記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011.05.28

久々に焦る

締切の迫った原稿の仕上げや、来週の報告準備などがあり、さらに授業準備の貯金も底を突きつつあり、久しぶりにかなり厳しい状態です。

これらの作業が落ち着くまで、しばらくなりを潜めます。

2011.05.25

【受贈】『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』

神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』(校倉書房、2011年)受贈。ありがとうございます。
16世紀後半の政治史がどちらかといえば武家側の視点が中心という問題関心から、朝廷・公家の主体的な活動について分析した内容となっています。
もう少し詳しく言うと、当該期は織豊政権期と呼ばれるように、主に織田信長・豊臣秀吉を頂点とする政権が政治の中心であり最終決定権者として位置づけられてきたわけですが、その中でも天皇や公家による主体的な政治活動を等閑視すべきではない、という立場で叙述された一冊、ということになるでしょうか。

もっとも、当該期を対象とした公武関係の研究というのは篤い蓄積があるわけですが、それらは多くが武家側の視点によると批判されており、公家側から見れば新たな様相を見いだせるのではないか、ということになりますか。その視点のもとに、改元や禁裏小番、絹衣相論などの点に注目して論じられています。

一方で、信長や秀吉による朝廷への「献上」(贈答)について、『お湯殿上日記』から丹念に事例を集めておらあれます。このような手堅い事例集積は、個人的にも大変参考になります(ただ、分析結果としての結論部分については、異論がないでもないですが…)。

当該期を対象とするものは、社会変革という視点からの地域社会史的研究が盛んですが、やはり政治史的立場からの研究も注目され続けています。今後のさらなる議論の活発化を期待したいと思います。

4751743007戦国・織豊期の朝廷と公家社会 (歴史科学叢書)
神田 裕理
校倉書房 2011-05

by G-Tools

2011.05.24

歴研大会2011

参加されたみなさん、お疲れさまでした。
震災後の大変な時期でしたが、聞くところ中世史部会の参加者数はほぼ例年通りのようでした。土曜はだいぶ少なかったようですが、これはどちらかというと土曜の授業が増えた影響なのかなあ。

私は総会に出席する必要があったので、土日とも朝から出動で少々疲れました。今年も多くの方々と旧交を温め、かつ浴びるように飲み(笑)、このご時世にあってお気楽に“祭り”を楽しめて幸せなことだと思います。

あと…、本来はセッティングする側として働く義務はあったのですが、今年はほとんどさぼってしまいました。この点は申し訳ない限りです。大会終了後の飲みで同年代のメンバーと飲みながら話していたんですけど、東京にいる我々の世代がこぞって企画側として討論で静かにしているのは、当日の盛り上がりも考えるとよくないのではないか、という話になりました。私も事情があって今も運営メンバーに名を連ねているわけですが、そろそろ考えたいと思いつつあります。

ヒラ会員として言うならば、来年は震災およびその後の対応などについての特設部会が設けられることを期待したいですね(あるいは全体会?)。今回、緊急集会という形でセッティングされたのは非常に有意義だったと思いますが、それっきりで終わらないようにお願いしたいところです。この点は、総会決議の精神を是非とも実践に移していただきたいな、と。

ま、所詮はヒラの勝手な物言いですが…、私たちに何が出来るのか、寄付して終わりという私自身の現状を反省しつつ、私なりにいろいろと考えたいと思います。

2011.05.18

小童寺

Shodoji_2Shodoji_3次は多田にある小童寺(しょうどうじ)。天延2年(974)に源賢という僧侶を開山として建立された寺院とされています。

この源賢ですが、縁起によると源満仲の末子「美女丸」だったそうです。美女丸は中山寺(現兵庫県宝塚市)に入れられましたが、信心が足りなかったことで満仲が怒り、被官の藤原仲光に手討ちにするよう命じたものの、仲光は実子・幸寿丸を身代わりに立てて美女丸を助けました。美女丸はこれで改悛して比叡山で出家し、幸寿丸を弔うためにこの小童寺を築いた、とのことです。

