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2011年3月

2011.03.31

「享徳の大津波」の可能性

震災前にあった以下の記事が話題になっているようです。

「室町時代、東北から関東の太平洋岸を巨大津波が襲った可能性があることが、産業技術総合研究所の調査で分かった。東北地方南部沖で起きたマグニチュード(M)8級の地震による津波らしい。この地域は9世紀にも国内最大級の津波の痕跡が確認されており、数百年間隔で巨大地震による津波が繰り返されている可能性がありそうだ。 」(http://www.asahi.com/science/update/1106/TKY201011060338.htmlより)

今回の大地震と大津波については、比較的記事が多く遺されている貞観11年(869)の地震と比較されており(こちらで詳しく解説されています)、それ以来の「千年に一度」の地震と報道されています。政府や東京電力も、“逃げ”(=「想定外」)の根拠として、ことさらに「千年」を強調しているきらいもありますが…。

ところが上記記事によると、貞観地震や今回の地震に近い規模の地震と津波が室町期の東北(陸奥)で起こっていた可能性の高いことが既に指摘されていました。記事によると、中でも14世紀の可能性が高いと見ている様子が窺えます。


そこで関係する記事があるかを「地震・噴火史料データベース」で探ってみました。そうすると、享徳3年(1454)11月23日の記事で、以下のような内容のものが見つかりました。

「夜半ニ天地震動、奥州ニ津波入テ、山ノ奥百里入テ、カヘリニ人多取ル、」(「王代記」、『山梨県史』資料編6所収)

このほか、「新撰和漢合図」などの史料からも、この日に大地震のあったことが窺えました。

この「王代記」は甲斐で書かれた年代記で、有名な「勝山記」との関連もある史料です。そういうわけで、言ってみれば二次史料ではあるのですが、陸奥を大津波が襲ったという記事に目を引きました。
もちろんこれだけでは、この時に本当に陸奥で大地震と大津波が発生したことや、先の記事にあるような津波の痕跡はこの地震のもたらしたものと断定することはできません(調査データと突き合わせて、15世紀半ばと解釈することが可能なのかはわからない)。ほかに関連史料が見つかればいいのですが、それもなかなか難しいでしょうね。ただ、甲斐でも揺れた地震が陸奥で津波を発生させたとなれば、今回の大津波に匹敵すると考えられるかもしれません。

ともあれ室町期に大津波のあったこと自体は調査によって明らかになっているので、少なくとも関係者が逃げ口上とする「千年に一度」というのは正しくないのではないかと思います。仮に1454年に同規模の地震があったとすれば、その半分の500~600年に一度は大地震と大津波が東北地方を襲うと考えるべきと言えそうです。

“想定”を超えて災害が拡大してしまったことは残念ですが、復興が果たされた後は、今回の経験が今後の防災対策に必ず活かされることになるよう切に願います。そして、手前味噌ですが、より歴史に学んでもらいたいとも思いますね。

2011.03.30

八王子城跡(1)

Hachiojijo_2今月のはじめに八王子城跡へ行ってきました。二回目ですが、かなり久しぶりで前回は写真を撮らなかったので、今回はほぼ撮影目的です。

永禄12年(1569)に武田晴信(信玄)に滝山城を攻撃された北条氏照が、さらに強固な城郭を求めて築城しました。築城した時期ははっきりしていませんが、1570年代前半であることはほぼ確実です。
城を築いた山は元々修験の道場だったようで(高尾山とも関係しているのでしょうか)、山上には八王子権現が祀られていることから八王子城の名が付きました。現在の八王子市街は元は横山と呼ばれた地で、それと区別するために本来の八王子城下は現在では元八王子と呼ばれています。

各地に支城を構えて関東を支配した後北条氏ですが、中でもこの八王子城は甲斐方面からの攻撃を守る要衝としての位置を占めていました。それゆえかなり広大な縄張りを形成していたようです。

ただ、その終焉はあっけないものでした。城主の北条氏照が小田原に籠もるさなかの天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉配下の前田利家・上杉景勝を中心とした軍勢の猛攻を受け、わずか一日で落城しました。後北条氏側にとってのこの衝撃は甚大であり、士気の低下を招いて小田原開城へと向かっていくことになりました。八王子城は、後北条氏滅亡後に関東に入った徳川家康によって廃城となりました。

