浅草寺・伝法院

半月ほど前ですが、浅草の伝法院が特別公開をしているということで、行ってきました。小堀遠州の作と伝えられる庭園が見所ですが、境内には中世の石造物もあるので、個人的にはそちらがメインでした。
写真はその庭園で、見える建物は明治初期築の大書院。角度を変えると五重塔やスカイツリーが見えます。
伝法院(でんぼういん)は、現在では浅草寺の本坊となっています。かつては観音院などという名称だったそうですが、元禄年間頃に伝法院という名で定着しました。浅草寺の参道に「伝法院通り」のあることから名前はよく知られていると思うのですが、境内については普段は非公開となっています。

今回は展示施設で寺宝も見学。近世の珍しい絵馬とともに、中世の板碑や梵鐘も展示されていました。なんでも板碑は浅草寺境内で相当数発掘されているそうです。すべて関東型のもののようでした。
展示施設を抜けると、写真のような石造物が目に入ります。左写真は、伝法院の中興とされる人(すみません、名前は失念しました)の宝篋印塔。17世紀前半頃のものでしょうか。右写真は、その横にある中世の板碑…を壁に貼り付けたもの(笑)。裏側にもあるそうです。立入禁止のため近寄れないので、写真もこれが限界でした。

こちらの左写真は庭園にある宝塔ですが、その下に中世の石造物の残骸と思われるものがあります。これも発掘によって見つかったもので、とりあえずこのように置いてあるとか。
そして右写真手前の宝篋印塔(というには組み合わせが変ですが)は、応永32年(1425)の銘を確認できました。後世に灯籠として利用されたようで、中がくり抜かれています。奥のものは近世だと思いますが、古そうには見えました。

ついでに浅草寺も散策。左写真は室町期のものと思われる六地蔵石幢。元は雷門の東側にあったそうですが、移転を重ねて現在地に移されました。今は本堂の向かって左側の影向堂の前にあります。
右写真は、同じく影向堂の近くにある板碑。西仏という人が願主であることが確認されており、「西仏板碑」と呼ばれています。年代は不明ですが、鎌倉末から室町初期のものと推定されています。高さは2メートルを超える大型板碑です。寛保2年(1742)に風雨に遭い折れてしまったそうですが、文化11年(1814)に今の形に補修されたとのことです。

左写真は、これも本堂左側にある石橋(重要美術品)。元和4年(1618)築。浅草寺境内に建立された東照宮の神橋として建造されたもので、当時和歌山藩主だった浅野長晟(ながあきら)の寄進によります。
右写真は、浅草神社の右側にある二天門(重要文化財)。慶安2年(1649)の築。位置的にも浅草寺の東門にあたりますが、東照宮の随身門として扱われたようで、元々は随身像が置かれていました。明治の神仏分離令によって持国天・増長天像が置かれ、戦後に寛永寺の塔頭から二天像が移されて今に至っています。
最近補修したようで、古いものとは思えないほどきれいな門になっていました。
このほか近世の者を中心に多くの文化財があり、さすが浅草寺といったところでした。今回の記事では以前掲載したものは割愛しましたが、個人的には本堂や雷門にはあまり興味がないので(笑)写真を撮りませんでした。
※画像処理ソフトの手違いで、普段より画像が大きくなりました。ご了承ください。
■東京都台東区
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