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2011年6月

2011.06.27

月二度目の神戸

昨日は恒例の大阪歴史学会大会に出席。月初にも神戸で別の研究会があったので、今月二度目の神戸入り。

今年度は月曜に授業がある関係で日曜に帰京せねばならず、飲みの満足度がやや落ちるのが難点だが(あと、帰りの新幹線が混んでいてなかなかに辛い)、今回もなかなかお会いできない関西の方々と多くお話しすることができてよかったです。もっとも、最近は関東の人にも会う機会が減ってしまったのですが。

報告は戦国期の前半あたり(15世紀末~16世紀初頭)。元々興味のある時代なので(マイナーだから(笑))、楽しく拝聴いたしました。それにしても、この時代は手薄だった印象が強かったわけですが、最近は研究が精密化してきましたねえ。隙間産業を生業とする私の居場所がどんどんなくなる…。

授業や校務に追われてなかなか自分のペースを取り戻せない毎日ですが、学会・研究会はリセットするいい機会なので、今後もなるべく参加したいと思います。お世話になったみなさんありがとうございました。


余談ですが、三宮センター街の古本屋(むかし老舗古本屋があった所の後継店)で、『兵庫県史』資料編中世1を入手しました。アマゾンでは結構高値が付いているけど、数千円で買えました。1~8巻までの揃いが結構安値で出ていたけど、さすがにそこまでは手が出ず。もし予算がついたら…。

2011.06.21

石峯寺

Shakubuji_15裏六甲と呼ばれる、六甲山系の北側の山間部へ。今では鄙びていますが、かつては街道も通り、播磨へ抜ける交通の要衝だったようです。

その中心とも言える淡河(おうご)にある石峯寺(しゃくぶじ)。寺伝では651年(白雉2)に孝徳天皇の勅願寺として開かれたとされ、天平19年(741)に行基が薬師堂を建立した法相宗の寺院で、その後弘仁14年(823)に空海が訪れて真言宗に改宗したとされています。どの辺まで事実かはわかりませんが…、鎌倉期には存在していたことは確かなようで、中世に最盛期を迎えたとされています。戦国期にかけて戦火に遭い、やや規模を縮小させて今に至っています。

この地域の領主である淡河氏は元は北条氏の一族とされ、承久の乱の後に入部しました。石峯寺が菩提寺だったかどうかはわかりませんが、南北朝期の寄進状が遺っているそうで、保護を受けていたと考えられます。
ただし淡河氏は南朝方に与したため幕府方の赤松氏と対立し、暦応2年(1339)に淡河で合戦となっています。その後淡河氏は幕府方に転じたようで、いわば国人領主となりましたが、後には赤松氏の影響を強く受けるようになり被官化していったと思われます。嘉吉の乱で赤松氏が没落した後は山名氏に従い、石峯寺も山名氏から安堵を受けたようです。

応仁の乱の後に赤松氏が復権した後は、淡河氏は東播磨の守護代で三木城(現兵庫県三木市)を本拠とする別所氏の麾下となりました。そして天正7年(1579)に別所氏は羽柴秀吉の兵糧攻めを受けますが、淡河氏も籠城し、落城とともに没落しました。その後淡河は赤松氏一族の有馬則頼に与えられたそうです。なお、関連文書などがこちらで紹介されています。

Shakubuji_2Shakubuji_1とまあ、室町から戦国期にかけてはなかなか興味深い歴史を持つ地域なんですが、それはともかく、このお寺には中世の痕跡がいくつか残されています。その一つが、左写真の薬師堂(重要文化財)。はっきりとはわかりませんが、明応年間頃(15世紀末)の築とされています。和様と天竺様からなる折衷様とのことです。

右写真は本堂。こちらは時代は下るようです。

Shakubuji_6Shakubuji_9そして、堂々とそびえる三重塔(重要文化財)。国指定文化財の三重塔としては最大級だそうです。もともとこけら葺きだったのを戦後に銅板葺きに改めたらしい。こちらも詳しい年代は不明ですが、室町中期の築とされています。