Hachiojijo_7Hachiojijo_8城がお好きな方には有名な城で、私があえて説明するのも憚られますが(笑)、一応簡単に。
城は大きく山上部分と麓部分と分かれます。まずは麓の遺構から。
まず見えるのが、左写真の堀切。藪になっていてわかりづらいですが…。向かって左側には「アシダ曲輪」と呼ばれる広い曲輪があります(右写真)。

Hachiojijo_10Hachiojijo_13さらに進むと、左写真のような堀切が見えます。この道は大手とされています。
右写真は、その道の入口にあたる大手門跡とされる場所。わかりづらいですが…、城の内側から見ています。左に道が曲がっているのがわかるでしょうか。現地看板によると、「薬医門」と呼ばれる形状だったとのことです。

Hachiojijo_14Hachiojijo_19左写真が大手道。右を見ると、下の方に曲輪らしきものが見えます。
どんどん進むと見えるのが、右写真の景色。ここはわりと有名なスポットですね。多くは復元されたものですが、当時の様子をなるべく忠実に再現したもののようです。

Hachiojijo_23Hachiojijo_27橋を渡ると見えるのが左写真の場所。
そしてそこを登ると、右写真の御主殿跡。近世初頭の絵図にも既に北条氏照の御殿跡と記されていることから、普段の城主の居館跡だったことがわかります。
広大な敷地の周囲を、石垣と土塁で囲っています。過去に何度か発掘されており、大規模な建物遺構が確認されているそうです。

普通の人はたいていここで引き返すんですが(笑)、当然のごとくここから山登りが始まります。…それは次回に。
一時は心霊スポットとして有名だったんですが、今ではブームを受けてか城そのものを見に来る人が増えた印象でした。

■東京都八王子市

2011.03.27

幸せな三年間の終わり

地震から半月が過ぎました。種々の研究会等が中止や延期をするなど、被災地ではないとはいえなかなか日常を取り戻すことはできません。ただ、少しずつ落ち着きつつあります。

先日は、出身ゼミで行われている毎年恒例のイベント(学芸大学との合同ゼミ)が、開催が危ぶまれながらも決行されました。こういう状況ですが、被災者ではない私たちはまずは落ち着いて日々できることをやろうといったところでしょうか。少しですが、本分たる研究について集中して考える時間を取り戻すことができました。


昨日は延期されていた歴研大会の準備報告に出席(遅刻しましたが…)。今のところ歴研大会は予定通り行われるようですが、事務所が被害を受けるなどなかなか大変な状況のようです。毎年4月に行われる東歴研大会は準備できる状況にないとのことで、延期になったそうです。

研究環境の混乱などは、被災地の方々とは比べるべくもないほど小さな問題ですが、少しずつ着実に日常を取り戻していくしかないですね。まもなく新年度を迎えます。関東でも多くの大学が新学期の開始を延期するようですが、私は普段通り、新年度を機に環境を変えて自分の仕事を続けたいと思います。


こういうことがあったからというわけでもありませんが、この3年間は今となっては夢のようです。研究する時間が膨大に保証されるという環境がいかに恵まれていたか。悲しい性ですが、失って初めてその大きさに気づかされます。後悔してもしきれませんが、前を向くしかないですね。

2011.03.23

【受贈】『鎌倉幕府の滅亡』

細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(歴史文化ライブラリー316、吉川弘文館、2011年)受贈。ありがとうございます。

本書は、著者にとって卒論以来取り組まれた課題の結論を提示する内容とのことです。これまで膨大な実証研究を積み重ねてこられているわけですが、すべて本書を書くための作業だったと述べられています。学問に取り組まれて以来のこの首尾一貫した姿勢については、敬意を表したいと思います。翻って私はといえばコロコロと関心を変えてきただけに、余計恥ずかしさが募りました。

古くて新しい、「鎌倉幕府はなぜ滅んだのか」という課題。従来の学説を丹念かつわかりやすく解説しつつ、鎌倉幕府の成立から滅亡に至るまでの経緯が丁寧に述べられた上で、その課題に迫った一冊です。本書ではどのような結論が提示されているのか…は読んでのお楽しみということで。

