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2011年4月

2011.04.30

浅草寺・伝法院

Asakusa_20Asakusa_21半月ほど前ですが、浅草の伝法院が特別公開をしているということで、行ってきました。小堀遠州の作と伝えられる庭園が見所ですが、境内には中世の石造物もあるので、個人的にはそちらがメインでした。

写真はその庭園で、見える建物は明治初期築の大書院。角度を変えると五重塔やスカイツリーが見えます。

伝法院(でんぼういん)は、現在では浅草寺の本坊となっています。かつては観音院などという名称だったそうですが、元禄年間頃に伝法院という名で定着しました。浅草寺の参道に「伝法院通り」のあることから名前はよく知られていると思うのですが、境内については普段は非公開となっています。

Asakusa_2Asakusa_3今回は展示施設で寺宝も見学。近世の珍しい絵馬とともに、中世の板碑や梵鐘も展示されていました。なんでも板碑は浅草寺境内で相当数発掘されているそうです。すべて関東型のもののようでした。

展示施設を抜けると、写真のような石造物が目に入ります。左写真は、伝法院の中興とされる人(すみません、名前は失念しました)の宝篋印塔。17世紀前半頃のものでしょうか。右写真は、その横にある中世の板碑…を壁に貼り付けたもの(笑)。裏側にもあるそうです。立入禁止のため近寄れないので、写真もこれが限界でした。

Asakusa_9Asakusa_30こちらの左写真は庭園にある宝塔ですが、その下に中世の石造物の残骸と思われるものがあります。これも発掘によって見つかったもので、とりあえずこのように置いてあるとか。

そして右写真手前の宝篋印塔(というには組み合わせが変ですが)は、応永32年(1425)の銘を確認できました。後世に灯籠として利用されたようで、中がくり抜かれています。奥のものは近世だと思いますが、古そうには見えました。

Asakusa_39Asakusa_45ついでに浅草寺も散策。左写真は室町期のものと思われる六地蔵石幢。元は雷門の東側にあったそうですが、移転を重ねて現在地に移されました。今は本堂の向かって左側の影向堂の前にあります。
右写真は、同じく影向堂の近くにある板碑。西仏という人が願主であることが確認されており、「西仏板碑」と呼ばれています。年代は不明ですが、鎌倉末から室町初期のものと推定されています。高さは2メートルを超える大型板碑です。寛保2年(1742)に風雨に遭い折れてしまったそうですが、文化11年(1814)に今の形に補修されたとのことです。

Asakusa_50Asakusa_61左写真は、これも本堂左側にある石橋(重要美術品)。元和4年(1618)築。浅草寺境内に建立された東照宮の神橋として建造されたもので、当時和歌山藩主だった浅野長晟(ながあきら)の寄進によります。

右写真は、浅草神社の右側にある二天門(重要文化財)。慶安2年(1649)の築。位置的にも浅草寺の東門にあたりますが、東照宮の随身門として扱われたようで、元々は随身像が置かれていました。明治の神仏分離令によって持国天・増長天像が置かれ、戦後に寛永寺の塔頭から二天像が移されて今に至っています。
最近補修したようで、古いものとは思えないほどきれいな門になっていました。

このほか近世の者を中心に多くの文化財があり、さすが浅草寺といったところでした。今回の記事では以前掲載したものは割愛しましたが、個人的には本堂や雷門にはあまり興味がないので(笑)写真を撮りませんでした。

※画像処理ソフトの手違いで、普段より画像が大きくなりました。ご了承ください。

■東京都台東区

2011.04.24

八王子城跡(3)

Hachiojijo_72Hachiojijo_74尾根筋の道を下りて行きます。

左写真は、「高丸」と呼ばれる曲輪。…といってもかなり小さい。物見でもする場所だったのでしょうか。その奥には堀切もあるかな?という雰囲気でしたが、立入禁止なので諦める。
右写真は、道端にあった石積み。当時の石垣? それとも後世のものでしょうか?

Hachiojijo_87Hachiojijo_89さらに下ると、少し広い場所に。こちらは「金子丸」と呼ばれる曲輪で、金子家重という人が守っていたとされていることから名が付きました。
その下には、右写真のような花見スポットが。私が行った時は梅が咲いていました。桜の木もあるようです。

Hachiojijo_92金子丸からは、このように段状の曲輪があります。ここらへんは山城らしい景観ですね。
こうして、麓まで下りてきました。

Hachiojijo_107Hachiojijo_110こちらは、麓にある北条氏照と家臣の墓。現地看板によると、百回忌の際に建立したものだそうです。背後には、右写真のような墓石がありました。近世のものだと思いますが、結構古いものもありそう?