Shakubuji_10
こちらは、確か本堂にかかっていた鰐口。正和4年(1315)の銘がある鰐口を所蔵しているそうなんですが、これがそうでしょうか。あるいはレプリカ? 近くで見られないのでよくわかりませんでしたが、どうでしょう。

Shakubuji_11Shakubuji_14そして、石造物もあります。左写真は、暦応4年(1341)に「一結(いっけつ)衆」と呼ばれる信仰集団が建立した五輪塔です。領主によるものというより、比較的庶民に近い人々が寄進したものと考えられ、当時の信仰の在り方を考える上でも貴重なものなのでしょう。
そして周囲には右写真のような小さな石造物もありました。中世のものも混じっていそうです。

■神戸市北区

2011.06.17

【受贈】『消された秀吉の真実』

山本博文・堀新・曽根勇二編『消された秀吉の真実―徳川史観を越えて』(柏書房、2011年)を堀さんより受贈。ありがとうございます。

内容は副題にある通り、豊臣秀吉政権期の権力構造について、後世に形成されたバイアスをなるべく排除すべく、原文書の分析に立ち返って検討しようというスタンスの元に編まれた論文集です。
そのスタイルは山本博文『天下人の一級史料―秀吉文書の真実』(柏書房、2009年)を継承するもので、本書は続編といった位置づけでしょうか。執筆者が中心となっている「豊臣秀吉関係文書研究会」の活動が母胎となっているそうです。

具体的な内容は多彩ですが、例えば刀狩りや人掃令、五大老・五奉行をめぐる問題など、テーマは豊臣政権期の中心的な論点にわたっており、豊臣政権に関する研究の到達点が示されていると言えるでしょう。

個人的に興味を持ったのは、年号のある原文書であっても、その書かれた年号を鵜呑みにせずにその信憑性を検証する必要があるという指摘でした。ただしこの点に関して一方では、先行研究では年号の書き誤りが指摘されているものの、実際には記された通りの年号で正しいと主張する論考も収められています。とりわけ戦国期の文書は無年号が多くて研究者を悩ませるのですが、はたまた年号があっても一筋縄ではいかないないものだとも思ったりしました。自戒したいところです。

読みやすさを意識してか、文体はですます調になっています。もちろんこの辺は好みの分かれるところでしょう。ただし、ですます調に慣れていない私のあくまで個人的な感想としては、あえてそうする意義はあるかなあというのが率直なところでした。

476013994X消された秀吉の真実―徳川史観を越えて
山本 博文・堀 新・曽根 勇二編
柏書房 2011-05

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2011.06.15

研究者からみた史学史という叙述

『歴史評論』732号(2011年4月号)の特集、「時代の奔流と向かい合って生きた歴史家たち」読了。対象とされる歴史家は、久米邦武、朝河貫一、西岡虎之助、清水三男、石母田正、網野善彦の各氏。多少時代の幅はあれども、おおむね戦前から戦後にかけて活躍した人たち。とりわけ1950年代前半に登場し、挫折した「国民的歴史学運動」をめぐる石母田・網野両氏の姿を活写した論考はとても興味深かったです。

これらの歴史家は多くが中世史を専門としており、いわば日本中世史が最も光を放った時代だったという感慨に浸りました(当時は維新後が歴史学としては研究対象にはならなかったという事情もありますが)。また、単なる学問の歴史という意味ではなく、当時の世相や政治の動向とも大きく関係して学問が展開するという、この時期までの史学史の持つ生々しい特質がしっかり描写されており、当時の時代像を理解する上でも大いに資するものとなりました。以後の歴史学は「科学的」たらんとして精度を高め、理論的な議論が活発化していきますが、一方である種の「敗北」によって、直接政治や社会に対して提言を行うという姿勢は遠のいていった感があります(間違っているかもしれませんが)。

もちろんそのような動向が誤りだったとか、そういうことが言いたいわけではありません。なぜ1960年前後を境としてこのような転換が歴史学全体の傾向として起きたのか。もちろんこの時代は安保闘争などもあったりしましたが、そういった社会情勢の中から史学史を説き起こし、新たに歴史学を学ばんとする若い人たちに伝えて行かねばならないなあ、などと感じました。