一般的に、ある権力体(政治体制)を論じる場合、基本的には成立過程とそれによって形成した権力構造について論じるのがセオリーだと思うのですが、鎌倉幕府についてはその権力体が崩壊した理由から権力構造について探るという研究がこれまで蓄積されてきました。この辺が結構特殊というか、独特な研究史を持っていて面白いところです。
「滅び」から構造を探るモデルケースとして、本書の登場によって今後も新たな議論が展開することを期待します。

4642057161鎌倉幕府の滅亡 (歴史文化ライブラリー)
細川 重男
吉川弘文館 2011-02

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2011.03.18

被災史料の把握・保存活動に関するお願い

標記につき、以下3件のお願いを転記いたします。
既に御覧になった方も多いと思いますが、ご了承ください。

(1)歴史資料ネットワークより

東北地方太平洋沖地震(東北・関東大震災)による被災歴史資料保全活動への支援募金のお願い
歴史資料ネットワーク

去る3 月11 日の東北地方太平洋沖地震(東北・関東大震災)とそれにともなう津波により、岩手・宮城・福島・茨城など多くの地域で甚大な被害が発生しました。不自由な 生活を余儀なくされている被災者の皆様にお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

歴史資料ネットワークでは現在、各方面と連絡をとりつつ、被災地の状況の情報収集に努めております。しかしながら、今回の地震の被災の規模は甚大かつ広範囲にわたるものであり、今後、長期にわたる活動が必要とされることが予想されます。

さらに今後、被災地に存在する宮城歴史資料保全ネットワーク、ふくしま歴史資料保存ネットワーク、山形文化財保存ネットワーク、新潟歴史資料救済ネットワーク、千葉県文化財救済ネットワークなどを中心とした歴史資料・文化財の救済・保全活動が開始された際、多くの時間と資金が必要となることも考えられます。

これまでも大規模な災害が起きるとそれを契機に家や蔵、公民館や集会所などに古くから保管されていた歴史資料が盗難にあったり、被災地の混乱の中で売られたり、捨てられたりすることが多く、それにより、家族や地域の大切な記憶が失われてしまうということが起こっています。
地域における歴史資料の流出・滅失を防ぐために、各方面と連携をとりつつ、すぐにでも歴史資料救出・保全活動を開始する必要があります。また、被災地の史料(資料)ネットの活動再開に備えて、その活動をバックアップする体制を整えておく必要があります。
皆様には被災した地域の歴史資料の救出・保全活動の必要性について是非ともご理解を賜り、現地の歴史資料保全救済活動を支えるための募金をおよせいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震(東北・関東大震災)による被災歴史資料保全活動支援募金
* (郵便振替)口座番号:00930-1-53945
* 加入者名:歴史資料ネットワーク

本件に関する連絡先:
〒657-8501 神戸市灘区六甲台町1-1 神戸大学文学部内歴史資料ネットワーク
電話&FAX:078-803-5565(平日の13 時から17 時まで)
URL:http://blogs.yahoo.co.jp/siryo_net
e-mail: s-net◆lit.kobe-u.ac.jp(◆は半角アットマーク)


(2)宮城史料ネットより

東北大学にあった宮城資料ネットは、自らが重大な被災者であるにもかかわらず、被災資料の保全に向けて動き始めました。
そこで、お願いです。
被災地域の文化財(指定・未指定問わず)の被災状況をご存知であれば、どんな些細なことでも構いませんので、情報提供をお願いいたします。
媒体(文書以外でも可)、種別(旧家の被災状況など地区全体の情報でも可)、時代(縄文時代でも現代でも可)を問いません。
教育委員会文化財課がある役場の状況や市史・町史編纂室の状況、地域資料を保存しているあらゆる施設の状況も求めています。
また、東北地方だけでなく、北関東など被災した地方の情報なら何でも構いません。
どうか、ご協力をお願いいたします。
なお、お知り合いの方々にも広くお知らせいただければ幸いです。

宮城史料ネット事務局
office◆miyagi-shiryounet.org(◆は半角アットマーク)


(3)新潟歴史資料救済ネットワークより

歴史資料救済活動支援募金のお願い
新潟歴史資料救済ネットワーク

今回の東北地方太平洋沖地震、およびこれにつらなる一連の地震・津波等の自然災害で、被災された方々に対し心からお見舞い申し上げます。また各方面で救援・復興に取り組んでおられるすべての方々に、深く敬意を表します。

