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2010.11.12

【受贈】『笑雲入明記』(そして自説修正)

村井章介・須田牧子編『笑雲入明記―日本僧の見た明代中国』(東洋文庫798、平凡社、2010年)を、須田さんより受贈。ありがとうございます。

1451年から幕府によって明に派遣された僧侶である笑雲瑞訢([言斤])(しょううんずいきん)による旅行記。「允澎入唐記」の名で「史籍集覧」のシリーズに収録されていましたが、改めて宮内庁書陵部所蔵の「入唐記」を底本とし、諸本を検討して校訂をと注釈を加えたものです。
私もかつて史籍集覧から一部引用したことがあったのですが、「允澎入唐記」の名称は適切ではないとある方からご指摘を受けたところでした…(笑)。

注釈と、所々に挿入されている経由地の写真(白黒ではありますが)がすばらしいですね。可能であれば、この本を片手に実際に足跡を辿ってみたいものです。関連する参考史料も掲載されていて、中世後期の日明関係史における必読文献ということになりますね。

ところでかつて参照した時には気がつかなかったのですが、ぱらぱらとめくっていると興味深い記事が。

「太監出給価新銭三千万[宣徳分]」(1454年4月26日条)
→「太監、価の新銭三千万[宣徳分]を出給す。」(p.155)

とあり、宣徳通宝と明記されている点。これは『大乗院日記目録』享徳3年(1454)10月13日条の「宣徳銭到来」の記事を裏付けることがわかります。私も引用していたのですが、なぜか見落としたようです。

ただ、同年5月17日条には「阮太監、価の銭銅三千万を出給す。」(p.157)とあることにつき、その注では、「南京で貰った分は宣徳通宝であったと推測されるが、杭州府での支給分は宣徳通宝に限らなかったか」(p.163)とされています。
この点については、この時得た「新銭」が実は永楽通宝だったのではないかという指摘もあるので、その点が配慮されているのでしょうか。私はとりあえず『大乗院日記目録』の記述に従ってすべて宣徳銭と捉えましたが、今後議論のある所かもしれません。もっとも、ほかに史料があるかとなると微妙ですが…。


ちなみに私はかつて、同年6月5日条にも「三万貫」とあることから、合計9万貫文もらったかもしれないが評価は保留する旨記しました。本書では、この日の「三万貫」は上記の5月17日条の銭と同一と判断しています。そうであれば、この使節が得た銭は合計6万貫文となるわけですが、これも本書によると『明実録』と一致するとのことです。

これは私もかつて書いた文章で掲出した史料によるところでは、この使節に随行したと思われる貿易商の楠葉西忍が後年、「今度宝徳度ニモ、料足六万貫」と語っていることがわかります(『大乗院寺社雑事記』文明5年[1473]6月17日条)。上述の『明実録』の記述はうっかり見落としたのですが、この時得たのは「6万貫文」であることは確定したと言えますね。
私のかつて書いた文章では評価が曖昧だったのですが、この点を修正したいと思います(まあ、別途ちゃんとしかるべき形でそれを表明する必要があるわけですが、それはその機会が来たらということで)。


私の関心に沿って細かい話を並べましたが、当時の対外交渉の様子が活き活きと描かれた貴重な史料ですし、読み下しもしっかりしていて比較的読みやすくなっているので、興味のある方にはおすすめです。

4582807984笑雲入明記 日本僧の見た明代中国 (東洋文庫)
笑雲瑞キン著、村井 章介・須田 牧子編
平凡社 2010-10-21

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