桂川用水を歩く
桂川西岸地域は、中世に灌漑の用水路が整備され、形を変えつつも基本的には現在に受け継がれています。

左写真は、お馴染み嵐山の渡月橋。ただ、今回はこちらがメインではなく、渡月橋の上流側にある右写真の堰。桂川大堰と呼ばれており、これが桂川用水の基点です。
この灌漑で潤う桂川西岸地域は、中世では上桂・下桂の上流地域から、革島・久世などの下流にかけて11箇所の荘園からなり、「十一箇郷」と総称されていました。また、松尾社は用水の鎮守の役割を担っていたようです。
そのうち今回歩いたのは上桂の地域です。上桂荘は中世には七条院領の荘園になり、宇多院を経て東寺に寄進されました。室町期の代表的な東寺領荘園の一つとして知られています。
ちなみに一方の下桂荘は長講堂領の荘園で、一部は近衛家領にもなっていました。日野家が領家として管轄していたそうです。こちらは史料が少ないのでよくわからないようですが。

桂川大堰から分かれた水は、この一ノ井堰から取水され、用水へ水が流れていきます。中世の取水口はここではなく、もう少し下流だったとも言われているそうですが。
ここから阪急上桂駅に向かって、用水沿いに歩きました。ただ、時期的に水を流す時期ではなかったので、いくつかの取水施設を見たものの見応えがなかったので写真を撮らず(水が流れていないと、ゴミが溜まっていたりするので…(笑))。こちらを参照。

左写真は、用水の分岐点。確か右が上桂荘方面、左が下桂荘方面だったかな。
右写真は、上桂の鎮守の御霊神社です。
これまでの研究によって中世の用水がかなり正確に復元されていることで知られています。実際に歩いてみて、現況との異同について明確にわかるわけではありませんが、今もそこそこ田んぼが残っていて、多少なりとも想像力をかき立てられます。
ただし、用水そのものは伊勢湾台風によって大きな被害を受けたそうで、その後再整備された過程でだいぶ変わったと言われています。
私は上桂荘の研究にはあまり詳しくなく、史料もじっくり読んだことはないんですが、今後史料を読むことがあれば、実見した風景を想像しながら考えてみたいと思います。まあ、もしそうなればもっとじっくり見学し直す必要がありそうですが…。
■京都市西京区
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