わたしたち新潟歴史資料救済ネットワークでは、今次の大災害に際しても、これにともなう貴重な歴史資料の滅失を、最小限にとどめたいと考え、現在情報収集・活動準備を進めております。新潟県内の被災地は未だ大量の積雪を抱え、また、近隣県の被災地はその規模が甚大で、今後息の長い活動が不可欠と考えております。

そうした長期にわたる活動の財政的支えとして、とりわけ甚大な被害を被った近隣県の宮城歴史資料保全ネットワーク、ふくしま歴史資料保存ネットワークなどの組織の活動を支援していくためにも、募金をお願い申し上げる次第です。

地域の記憶である歴史資料の救済に是非とも力をお貸しいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

ゆうちょ銀行振替口座
口座番号  00570-6-57529
加入者名 新潟歴史資料救済ネットワーク

2011.03.17

引越無事終了

特にトラブルもなく(業者が来るのが少し遅かったですが)、無事終了。
とりあえずネット環境も構築しました。

明日から整理作業が待っていますが、毎日のように地震が続くので、当面不要の本を出すのは待った方がいいかもしれませんね。

2011.03.16

引越前夜

あれから5日経ちましたが、落ち着くどころか次々と深刻なニュースが流れていて気が滅入りますね。
google earthで被災後の航空写真が出ていたので、かつて泊まった気仙沼の宿を調べてみたら…。胸が潰れる思いです。


在宅中はほとんどテレビに釘付けになってしまいましたが、ぼちぼちと引越の準備を進め、なんとか間に合うめどが立ちました。
そういうわけで、明日(もう今日ですが)ついに引越当日を迎えます。一応予定通り実行されることになりましたが、道路事情を考えると大きな不安も。転居先にトラックが深夜に現れたらどうしようかと戦々恐々としております。
回線工事も遅れるかもしれないとのことで、しばらくネットにアクセスできなくなるかもしれません。この状況では仕方のないことですね。


…そんなことは今の事態を考えればごくごくちっぽけな話ですが。被災地にお住まいの知人について、ほとんどの方はご無事との情報がありましたが、まだ連絡が取れない方もおられるようなので心配です。



それにしても、先日の某都知事の暴言は許し難い。氏のこれまでの言動からすれば、その範囲内の内容とも言える。しかしいざ東京が災害に見舞われた時、陣頭指揮を執って市民の生命と財産を守らねばならない人物がああいう言辞を言い放つことがどういうことかを考えた時、撤回して済むような失言のレベルを超えている。
私はもう都民ではなくなるけど、東京都の施政が大きく影響する地域に住み続けることになるので、都民のみなさんにはよくよく熟慮していただきたい、と思う。今回の一件は、ああいう人物をトップに抱いた都民が世界中に大恥を晒してしまったとも言える。

2011.03.12

歴史的大地震

被害に遭われたみなさまにお見舞い申し上げます。

私自身は無事で過ごしております。
少しでもお役に立つならば、このブログのコメント欄を連絡手段としてご自由にお使いください。
(左にリンクのある掲示板は、現在のところ繋がりません。)
↑掲示板にもアクセスできるようになりました。こちらもどうぞご活用ください。

なお、今日予定していた歴研の中世史部会例会は延期になりました。

2011.03.09

【受贈】『中世日朝関係と大内氏』

須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)受贈。ありがとうございます。

一貫して書名のテーマで研究を続けてこられ、このたび一冊にまとめられました。中世後期の対外関係は、どちらかといえば日明関係に注目が集まりがちですが、日朝関係の研究も着実に進められています。その最新成果と言えるでしょう。

対外関係史研究は分厚い蓄積があってなかなか新しい視点を見いだしにくいなか、本書では大内氏の先祖観形成の背景を詳細に分析した論考が面目躍如ですね。
そして近年では、単に諸外国との交渉過程のみならず、それらの様相と日本における国家論との相互関係が論じられるようになってきました。本書もその中に位置付く内容を持っています。周知の通り大内氏は守護だったわけですが、同氏の場合は領国が「外縁」的なこともあってか、権力の形成過程が独特だったため、「室町幕府―守護体制」論とどのように関わるのかが議論の中心となっています。本書は、対外関係(外交)の視点からこの論点に切り込んでいる点で特徴的です。今後新たな議論を喚起することを期待したいところです。

