。

そこで思い起こしたのが、以前の研究会で聞いた記憶のある、下記の史料。

「又曰、銭之来于日本、復帰于唐土也、其謂者、日本人出明之京、以赴途中、或乏食物受用等之物、故以精銭之耳白者、人々十貫文廿貫百貫文買彼土食物等也、」(『鹿苑日録』明応8年[1499]8月6日条・抜粋)

所々意味が取りづらい記事なのですが、ともあれ気になったのは、ここにある「精銭之耳白」とは何ぞや、という話。
これについては、永禄6年(1563)に成立したとされる『玉塵抄』に、「耳しろの金銭は多にあたってなんどみれどもせいせん(精銭)までぞ」とあるようで(『日本国語大辞典』参照)、それがどうやら「精銭」と認識されていたということは確かなようです。(この記事を知らなかったので、後日ちゃんと原史料に当たりたいと思います。)


後世、正徳4年(1714)に亀戸で鋳造された寛永通宝が「耳白銭」と呼ばれたことが知られています。ただしこれは耳(縁)が白いからではなく、耳が「広い」が訛って名が付いたとされているそうです(こちら参照)。つまり、縁の部分が太い銭貨を指し、縁が白い銭を指すものではない。なるほどこれなら精銭にされた可能性もあるかもと思ったものの、江戸訛りとの関係が推定されていることから、これと戦国期の「耳白」と同義とは考えにくそうです。

ということは、やはり「耳白」は耳が白い銭というストレートな意味でしょうか。
ところが、実際に発掘された白い銭は鉛分の多い比較的粗悪な銭ということですので、やはりこれまた「耳白」とは異なるモノであったということのように思えます(発掘されたモノは、縁だけではなく全体的に白っぽいように取れますし)。もちろん粗悪銭が精銭にならないとは言いきれないのですが、鉛の多い銭が精銭として用いられたとはさすがに考えにくい…。いや、白いからといって鉛が多いとは限らないのか…?
そもそも「精銭」と呼ばれ珍重される「耳白」という銭はどんなものだったと考えられるのでしょうか。何かお気づきの方がおられたら、是非ともご教示をいただければありがたいです。

ともかくも、文献史料と発掘された現物との照合が貨幣史の研究では長年の課題なわけですが、これもその一例ということになるでしょうかね。
論文になるようなネタではないのでここで触れましたが、「白い銭」については今後も少し気にしておきたいと思います。

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