しかし、それを行うに最もふさわしい場であるべき大学では、このような議論を行う場が基本的に設定されていません(もちろん独自にゼミでやることはできますが、カリキュラムとしてはない)。かつては史学概論のカリキュラムはありましたが、一般的にはむしろ西洋の歴史哲学史が中心で(ランケとかマルクスとか、あるいはカー)、「日本の歴史学の歴史」を学ぶ機会というのは元々ほとんどなかったかと思います。

それがただちに問題というほどでもないかもしれませんが、個々のテーマにおける研究史を的確に理解をする上でも、それぞれの時代の研究者が持つ問題関心の基底を正しく理解することが必要であり、そのためには史学史への通暁が求められることでしょう。そしてそれは、時代が進むにつれてますます難しくなるように思われます。
将来の世代が「戦後歴史学」やその基礎の上にある現在の歴史学の「流れ」を的確に理解するためにも、時折このような特集が組まれることを期待したいところです。もっとも、単なる「伝記」ではあまり意味がないわけで、その歴史家の生きた時代とはどんな時代だったか、という視点が欠かせません。今後の展開を期待します。

B004PZSAEY歴史評論 2011年 04月号 [雑誌]
校倉書房 2011-03-14

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2011.06.13

実業家と郷土史家を繋ぐ記憶

桐野さんの『江の生涯を歩く』を読んでいて、ふと目にとまった箇所がありました。といっても内容とは直接関係のないところですが…。それは、江の最初の夫であり、知多半島の大野城を支配する佐治一成に関する記述の中で、参考文献として瀧田英二『常滑史話索隠』(私家版、1965年)が挙げられていたことでした。

私はこの本を読んだことはないのですが、気になったのは著者の瀧田英二氏。というのも、かつて名古屋に居た時にアルバイトで文書調査をやっていた際、このお名前が頻繁に出てきたからです。
調べてみるとやはり同一人物で、調査をした文書「瀧田家文書」の旧蔵者でした。この文書は、近代に常滑で廻船業や木綿問屋を営んだ家に伝わった文書で、近代に繊維産業が特に愛知県で発展したこともあって、時折研究にも使われるわりと有名な文書群です。確か現在は常滑市教育委員会が所蔵あるいは寄託を受けています。

調査をしていた時は知らなかったのですが、実業家だった瀧田氏が常滑の郷土史に取り組み、著書を編まれていたのは、そこそこ知られているようですね。高野辰之(今もよく知られた唱歌の作詞としても有名ですね)や三上参次の名前も出てきたり…。意外な一面というと失礼ですが、このような形で「再会」したのはなんとも妙な縁を感じます(勝手な感想ですが(笑))。また、奥さんは結構有名な新劇女優だったそうで、これも実は知りませんでした。

おそらく文書の調査自体はもう終わっていて、それに基づいて常滑市では企画展も行ったり、旧家の公開なども行っているようです。ともかくも、ふとしたことで院生時代のいろんな思い出が蘇ってきたもので、とりとめもなく書き付けた次第です。常滑には実はまだ行ったことがないので、行ったおりには旧家を見学してみたいなと思います。

2011.06.12

【受贈】『江の生涯を歩く』

桐野作人『江の生涯を歩く』(ベスト新書327、KKベストセラーズ、2011年)受贈。ありがとうございます。

今年の大河ドラマで取り上げられた江(崇源院)や、その周辺の人々にまつわる史跡を紹介した一冊です。彼女の生い立ちから最期まで、有名・無名を問わずくまなく各地の史跡が紹介されています。
もっとも武将の妻あるいは将軍の正室ともなるとほとんど動き回ることもありませんので(笑)、江自身の足跡となるとあまり多くはありません。ただ、兄弟や子供を入れるとなかなか多彩で、私も行ったことがない所も多く紹介されております。今後の旅行の参考にしたいと思います。

歴史にまつわる旅行ガイドも最近増えてきましたが、紙幅の関係などもあって説明が簡略なものが多いなか、新書という形で詳細に説明が施されており、実際に江の足跡を辿ってみたいという方には有益な一冊になると思います。もしくは、ゼミなどでの巡見先の参考にどうぞ。

