天橋立 智恩寺

日本三景の天橋立。この地に建つ智恩寺です。
寺伝によれば、延喜年間(10世紀前半)の創建とされています。「知恵の文殊」「切戸(きれと)の文殊」との異称があり、安倍文殊院(奈良県桜井市)と金戒光明寺(京都市左京区、あるいは大聖寺[山形県高畠町]など)とこの智恩寺を合わせて「三文殊」と呼ばれています。
天橋立の対岸には丹後一宮の籠(この)神社があることからも、おそらくは天橋立が信仰の対象となり、その経緯で建立された寺院ではないかと考えられているようです。
左写真の山門は明和4年(1767)築。門前には土産屋などが立ち並んでいます。平日でしたが、観光客でそこそこ賑わっていました。
右写真は本堂に当たる文殊堂。元は13世紀に建てられたものとされ、一部建材は当時のものが遺っているそうですが、多くは17世紀半ばに宮津藩主の京極高国によって修理されたものとされています。
そしてこちらが多宝塔(重要文化財)。遺された墨書などにより、明応10年(1501)築であることがわかっています。これまで中世の多宝塔をいくつか見てきましたが、こちらのものは全体的にややスリムな感じ? 当時の流行だったのでしょうか。

左写真は、境内にある石造宝篋印塔。和泉式部の歌塚という伝承があるそうです。多宝塔が築かれた明応年間に、砂に埋まっていた歌塚を掘り出し、今の歌塚が築かれたと言われています。実際のところはわかりませんが、宝篋印塔自体は中世のものと思われ、状態も良さそうでした。
右写真は、その隣にある石造地蔵菩薩立像。銘によると、右側のものは応永34年(1427)に大江越中守(法名永松)の発願により造られたものだそうです。また左側のものは、永享4年(1432)に三上因幡守(沙弥祐長)の発願によるとのことです。ただ、肉眼では銘を確認できませんでした。
そしてロープウェーケーブルカー(でしたね)で山を登り、お決まりの写真。これだけ撮ってそのまま下りました(笑)。
天橋立といえば、雪舟筆の天橋立図(国宝)が有名ですが、そこにも智恩寺の多宝塔が描かれています(→こちら)。製作年代は雪舟晩年の16世紀初頭で、現存する多宝塔を描いたものと考えられているようです。
■京都府宮津市
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