表紙には「通信符」の写真がデザインされていて、お洒落ですね。こういう表紙を見ると、私の場合は画一的な表紙だっただけに、ちょっと羨ましくなります(笑)。

4130262270中世日朝関係と大内氏
須田 牧子
東京大学出版会 2011-03-01

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2011.03.05

関東三箇所目の街へ

突然ですが、6年ちょっと住んだ現在の家から今月引っ越すことになり、ぼちぼちと本を詰めています。

どれくらいダンボールが必要になるか戦々恐々としていたけど、20箱詰めた時点で結構減ってきました。やや安堵。

実際に住むようになる前から通っていたこともあり、今住んでいる街(まあ今更伏せる必要もないのですが(笑))にだいぶ長く関わっていたのでそれなりに愛着もあるのですが、街の規模自体は小さい方なので、正直言ってあまり便利とは言えない街だった。とはいえ離れるとなると感慨もひとしおです。

今度は都心を挟んで反対側に住むことになりますが(つまり、また東へ移動する)、一転して街の規模は大きい。便利ではあるけど、環境とか治安とかはどうなのかという不安も少々。まあそんなことは気にしても仕方がないけど。

ただ、海に近くなるので冬はだいぶ暖かそう。今の所は、冬場はほんとに底冷えするからなあ。今年の冬はとりわけきつかったです(笑)。

そんなこんなで、現在は研究中断中。今月はもうほとんど無理だろうなあと諦めています。仕方がない。

2011.03.02

指導教官の最終講義

Matsuyama_1Matsuyama_2先週末は2年ぶりに松山へ。こう考えると、結構松山に行ってるな…。今回は、学部時代にお世話になった二人の先生が定年になられるので、その最終講義に出席するために行きました。

前日入りしたので久しぶりに城にでも登るか…と思い麓を歩いていると、左写真のようなものが。こんなの作ったのか…。場所もモデルも地味というか。地元でもあまり有名とは思えない、加藤嘉明の騎馬像。松山城を築城した人なわけですが。
歩いて登ったら、結構疲れました。明らかに体力が衰えたなあ。右写真が天守閣。もう閉まっていたので中には入りませんでした。


さて、メインの最終講義。古代史の松原弘宣先生と、織豊・近世史で指導教官だった内田九州男先生の最終講義二本立て。

松原先生は、これまでの研究についてのお話。正直言って学部時代の講義はあまりまじめに聞いていなかったのですが、改めて拝聴するととても面白かったです。
古代史にしては珍しく海上交通をテーマに研究してこられましたが、その背景に、石母田正氏の国家論への関心や疑問があったとの説明は、とても印象深かったです。交通・流通となると私は経済的側面ばかり考えていたわけですが、虚を突かれた気分。課題として中世への展開について述べておられましたが、なかなか興味深いテーマだと感じました。私はたぶんやれないけど…。
また、若い頃からそのテーマで一貫して研究を続けて来られていたとのこと。私なぞはコロコロ関心が変わるのですが、やはりそれではいけませんねえ…。いつものごとく、反省ばかりが頭に浮かびながら拝聴していました。

一方内田先生は、近年取り組んでおられる遍路の研究のなかから、その装束に関する考察についての講義でした。自分史ではなく、あくまで現在の問題関心を提供するというスタンスが先生らしく印象的。現在の遍路で常識的な、全身真っ白な装束は意外と歴史が浅く、1950年前後に定着したのではないかとのこと。多くの絵図などを元に読み解かれる内容で、こちらも面白かったです。
遍路研究は大学でプロジェクトとして取り組んでいるようなので、今後もそちらで携わられることを期待したいところです。

講義終了後はパーティから2次会へ。こちらは松山へ行けば毎度のように、ゼミの仲間と飲んで喋りと。近況報告もそこそこに、いつも当時を懐かしむ話が多くなるのですが、私を含めて、それだけ当時に対する思い出が皆強く残っているのも確か。この経験が今の私を支えていると言っても過言ではありません。
今後はどれだけの頻度で松山に行けるか、またゼミの仲間に会えるかはわかりませんが、可能な限り機会を見付けてまた会いたいと思っています。

ともあれこれで、私と学部の母校との関係も一区切りとなりそうです。寂しいことですが、時の流れは仕方のないことですね。もちろん、それを補って余りあるこれからの新しい出会いを楽しみにしたいものです。

両先生、長らくおつかれさまでした。

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