4584123276江の生涯を歩く (ベスト新書)
桐野 作人
ベストセラーズ 2011-04-25

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2011.06.11

満願寺

Manganji_25Manganji_3川西の市街地から山をかなり登った所(といっても、途中はほとんど宅地化していますが)にある満願寺
縁起によると、奈良時代に聖武天皇の命令によって勝道上人という人が創建したとされています。安和元年(968)に源満仲が祈願寺としたとされており、実質的にはこの頃に築かれたのでしょうか。以後は室町期に至るまで源氏一族から保護を受けたようですが、戦国期に焼失。その後再建されたそうです。

右写真は山門ですが、両脇に並ぶ仁王像は鎌倉期のものとされています。

Manganji_6Manganji_8左写真が本堂。右写真は、本堂脇にある石造九重塔(重要文化財)。銘によると、正応6年(1293)に源氏の一族という妙阿という尼が、父母の極楽往生を祈願して造立したそうです。近世に、この下に法華経を埋めて供養したことから、法華塔とも呼ばれています。

Manganji_10Manganji_16左写真は、「源家の七塔」と呼ばれる五輪塔群。右から、伊豆守源国房、出羽守源光国、下野守源明国、下総守源仲政、山県三郎国直、摂津守源行国、兵衛大夫蔵人国基の供養塔とされています。いずれも源満仲の子孫に当たる多田源氏の人たちでしょうか。五輪塔自体は中世後期くらいかなあという印象ですが、いかがでしょうね。

右写真は、右から藤原仲光、美女丸、幸寿丸の供養塔とされる五輪塔。例の身代わり事件のエピソードになった人たちですね。現地看板によると、室町期のものとされていますが、「七塔」よりはやや新しいかなあという印象。

あとはそういえば「坂田金時の墓」なんかもあったように記憶していますが(経緯はよく憶えていません)、写真は撮らず。

■兵庫県川西市

2011.06.10

【受贈】『戦国期の流通と地域社会』

鈴木敦子『戦国期の流通と地域社会』(同成社、2011年)受贈。ありがとうございます。

主に戦国期の肥前国を対象として、流通構造の具体像を解明しようとするものです。近年では戦国期の九州の諸大名を対象とした研究が比較的多い印象はありますが、それでも龍造寺氏に関するものはあまり多くはないように思えますので、その点でも貴重な成果ではないかと思います。

肥前という地域の特質としては、有明海という内海を抱えていることで、従来はあまり注目されていない有明海を介した流通の実像に注目されています。また、とりわけ16世紀後半の特質として鉄砲および焔硝の流通があるわけですが、実態がどれほどわかっているかとなると、史料的制約が大きく課題となっていました。南蛮貿易へのアクセスという九州の地理的環境とも合わせて、その考察を加えておられるのが興味深いところです。

そして私にもっとも大きく関わるのが、貨幣の問題。特に銀の「貨幣化」の問題について、綿密な分析が加えられています。その中で私の史料の位置づけに難がある旨の批判もいただきました。この点は多少自覚もあったところでして…、今後再検討したいと思います。

最後には、天理大学付属図書館蔵・橋村家文書にある伊勢御師関係史料で、貨幣流通の実像を考察する上で有用な「天正十七年御祓賦帳」の翻刻と改題が掲載されています。実は私もこの橋村家文書について様々な情報をいただいており、関心を寄せておりました。私も調査状況を確認して、できればなんらかの貢献ができないか検討したいと思います。

4886215459戦国期の流通と地域社会 (同成社中世史選書)
鈴木 敦子
同成社 2011-04

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2011.06.03

山場は越えたが

久しぶりに仕事に追われる苦境でしたが、ようやく乗り切りました(まだちょっと残ってるけど)。
疲れが溜まっているので、今日は一日のんびりしたいと思います。
週末は出張(&帰省)して報告。来週もまた予定びっしりです。
体調を崩さないようにしないといけませんね。みなさんもご自愛ください。

…中身のない現状報告でした(笑)。史跡ネタなどの再開はもうしばらくしてからということで。

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