縁起が事実かどうかはともかく、古くから源満仲を祖とする摂津(多田)源氏ゆかりの寺院として認識されていたようで、境内には中世の石造物が今に遺されています。

Shodoji_7この宝篋印塔は、奥(左)から藤原仲光、幸寿丸、美女丸の供養塔とされています。見た目には中世のもののようです。

Shodoji_5Shodoji_11左写真は、渡辺綱の墓とされる宝篋印塔。源満仲の婿となった源敦の養子という縁によるものでしょうか。お寺との直接の関係はないと思いますが…。右写真は、確か渡辺綱の霊廟だったと思います。

Shodoji_8こちらも、すべて中世のものとされる石造物です。
右側のものは、「十三仏板碑」と呼ばれています。合計13体の仏が浮き彫りにされています。このような信仰は鎌倉末期に起こり、室町期に盛んになるそうです。この板碑は室町後期のものとされています。

中央のものは、「無縫塔」と呼ばれています。どういう信仰に基づいて造られたものなのかはよくわかりませんが、珍しい意匠ですね。これも室町期のものとされています。

左側の宝篋印塔は詳しいことはわかりませんが、中世のものに見えます。これも同時期に造られたものでしょうか。

■兵庫県川西市

2011.05.15

多田神社

Tadajinja_6Tadajinja_7ようやく昨年末に行った兵庫・京都のシリーズです。

はじめは多田神社。天禄元年(970)に、この地を支配していた源満仲によって天台宗寺院の多田院が築かれたとされています。源氏の嫡流筋にあたる多田源氏が支配しており、その菩提寺としての機能があったと思われますが、源平合戦時に棟梁の源(多田)行綱が没落した後は一旦荒廃したとみられ、鎌倉期に忍性が再建して真言律宗となりました。神仏分離により今は神社になっています。

中世において既に清和源氏の霊廟として認知されていたとみられ、室町幕府や江戸幕府からは保護を受けていました。

Tadajinja_10Tadajinja_21左写真は随身門(重要文化財)。本殿・拝殿とともに、寛文7年(1667)に将軍徳川家綱によって再建されたものです。
右写真は、境内にある六所神社本殿。年代ははっきりしませんが、室町期のものと考えられています。

Tadajinja_14Tadajinja_18左が拝殿(重要文化財)、右が本殿(重要文化財)。近世のものですが、あまり派手さはなく質実剛健といった感じ。檜皮葺きがその雰囲気を出しているのでしょうけれども。

■兵庫県川西市

2011.05.12

【受贈】『中華幻想』

橋本雄『中華幻想―唐物と外交の室町時代史』(勉誠出版、2011年)受贈。ありがとうございます。

「中華幻想」という書名は耳慣れない言葉ですが、中華思想の世界観下にあった当時の日本において、事実として存在する中国王朝の中華には憧れを感じつつも、一方で例えば朝鮮を下に見るような、自らを中華と見る意識も強固でありながら、両者のギャップを含み込んだ国際意識(コスモロジー)を差しているもの、とのことです。

すなわち室町期日本における為政者を中心とした「対外観」とはどんなものかについて迫った論著ということだと思います(誤解していなければ)。そこでは、「対外観とは、対外関係のなかでつくられるものであると同時に、逆に対外関係を規定していく側面が強い](p.7)という指摘にあるように、如上のような国際意識が実態とはいえない「幻想」ではあっても、それが当時の外交に際する意志決定に作用したことを無視できない、という問題関心で貫かれているものと理解しました。

足利義満・義持の対外観、渡唐天神伝説の流行、唐物趣味、永楽銭の問題など、様々な視点の論考が収載されています。当然ながら、私に最も関わるのは永楽銭に関する話で、永楽銭にまつわる伝説の問題から論を立ち上げられており、ユニークで勉強になりました。また、私がかつて書いた「日本国王」との関係についても、おおむねご賛同いただけたようで、心強く思っております。

既発表論文をモチーフにはしていますが、一貫した論旨にすべくかなり書き直しがされているように見受けました。読み応えのある一冊だと思います。

4585220135中華幻想―唐物と外交の室町時代史
橋本 雄
勉誠出版 2011-04

by G-Tools

2011.05.09

初めての青森県

Aomori2011_5Aomori2011_1先週の三連休に、青森と弘前周辺の旅行に行ってきました。私にとって初めて青森県に踏み入れました。メインは弘前城の桜ということでしたが、いつも通り中世に関係する史跡や石造物を見て回りました。