Hachiojijo_112Hachiojijo_114こちらは宗関寺。北条氏照の菩提寺とされています。梵鐘は17世紀末のものです。

Hachiojimokeiこちらは現地にあった八王子城の模型。周辺の山も縄張りにしていたらしく、遺構も見つかっているそうです。ただ、この辺りの調査はまだこれからという段階だとか。

■東京都八王子市

2011.04.19

【受贈】『織豊期王権論』

堀新『織豊期王権論』(校倉書房、2011年)受贈。ありがとうございます。

本書はまさにタイトル通りの内容で、これまで一貫して取り組まれた、織豊期における権力を正面から論じたものです。
とりわけ研究史的にも注目され続けてきた公武関係について、研究史への鋭い批判をもとに独自の見解を打ち出しておられます。そのキーワードが「公武結合王権」であることについては、既によく知られていることと思います。本書はおおむね「公武結合王権」論を構成する既発表論文からなっていますが、整理され一冊の論集となったことにより、より一層論旨が明確になったのではないでしょうか。
ただし、ご本人も認めておられる通り、「織豊期」とはいえ内容はほぼ織田政権期を対象としています。豊臣政権期に関する詳述は今後展開されるものと期待しております。

さて、本書でも指摘されている通り、特に中世史では「王権」という用語の使用については拒否感が強いといわれます(実際に私も積極的に使おうとは思いません)。それについて本書の立場は、王権論は「「天皇論」と同一ではない。史料上の「王」=天皇を政治史に組み込み、なおかつそれを律令制以来の「国制」や「伝統」などによって過大評価することなく、当時の人々の意識や歴史認識にもとづいた権力構造を解明したいという問題関心からのものである」(p.47-48)としています。そのため夢譚なども駆使しながら、武家政権と天皇との関係について、単なる対立・協調の二者択一的な議論とは一線を画する形で分析が進められています。

本書のまったくの新稿は序論と終章(と「あとがき」)のみのようですが、とりわけ序論は圧巻。戦前のものから当該期の研究がわかりやすく整理され、問題点を炙り出しています。織豊期を対象とした研究史に限定されてはいますが、まさに天皇をめぐる史学史全体の諸問題がほとんど織り込まれており、大いに参考になりました。織豊期を専門とはしない方にも是非一読してもらいたいところです。

専門書ということもあり、内容が高度であるばかりか値段も張るのですが、人気が冷めやらないこの時代に関する研究の到達点として、専門家のみならず一般の方にも是非読破にチャレンジしてもらいたい一冊です。きっと、人口に膾炙する織田信長のイメージがいかに虚構に満ちているかがよくわかるのではないかと思います(笑)。

4751742906織豊期王権論 (歴史科学叢書)
堀 新
校倉書房 2011-03

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2011.04.16

授業一巡

今学期の授業が一巡。といってもまだ初回なので、ガイダンスとちょっとした導入話をしただけ。本格的な授業はいよいよ来週からといったところで、気が引き締まる。

とはいえ…、やはり当面は準備に追われることになりそう。最近の流行?を受けてパワーポイントをなるべく活用しようと画策するも、やはりレイアウトは結構センスが問われますね。慣れていないとかえって内容が伝わりにくいような気がして、結局は紙のレジュメの方がいいかなと思ったりも。ただ、画像を見せた方がいい場合もあるので、そういった場面で少しずつ活用したい。

できるかどうかはわからないけど、教室でネットに接続できると便利なんだけどなあ。特に地図を見せて話をしたいと思うことが多いけど、事前に準備するのは大変なので…。


ともあれこんな状態で7月まで行ってしまいそうです。これから波のように押し寄せる締切を凌げるのだろうか…?
いや、もちろんやらねばならぬのですが。

2011.04.10

八王子城跡(2)

Hachiojijo_36Hachiojijo_38さて、御主殿跡の奥にある小さな登山道から上を目指します。パンフレットには道として記されていないのですが、ちゃんと道になっています。

登ってしばらくすると、写真のような石垣があります。このような石垣の遺構が四段にわたってあり、当時のものと判断してよいようです。

Hachiojijo_40ここからがかなり険しい登山道。かなりきつい思いをしながら登ると、写真のような近代の慰霊碑のある所に到達します。一応ここも少しだけ削平されており、曲輪だった可能性も指摘されているようです。でも、慰霊碑建てる時に造ったのではないかという気も?

Hachiojijo_43ここでいくつか分岐する道もありますが、麓のガイドさんに聞いた通り、まっすぐ上を目指します。かなり道はきついです。何度か小休止しながら、なんとか登り切ると写真の所に出ます。「小宮曲輪」と呼ばれる場所で、狩野一庵という人が守っていた場所と伝わっています。見える建物は休憩所。

Hachiojijo_44Hachiojijo_45そしてその上にあるのが八王子神社。城の名称の元になった神社ですね。ここも曲輪のようになっています。

Hachiojijo_48八王子神社周辺はこんな感じ。本丸からはまだ少し下の地点なのですが、いくつかのやや広い曲輪が連なっています。自然地形を利用したのか、手を加えて平らにしたのかはわかりませんが。

Hachiojijo_51Hachiojijo_52そしてこちらが「松木曲輪」。中山家範という人が守っていたと伝わっています。ここは展望台スペースになっていて、ハイカーの方が何人か休憩しておられました。近代に建てられた石碑もあります。

