筑波 北条の史跡

小田城から街道筋を真壁方面へ少し行った所にある北条地区。ここはかつて筑波山の登山口として栄えた所で、今も当時の町並みが多く遺っています。
そして、その町並みを眺めるように聳えるのが、左写真の多気(たき)城跡。諸事情があって今は登ることは出来ませんが、数年前に発掘調査がされており、多くの中世当時の遺構が発掘されています(詳しくはこちら)。
この多気城は、平国香を祖とする常陸平氏嫡流である大掾(だいじょう)氏の惣領・多気義幹が鎌倉初期に築いたと言われています。ただし多気義幹は守護八田知家との抗争に敗れて没落しており、今に遺る遺構は戦国期に整備されたものだったとされています。誰の手によるものかは、諸説あってはっきりしないようです。
右写真は、集落の中心部にある八坂神社の五輪塔。かつては別当寺の吉祥院にあったものだそうです。銘によると天文6年(1537)のもので、中から経筒が見つかっているとのことです。

そこから少し歩くとあるのが、左写真の毘沙門天種子板碑。鎌倉期にものとされています。右写真は、その傍らにあった五輪塔。

こちらの左写真は、日向廃寺跡。平安末から鎌倉初期にかけての遺構とされており、多気氏によって建立されたものではないかとされているようです。
右写真は、城の麓にあたる所にある無量院の境内に立つ多層塔。延文6年(1361)の銘が確認されています。小田氏の一族である中久木氏に関係するものとされています。これも別の場所にあったものが移されたそうです。

左写真が、「多気太郎」と呼ばれる多気義幹の墓とされる五輪塔です。傍らには右写真の小さな五輪塔が多くあり、被官のものだったと伝わっているそうです。

集落から少し離れた所には、左写真の平沢官衙遺跡があります。国史跡。古代の常陸国筑波郡役所跡だそうです。1975年の調査で確認され、その後本格的な発掘調査がされ、現在では史跡公園として整備されており、建物もいくつか復元されています。かなり本格的に観光地として整備したようですが、その効果はいかほどだったのでしょうかね。
右写真は、その近くにある平沢八幡神社の石造六角地蔵宝幢。16世紀末頃のものとされています。

そして、集落からはちょっと離れていますが、左写真は小田氏の祈願寺として建立されたという普門寺にある多層塔。室町期のもので、小田氏の供養塔と言われています。
右写真は、普門寺から見た筑波山。雲がかかってしまったのが残念…。
■茨城県つくば市





























































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