今回は、復旧して間もない新幹線で青森入り。行きは「はやぶさ」でした。従来の車両に比べて心持ち座席も広く快適。というわけで、左写真がまだ真新しい新青森駅です。
右写真は青森港。旧青函連絡船の「八甲田丸」が見えました。私はこの船に乗ったことがないので特に思い入れはないのですが(「津軽海峡冬景色」の情景が頭をよぎりますが、季節外れ)、これで行き来された北海道出身の方にとっては感慨深いことでしょう。

Aomori2011_3Aomori2011_4そしてこちらが、まさに満開の弘前城。例年との比較ではわかりませんが、今年はちょうど連休中に満開になったので、さすがに観光客が多かったです。会話を聞く限り、東北の方が多かったような気がしました。多くは地元の方だったのかもしれませんが、満開の桜を見て元気が出るといいなと思います。

ホタテを中心に海の幸を飽きるほど堪能して帰ってきました。十三湊など行きそびれた所も残ったので、また機会があれば訪れたいと思います。
史跡写真はまた追々…って、このところこればっかですが(笑)。

ついでながら、岩木山がずっと雲を被っていたのがやや残念でしたねえ。

2011.05.06

【受贈】『北条氏と鎌倉幕府』

細川重男『北条氏と鎌倉幕府』(選書メチエ493、講談社、2011年)受贈。ありがとうございます。既に版を重ねておられるとのことです。専門家やフリークだけではなく、必ずしもこの時代に強い興味を持っていなかった人たちにも読まれるのは、大変喜ばしいことですね。

本書は鎌倉幕府の構造について、歴史的な流れを追いながら述べられた内容となっています。「超訳」とは言わないまでも、史料解釈の叙述が多少砕けた感じで、一般の人にも読みやすくなっています。この辺は細川さんの面目躍如といったところでしょうか。

なぜ北条氏は将軍にならなかったのか、なぜ幕府は天皇家を滅ぼさなかったのか…、など、鎌倉時代の政治史をめぐる論点はあまたありますが、それぞれにおいて著者の見解がわかりやすく示されています。それに同意するかどうかは、もちろん読者次第ですが。

前著との関係からか、鎌倉時代末期の叙述は比較的少なめですが、鎌倉幕府の通史を学ぶのに好適な一冊だと思います。大学で鎌倉時代の講義をする際には、教科書とか参考書にちょうどよいのではないでしょうか。まあ、授業で読ませるよりも、高校生や大学生の人たちが主体的に手にとって読んで貰いたいなあと思いました。

4062584948北条氏と鎌倉幕府 (講談社選書メチエ)
細川 重男
講談社 2011-03-11

by G-Tools

2011.05.01

小田原周辺城めぐり

Odawara_1今年の大型連休初日は、小田原周辺の城めぐりに行ってきました。出身ゼミの新歓イベントだったのですが、OBのよしみで呼んでいただきました(運転手要員、とも(笑))。

機会が恵まれず小田原にはなかなか行く機会がなかったので、喜び勇んで参加。県境を越えて山中城跡と、「秀吉一夜城」と呼ばれる石垣山城跡、中世の小田原城の遺構とされる大規模な堀切を見てきました。特に石垣山城跡は、かつて見に行ったものの土砂降りで断念したこともあったので、ようやくリベンジが叶いました。

上の写真は、小田原駅前の北条早雲像。こんなのあったんですね。知りませんでした。

Odawara_2Odawara_3左写真は、石垣山から眺めた小田原の市街地。この中に小田原城の天守閣があるんですが、わかるでしょうか?
今は木があって視界が遮られているのですが、それが払われていれば城下が丸見えです。こんなところに拠点を置かれると、攻められる方としてはどうしようもないですね。

右写真は、駅の近くにある、伝北条氏政・氏照の墓。真ん中に仲良く並んでいるのが、左から北条氏照、氏政とされています。そして、右の一回り大きいものは、なぜか北条氏政夫人の墓とされています。見た目にもそれほど時代は下らないように見えましたが、いかがでしょうかね。

巡見後は小田原の練り物を肴に一杯…と行きたいところでしたか、事情により立川で一献。今度は小田原でじっくり飲みたいですね。
結局、小田原城跡には行かず。近世城郭には一切興味を示さないゼミの伝統は健在でした(笑)。

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Amazon

最近のトラックバック