Hachiojijo_60Hachiojijo_61そしてさらにもう少し登ると、やっと本丸に辿り着きます。ハイカーの人でも、ここまで来る人はまずいません。城全体の規模に比べるとかなり小さい曲輪で、本丸とはいえ実質的には物見台のような場所だったのかなという感じでした。ここに来ると達成感がわきますね(笑)。
ここは横地吉信という人が守っていたそうです。本丸にある建物は「横地社」と呼ばれる社で、横地吉信を祀っています。彼は落城時に奥多摩へ落ち延びたそうで、元々は奥多摩に社もあったのですが、ダムで湖底に沈むことになったことからここに移されたそうです。

さて、ここからさらに奥には詰めの城があり、そちらの方には堀切などもあるのですが、今回は体力的に無理と判断して断念しました。まあまた来る機会があれば、比較的楽な登山道(今回は下りた道)から登ることにして、体力を温存しながら奥を目指したいと思います。

Hachiojijo_71というわけで、今回はここから尾根伝いに下りて行きます(本来の登山道)。「小宮曲輪」から少し下りると、写真のようなビュースポットがあります。方角は八王子市街の見えるやや北東の方向。真ん中辺りにぽつんと黒くて高いビルがありますが、これは最近JR八王子駅に出来たビルです。位置関係がわかりやすくなりました。

この続きは次回に。

■東京都八王子市

2011.04.08

【受贈】『中近世伊勢神宮地域の貨幣と商業組織』

千枝大志『中近世伊勢神宮地域の貨幣と商業組織』(岩田書院、2011年)受贈。ありがとうございます。

題名の通り、主に中近世移行期の伊勢における貨幣流通秩序についての論文と、同じく当地における商業や商人の論文からなる論文集です。
伊勢神宮の関連史料は膨大でなかなか手を出しづらいのですが、それらの史料を渉猟され、丁寧に実証を積み重ねた内容となっています。率直に言って私は伊勢については膨大な史料を前にして怖じ気づいたまま今まで来てしまったので、本書のような形で成果をまとめられたことは個人的にも非常にありがたいことです。

古くから、伊勢は東西の流通の結節点として注目され、研究が蓄積されてきました。しかし、伊勢に限らず、中世の流通や商業についてはこのところやや下火になってしまったというか、注目が薄れてしまった感がします。まあこの辺にはいろいろと理由があるんでしょうけれども、決してやることが無くなったわけではなく、むしろまだまだ実証的作業を進めてゆかねばならない段階にあるとも言えるでしょう。本書の登場によって、さらにこの分野が活性化されることを期待したいところです。

これまでの研究では中世と近世の間で研究の「断絶」が否めないことや、金融に関する議論があまり多くはない点を問題視し、その課題にも迫っています。前者の問題については私自身の問題であることを常々自覚しておりまして…、改めてその課題に取り組んでいかねばならないと再認識しました。

千枝さんは私と同世代ですが、高木久史さんも最近著書を出され、貨幣史を志す同世代の著書が出揃ったといった感慨を抱いております。私の拙いものはともかく(笑)、後進の方々によって比較検討が進み、貨幣史研究が新たな展開を迎える時代が来ることを願っています。…とはいえ、私もまだまだ研究をやめるわけではありませんが(笑)。

4872946731中近世伊勢神宮地域の貨幣と商業組織
千枝 大志
岩田書院 2011-04

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2011.04.07

新体験の一週間

着任して一週間。すべてが新しいことばかりで、付いていくのが精一杯です。
まあ、校務だけじゃなくて研究会などもなんとか行ったりしていますが…。

いよいよ来週からは授業が始まります。どんな学生が来るのか。楽しみでもあり、不安でもあり。

この週末は特に予定もないので、ちょっとのんびりしたいと思います。
当面は原稿の締切が立て続けに来るので、研究への復帰は夏になるかもしれませんねえ。ま、ぼちぼちやります。

2011.04.01

思いを新たに

以下の内容はエイプリルフールではありません(笑)。

本日より、とある大学に専任教員として着任することになりました。どの大学かについては、別段隠す必要もないのですが、このブログではひとまず名前を出すのをやめておきます。まあちょっと調べればすぐにわかりますので…。

これまで多くの方々から得た薫陶を少しでも後進の若者たちに伝えていくことができればと思います。また、今までのようなお気楽な生活というわけにはいかないので、どれほど研究会に足を運べるかはわからないのですが、できる限り研究の方も疎かにしないよう気をつけたいと思います。

いい年こいて、実質的に社会人一年生です。これから数知れぬほどの世間知らずぶりを振りまいて周囲に迷惑をかけるのではないかと恐れているのですが、少しずつ成長していきたいと思います。中年と言われるトシになって今頃「成長」などと抱負を述べるのはお恥ずかしい限りなのですが。

周囲でも、今日から新たな道を歩む方々が結構いらっしゃいます。お互いがんばってまいりましょう。


なお、このブログについてはプライベートの性格を持たせたいと思いますので、講義ノートを突然開陳するようなこともなく(笑)、これまで通りの調子でやっていきます。世相がこんな状況ですが、溜まった史跡ネタもぼちぼち消化していきたいと思っております。
それでは引き続き宜しくお願いいたします。

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